高校生活②

「ゔぁー」


 ムカデを目の前に突き出された。すぐにおもちゃだと分かった。

 国領の奴がにやにやと笑みを浮かべている。

 放課後。委員会から教室に戻ると、国領に絡まれたのだ。


「なに、それ」


「ちとせちゃん全然驚かない。つまんないの」


 さっさと自分の席に向かう。

 背後で国領の着いてくる気配があった。遅くなったせいで教室にはオレ達二人しか居ない。オレもさっさと帰りたい。


「帰ってきたら机に置いてあったんだよね」


「なんで?」


カバンを取りながら、振り返らずに答えた。

 

「代田の彼氏。なんか誘われた」


「ふーん」


 彼女の話を適当に受け流しつつ、教室の扉を開けた。

 相変わらず国領がついてきているようだった。

 廊下は茜色の日が差している。眩さに目を細めた。

 代田。クラスで5番目くらいに可愛いやつだ。ポジションも同じぐらい。


「まあ、私ってすごくかわいいじゃん?」


「否定はしないかな」


 そういうところが、疎まれる原因だと思うんだけど。

 思うだけで、言わない。そんな義理もない。

 確かに見た目はちょっとその辺にはいなさそうな美人。

 高校に入ってからますます磨きがかかった気がする。まあ、どうだっていいんだけど。


「代田のやつ、それでこのムカデだよ。こっちは勝手に絡まれただけっだっての。あんなハゲこっちから願い下げだよ」


「坊主ね」


「あはは。坊主もハゲも一緒だよ」


 国領はからからと笑うけど、オレはちっともおかしくなんてなかった。

 考え事をしていた。


「今までは無視されるだけで済んでたのになあ」


 言葉とは裏腹に、彼女の声音にはどこか楽しそうなところがあった。

 玄関について、スニーカーに履き替える。


 ちら、と横の国領を見る。ちょっと高そうなパンプスが下駄箱から出てきた。 

 隠されたらショックだよ。安いスニーカーにしときなよ。

 そんなことが脳裏に浮かんだ、やっぱり言わない。


「無視っていうか。障らず騒がず。居ないもの扱いされてただけかと思ってた」

 

 玄関を出た。相変わらず国領はついてきている。


「あ。ひどい。ちとせちゃん以外はみんな無視だよ私のこと」


「無視っていうなら、私も変わんないと思うけど。だいたいメイクのやり方とか上から目線で教えてたら、無視されて当然」


 当然。当然って言葉は、いつも間抜けな響きを持っている。

 オレがこういう人間になってしまったのか、元々こういう人間だったのか、もうよくわからない。

 オレは、人がいる前で、国領には絶対に声はかけない。オレは当然と常識の中で生活したいのだ。

 女として。


「訊かれたから教えただけなのに。面倒くさいよね、女子って」


 国領に訪ねた相手は、彼女を小馬鹿にするのが最大の目的だったんだろうなとは思う。

 それを堂々と講義したものだから反感を買った。当然の結果。


「そうかもね」


「でも、ちとせちゃんは別。こうやって話してくれるし。すごく好き」


 学校を出て、駅を目指して歩いた。

 狭い通りの向こうに、時計塔を思わせる特徴的な形のビルが見える。ぼんやりと歩いていると、国領の声が遠くなっていく。

 深く、考えている。オレだって、悩むべきことがいっぱいある。


「ねえ、ちとせちゃん。ずっと好きなんだよ。今でも」   


「そう」


 

