高校生活㉚

 月曜日はいつも憂鬱だったけれど、かえでと仲良くなってからはちょっとだけ楽しみになっていた。日曜の昼から降り続いている雨は朝になっても止まず、どんよりとした黒い雲のせいで辺りは薄暗い。

 夏休みを目前に控えた季節だっていうのに、肌寒くてカーディガンを羽織っていつもの駅でかえでを見つけて、手を振った。


「かえで。おはよう」


「ああ、うん」


 隣に立った私の方を一瞥すると、すぐに目線を落とした。

 かえでは分かりやすい

 元気がないのは、下がった眉や、落ち込んだ声のトーンにこれでもかってぐらい現れている。


「元気ないね」


「ちょっと、ないかも」


 しょんぼりとした様子で、いつもだったら手を握ってきて私を恥ずかしがらせるのに、それもしない。


「どうかしたの?」


「今は、ちょっと言いたくないかも」


「そ。珍しいね。かえでにもそういうことってあるんだ」


 冗談めかして笑ってみせるけど、かえでは私を見ようともしなかった。

 なんとなくバツが悪くて、わざと大きな声で言った。「もうすぐ夏休みだね!」


「うん。そうだね」


 どこに行こう、とか。何をしよう、とか。私はそういう話をしたかった。女になって、久しぶりに未来が楽しみだった。でもかえではそんな気分じゃないみたいのが、ちょっと寂しかった。同じくらい、心配だった。

 

 


 かえでは1日中こんな感じだった。

 授業中も、昼食時も、そして今、いつものように彼女のマンションに寄って、くつろいでいる最中も。何を言っても上の空だ。

 リビングのソファーでぼんやりしている彼女をよそに、テーブルに料理を並べていく。今日はお母さんも夜勤で帰らないし、一緒に食べようって約束していたのだ。彼女の好みに合わせて肉は使っていない。野菜ばっかりだ。最近私も同じようなものばっかり食べてる。

 結局、人に合わせるのが好きなのかなあ、私は。


「食べようよ」


 ラグの上に座って、ソファーかえでを見上げる。

 制服を着替えることもせず、手足を投げ出して天井を見上げたままの彼女が、ぽつりと言った。


「転校するんだって」


「ん? 誰が?」


「わたしが」


「……は?」


「今の学校にいると、教育に悪いんだって。悪い友達が出来てしまったって、怒ってた」


「……あ。うん」


 間の抜けた返事だけが宙に浮いた。

 頭が空っぽになったみたいに何も考えられなかった。


「それで、大学は海外に行け、だって。会社にも役立つからって。お父様が」


 かえでの声は、テレビの音みたいだった。遠くて、他人事の声だ。

 自分の心臓だけがうるさかった。


「か……かえでは、そっか。うん……。海外」


「何年も、会えないよきっと。もう会うなって言われてるし」


「そっか。会えないんだ。海外、かあ。やっぱり、かえではすごいね。なんだって、出来るんだ」


 笑ったつもりだった。実際笑えたんだ。

 悪い友達。弱いくせに余計な勇気なんて持つからだ。いっそ滑稽だろう。

 

「……」


 かえでは何も言わない。きつく、天井を睨み続けている。


「かえで、居なくなっちゃうんだ。そっか……そっか……あ……」


 目の前がぼやけた。声は出なかった。

 寂しいのか、悲しいのか、怒っているのか、恐ろしいのか、よく分からなくい。ただ自分の心に鋭い感情が突き刺さって、痛くて泣いている。その拍子に中から転がり出てきた言葉が私の口をついた。


「いやだ」


「うん。決めた」薄膜の向こうで、かえでが立ち上がるのを感じた。「逃げよう」


 そう言って、かえでは私の手を取った。

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