高校生活⑩

「お前、なにいってるの?」


 オレが言うと同時、彼女の握った包丁が頬をかすめた。

 焼けたような痛みが走って、手をやると少し血がついた。


「ちとせちゃんのためだよ。だって好きなんでしょ」


「意味がわからない」


「好きだったら、するでしょ。でも、あかりちゃんはちとせちゃんのこと、好きじゃない。私だって見てて分かるよ。それならこうするしかないよね」


「……国領。冗談がすぎる。いい加減笑えない」


「冗談なんかじゃない。なんでちとせちゃんそんな事言うんだよ。好きだからしたい。そうでしょ」


 いつもの余裕ぶった態度じゃない。

 彼女の表情は、いつもみたいに青白く、平板じゃない。

 赤黒く染まっていて、くしゃくしゃだった。


 彼女の包丁を握る手が震えて、頬が傷んだ。

 はちきれそうな血袋だ。

 赤黒い血液が詰まっていて、小さな針をさせばどろりとしたそれが溢れ出すんだろう。


 胸がうずいた。甘いような、痛いようなうずきだった。

 オレは刺したい。赤黒くて汚い、国領の中身が見たい。


「やりたいだけなら猿と一緒だろ。その誰かだって、猿だ」


「……うるさいな!」


 刺されるかと思った。

 がしゃんと音がして、反射的に目を閉じた。


 痛みは来なかった。

 目を開ける。

 包丁が床に転がっていた。

 

 国領の顔は癇癪を起こした子供みたいに、涙でぐしゃぐしゃだ。それでも顔は隠そうとはせず、ただ、充血した目でオレを睨んでいる。

 

 オレも睨み返した。

 むき出しの視線と視線が絡み合うのは、不快じゃない。

 なぜだか、とてもほっとしたのだ。


「…うるさいよ」


 彼女はもう一度呟くと、目元を乱暴にぐいと拭った。


「じゃあ、もう関わらないで。二度と声もかけないで」


「嫌だ! ちとせちゃんだけが、私の生きてる意味なんだよ」


 嗚咽混じりに、彼女は言った。

 彼女がなぜオレを気に入ってるのかは、知らない。

 だけど彼女が何を求めているかは、たぶん分かる。

 オレも彼女も根底にあるものが同じだ。


 言葉にすればすごく単純なこと。 

 寂しいってだけだ。

 わかっていて、踏みにじっている。彼女女のことが嫌いだった。

 だって嫌だろう。醜くもがいてる自分の姿を見せられるのはさ。


「どうでもいいよ」


 だから、オレの答えも決まっている。

 全部、どうだっていいんだ。オレの心も、国領の思いもどうだっていい。


「…結城!」


 声に、振り返った。

 あかりがスマホに向かって叫んでいた。

 あーあ。オレだって元男なんだけどな。

 苦笑いが浮かんだ。本当に苦いや。


「結城。助けて、結城!」


 警察か結城か正直迷ってたんだ。

 あかりが選んだのなら、これでいいんだろう。

 オレは腰を曲げて包丁を拾うと、国領に手渡した。

 神妙な顔をしてる彼女がどうにも可笑しくて、吹き出しそうだ。


「これは、しまっておきな。結城が来たらオートロック開けてやってよ」

 

「…なんで?」


「ヒーローとヒロインは向こうだから。オレはずっと村人Aぐらいで良かったんだけど、お前のせいでさんざんだ。違うか。自分のせいだ」


「…泣きそうな顔してない?」


「国領さ。少しは空気読む術身につけたほうが良いよ」


「……うん。頑張る」


 素直にうなずいた彼女女に、今度こそ吹き出してしまった。

 はーあ。本当に、くだらないことばっかりだ。

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