 水着、どうしようかなあ。

 あかりに訊くしか無いよな。

 はあ、と内心でため息をつく一方、どこか楽しみにしている自分がいる。

 ずっと好きなんだよ、今でも。


「ねえ、聞いてる? ちとせちゃん」


「聞いてない」


「ほんとひどいよね!」


 そう言って、おかしそうに国領は笑う声が聞こえた。

 こんなにそっけなくしているのに、いつまでオレについてくるつもりなんだろう。

 いつまで、好きって言い続けるつもりなんだろう。

 虚しくないのかな。どうせ届かないのに。


 あーあ。めっちゃブーメラン。

 それはきっと、オレもだ。

 国領のせいで余計なことを考えてしまった。


「国領」


 足を止めて振り返る。国領が子犬みたいな顔をした。


「なに?」


「私、今度の夏休み文彦と海に行くんだ。泊まりで」


 なんだよ。


「……うん」


 なんで普通に悲しそうな顔するかな。普段どおりへらへらしてくれるかと思ってたのに。

 叱られたダックスフンドみたいな顔をして、国領は眉をギュッと寄せている。

 彼女がしょげて黙ってしまうと、街の雑踏が一気に耳の奥を支配して、鬱陶しい。

 沈黙が嫌で目についたもので適当に言葉を繋いだ。


「…そのキーホルダー、なに? かわいいね」


 カバンにぶら下がっている、緑髪の女の子のキャラクターをデフォルメしたキーホルダーを指差す。ゲーセンのプライズによくありそうなやつだ。


「可愛いでしょ」


「可愛いもの好きだよね、国領って」


「うん。好き。可愛い女の子が好き。可愛い自分が好き。可愛くないなら死んだほうがまし。ちとせちゃんが好きなのも、可愛いからだよ」


「私はそんなに好きじゃないなあ。――国領のこと」


 可愛いとか、分からない。興味もない。興味があるふりをしているだけ。

 中身は変わらない。見た目が変わっても、変わるわけがないんだ。


「えー! ひどい! でも、放課後は話しかけていいんだよね?」


「さあ。どうだろう」


 さっきの悲しそうな顔はどこへやら、おかしそうにケラケラと笑い始める。

 付きまとわれて、うんざりしてるんだ。それだって、本当なんだけどな。

 今日は久しぶりに国領とすごく話してしまった。

 

 たぶん、文彦のせいだ。

 泊まりのことで、案外動揺しているみたいだ。

 オレは人のせいばっかりだな。


……。


「そっかそっか。水着の買い方がわかんないか」


「今まで買ったことなくてさ」


 女になってからとはあえては言わなかった。

 その週の休日。

 結局、あかりの家にきてしまった。

 

 部屋の様子は、昔からあまり変わらない。

 家具もそっけないままで、あまり飾り気もない。

 ただ、服の趣味は変わった。少し派手になった。

 それでもここに来ると男子だった小学生の頃に戻ったみたいで、すごくほっとする。


「ちーちゃんも青春してるねえ。そっちの学校、楽しい?」


 あかりは弾んだ声をしているけれど、心配そうな表情を浮かべている。

 あかりはいつだってオレのことを心配してくれる。あかりだけは、変わらない。


「普通にやれてるよ。オレも、もう女になってから、長いからさ」


「そっかそっか。ならいいんだけど。――よっと」


 スカートがめくり上がるのも構わず、あかりはベッドにベッドに身を投げだした。

 寝そべったまま、オレを見上げる。

 口の端を上げる笑い方や、寝そべってもなお分かる胸の豊満さに、艶っぽさを感じて、それが少し嫌だった。

 彼女は寝転んだまま器用に枕を横にどけた。

 自分の隣の布団をぽん、と叩いて言う。「隣おいでよ、ちーちゃん」


「ん」


 どぎまぎすることは無かった。

 どかされた枕。その下にあったものを見て、そんな事を考える余裕もなくなったのだ。


「あかり。なんか落ちてる」


 声、震えてないでよかったなと思う。


「うーわっ! あいつ! 置いていくなつってんのに!」


「なにやってるんだか。あほだな、あいつも相変わらず」


 苦笑いを浮かべたつもりだったけれど、顔がくしゃりとゆがんだ。さぞかしブサイクな笑みになっていただろう。

 切り離されたコンドームを、あかりが顔を赤くして乱暴にと握りつぶす。がさり、と音がした。


 そりゃそうだよね。

 あかりと結城。付き合って長いんだ。

 男女が長く付き合えば、そういうことだってある。

 オレが中学生の頃から二人は付き合っている。


 あかりだって、女になっていくんだ。

 変わらないものなんて、ない。

 それを自覚しただけで泣きそうになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る