高校生活⑨


「あかり、これどう?」


 自分で選んだ水着をあかりに見せる。タンクトップとショートパンツ型の、露出が少ないものを選んだのだ。女になってから人生ではじめて水着を買う。


すごく緊張したけど、わくわくもした。

 壁一面に飾られた水着はカラフルな鳥達のようで、自分の好みの形や色を見つけて、それを選んでいくのは本当に楽しい。まるですっかり女になったみたいでうれしかった。


「うーん」

 

 彼女はそれを手にとって、真剣な顔をして悩んだ後に、


「ちょっと地味かも」


 と言った。


「どんなのがいいと思う? 私、わかんなくて」


「これとかかわいいと思う!」


 あかりが手にしたのはオレンジを基調としたフレアトップのビキニだ。

 オレが選んだのとは、真逆の配色をしている。


「そう…かなあ?」


「ちーちゃんめっちゃ細くてスタイル良いじゃん。もったいないよ! わたしなんてお腹ぷにぷにだよ。見せられないよ」


 水着を選ぶにあたって、あかりにサイズも伝えてある。

 結構に驚かれて、羨ましいって言われた。

 

 こういうことを皆との会話で言うと、きっと謙遜が過ぎてうざがられるだろう。

 だけど、痩せ過ぎたウエストは嫌いだ。


 驚かれたのは、自分が逸脱してるみたいでショックだった。

 それこそ『そんなことないよ』って返される案件なのは、わかっている。

 だからこう思うのは間違い。

 

「そんなことないよ」


 これは本心からのそんなことないよだ。

 あかりぐらい女性らしい方が良いと思うのに。


「ちーちゃん可愛い系の顔だからさ。クール系より、こっちとか……あ、こっちとかは?」


 あかりが何度もうなずいて、やっぱり明るい水着を、服の上から合わせてくる。

 あかりが言うなら、正しいんだろう。


「あかりが言うなら、そういうのにしてみようかな」


「それが良いと思う! じゃあ、試着……できると思うけど、念の為ちょっと訊いてくるね!」


 あかりが店員を探しにコーナーの影に消えた。

 あえて、後は追わなかった。背後からの視線を感じていたのだ。


「…国領。全然しゃべんないじゃん。どうしたの」

 

 彼女が猫みたいに口の端を上げて意味ありげに笑う。演技がかっていて、少しむかつく。


「私のこと心配してくれるの!? 珍しく優しいね」


「別に。心配なんかしてない。ただ、ずっと黙ってみてるから気持ち悪いなって思って」


「相変わらず容赦ないよね、ちとせちゃん。あかりちゃんにはすごく素直なのに。よっぽど好きなんだねえ。けなげだねえ」



 国領はため息交じりに肩をすくめてみせる。目を細めて、にやにやした顔。洋画の俳優みたいに大げさな動作がやっぱり違和感だし、癪に障る。


「なに、喧嘩売ってるの?」


 睨んでも、彼女は動じない。いつもみたいにへらへら笑いもしなかった。

 ただきれいな顔が人形のように微動だにしない。笑みが消えると同時、彼女は静かな声で言った。


「私は、ちとせちゃんが最初に選んだ水着のほうがいいって思ったけどね」


「……私は、センスないから」


 国領の目を見ていられなくて、自分の持っている水着に目を落とす。趣味で選んだ、地味目かもしれないけど、好きな水着。別に良いだろ、オレの趣味1なんてどうだって。


「ひとつだけ、訊きたいんだけど」


「なに」


「あかりちゃんのこと、好きなんだよね?」


「うん。ずっと。今も」


 促されたわけじゃない。抵抗もなく素直に答えていた。

 


「そっか。わかった」


 その声があんまりにも冷たかったから、はっとして顔を見上げた。

 国領の青白い肌に埋まった大きな眼球が見通すように私を捉えていた。



……。 


「あー。楽しかった! かえでちゃんもちーちゃんも、なんかわたしの買い物にも付き合ってもらってありがとね」


 帰り道、地元の人通りのほとんどない住宅街の道を3人で歩いている。

 あっという間の一日だった。


「私の方こそ、助かったよ」


 横にならんで歩くオレが答えて、


「わたしも、なんか色んな意味で新鮮だった。ねえ、ちーちゃん?」


 国領がにやついた目を向けてきたので、睨み返してやった。

 1日、あかりと国領と色んな所を見て回った。ほとんどはウィンドウショッピングだ。

 個人雑貨屋やSNS映えしそうなロールアイス屋なんかは、オレ一人じゃ絶対に来ることなんてなかった。あかりといると、すっかり女子になりきれたきがして、ほっとした。

 それに…結城には、悪いと思うけど、あかりと居る時間が楽しかったんだ。

 結局、水着はあかりの言ったものにしてた。だってそれが正解だろう。

 

「あ。ちーちゃん」


 あかりの背中を見ながら歩いていると、彼女がぴたりと脚を止めた。

 振り返って、屈託のない笑みを浮かべて、大きなストラップをオレに差し出す。



「ちーちゃん、これ上げる。かえでちゃんと選んだんだよ。カバンとかにつけるといいよ。ちーちゃんスクールバッグ殺風景そうだもん」


「殺風景……。変かな」


 あはは、と笑いながら、ほとんどぬいぐるみに近い大きさのそれを受け取った。バイキンマンをかなりホラー寄りにしたような風貌で、かなり独特。……なんだろうこれ。


「変じゃないよ。というかね、3人でお揃いにしようって思って。ね、かえでちゃん」


「そうそう。どっちのセンスかは想像におまかせします」


「……どう考えても国領でしょ、これ」


「よく分かるね。なに。愛?」


「寄るな、手を握るな、くっつくな」


 ぐいぐい来る国領の顔を押しのける。

 あかりのセンスじゃないのがわかったんだよ。あえては言わなかったけどさ。


「ほんと仲いいよね」


 あかりがおかしそうに笑うから、すごく恥ずかしくなった。


「別に仲良くない。一方的に付きまとわれてるだけ」


「うん。まあ、そうなんだけど」


 国領も否定しないし。あかりが「あははっ」と声を上げて笑いながらオレの肩に軽く触れる。そのまま、あかりの手が撫でるように滑ってきて、オレの手を握った。

 心臓がどくりと跳ねた。


「なんか、安心したよ、ちーちゃん」


「あかり?」


 匂いと柔らかさをあまり意識しないようにするのが、精一杯だった。


「ちーちゃんが元気そうで安心した。これからも、仲良くしようね。ちゃんと返信してよ?」


「…うん。するよ。ごめん」


 この間のことは、あかりは言わない。オレが彼女を好きだなんて事実は、無かったことのよう。

 でもこれでいい。こうやって、友達で居続けられればきっとちゃんと忘れられる日だってくるんだろう。きっとそれが、オレがちゃんと女になれた日だ。


「ねえねえ、お二人さん」オレの気持ちなんてつゆ知らず。やけに明るい声で国領が言う。「ちょっと私の家に寄っていかない? 渡したいものもあるし。近いんだ、ここから」


 時間は15時を過ぎたぐらい。あかりと目配せして、彼女が小さくうなずいた。

 国領の家がこの辺にあることを、はじめて知った。案外近いんだ。



……。


 存在はたぶん、この辺りに住む人なら誰でも知っていたんだろうけれど、入るのは初めてだった。

 戸建ての多いこの地域には珍しい…というか不似合いな高層マンション。その14階が彼女の家らしかった。

 昔から私服や小物は高そうなものを使っているかr、薄々感づいてはいたけど、やっぱり金持ちなんだな、こいつ。

 ホテルみたいな廊下を抜けて、一室にたどり着く。


「座って座って。家族以外を入れたのはじめてだよ! 友達が来てくれて、すっごい嬉しいよ!」


 彼女がニコニコと指差したのは、人一人が横になってもまだ余りそうな、大きなソファーだ。

 だけど、豪華なマンションの外装とは裏腹に、ただひたすらに殺風景なリビングだった。

 家具らしきものはミニテーブルと、そのソファー。せいぜいラグぐらいのもので、テレビすら見当たらない。生活感らしきものが、一切感じられない。靴だって、国領のものしかなかったのだ。


「お前さ。ちゃんとご飯食べてる?」


 別に、てんぱったわけじゃない。気づけば場違いな言葉が口をついた。

 この部屋を見たとき、頭に思い浮かんだのが、それだった。

 非力すぎる彼女。痩せ過ぎている彼女。何となく符号するものがあったのかもしれない。


「うーん。適度に?」


「っていうか……一人暮らし?」


 あかりがおずおずとソファーに座って、スカートの裾を直しながら、立ったままの彼女を見上げた。


「そうだよー。あてがわれてるの。なんでも言うこと聞いてくれるすごくいいお父様なんだけど、わたしと一緒に住むのだけは嫌みたい」


 あっけらかんと言い放つ彼女に悲壮感は微塵もない。

 過ぎたこととして諦めているわけでも、ましてや乗り越えたという風でもない。

 当然のこととして、なんの臆面もなく話しているように、オレには見えた。

 

「ちゃんと食べなきゃ。食べるのって、大事だよ」


 オレはまたしてもそんなことを言っていた。

 パズルの大事なピースを紛失してしまったような収まりの悪さを、彼女の態度から感じた。

 別に国領の事情なんて気にする必要なんてない。友達でもなんでもないんだから。

 それはわかってるんだけど、胸がどうしてもざわめいた。


「ああ。ちとせちゃんのことやっぱり好きだなわたし。あ、飲み物取ってくるよ。ちょっと待ってて」


 国領は一瞬だけ恍惚とした表情を浮かべて、すぐに真顔になる。

 言い残して、リビング向こうのキッチンへと彼女が消えたかと思うと、すぐに戻ってきた。

 

 手にはステンレスの三徳包丁が握られていた。

 おろしたての光沢があって、殆ど使われていないのはすぐに分かった。


「あのね。お願いがあるんだけど」


 やっぱり料理とかしないんだな、こいつ。きっと出来合いのものばかり食べてるに違いない。

 彼女が足早に歩いてきて、オレの頬に包丁を触れさせても、やっぱりオレの思考はどこか場違いだった。


「か、かえでちゃん?」


 隣のあかりが引きつった声を上げてようやく理解した。


「あかりちゃんとちとせちゃん。二人でセックスしてほしいんだけど」


 そうか。これは脅されているのだ。

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