高校生活⑭

「もう散らかさないでね。分別も言ったようにやればいいから」


「はーい。ねえ、ちとせちゃん、また来てね。絶対だよ」


「もう来ない」


 国領に、にこにこで見送られたけど、こいつは絶対わかってない。また散らかすんだろうなって思う。

 まあ、どうでもいいや。今日のはただの気まぐれだ。

 こいつのせいでいつもひどい目にあってるんだから。

 エレベーターに乗って、降りている間にスマホを覗いた。

 いくらなんでもひなたに返信しなきゃ、明日何を言われるか分からない。

 指を重たく感じるのはきのせいだ。

 エレベーターが玄関ホールについた。

 扉が開くと一人、男性がエレベーターを待っていた。その横を通り過ぎる。

 香水の匂いが鼻につく男だった。


「君」


「はい?」


 振り返ったのを、一瞬で後悔した。

 薄ら笑みを浮かべて、オレを品定めするような表情を彼が浮かべていた。

 長身の30代くらいに見える男だ。山高帽をかぶり、高そうなスーツに身を包んでいる。小脇にはブランドに疎いオレでも分かるブランド物のポーチを持っていて、身なりのいい男だというのはすぐに分かる。ただ、なんとなく湿気染みた嫌な印象を受けた。


「やっぱり君だ。文倉ちとせさんだよね?」


 声の感じ、もう少し年上なのかもしれない。紳士のように微笑んだら、顔に皺ができて、老け込んだように見えた。彼が一歩オレに歩み寄る。

 何度見ても、やっぱり知らない男だ。


「どなたですか?」


「ああ。ごめんごめん。ぼくは国領幸人。かえでの父さ。君の事をいつも娘の話題に出ていてね。写真もみたことがあるから、今見かけて、もしかしたらって思ったんだ。驚かせてしまったかい?」


 山高帽を脱いで、軽く頭を下げる。映画の俳優みたいな動きだ。この演技じみた所作は、確かにどこか国領を思わせる。

 顔は全然似てないけど。国領は母親似なんだろう。


「どうも」


「かえでとはお友達? いつも娘が迷惑ばっかりかけてるんじゃないかい?」


「いえ…別に」


 はい。迷惑かけられてます。相手の家族に向かってそんな事言えるやつが居たら見てみたいものだ。

 …国領は言うだろうな。


「そうだよなあ。かえでに友達はなかなか…難しいよね」


 キザっぽく口の端を曲げる笑みを浮かべて、彼は山高帽をかぶり直した。

 ”別に”は『友達?』の部分に答えたわけじゃない。国領の父はそっちと取ったみたいだ。


 でも、勘違いされているというわけでもない。実際友達じゃないんだから。

 どう答えていいかまごついていた。違和感に戸惑っていたのだ。

 彼はそれを無言の肯定と受け取ったのか。

 ますます、むしろ同調する相手を見つけた女子みたいな目をして言ったのだ。


「迷惑だろうし、無理して付き合わなくてもいいからね。困らせてごめんね」


 違和感の正体はすぐに分かった。とても楽しそうなのだ。

 他人の家の事情だ。離れて暮らしている理由なんて知りたくもない。

 でも、ここに来るってことは、オレがたった今片付けてきたあの部屋の惨状を、この人は知っているんだろう。


「あの。国領――かえでさん、ちゃんと食べてないみたいなんですけど」


「お金は渡してるよ。高校生には十分すぎるほどね。後はあの子が自分で欲しい物を自分で決めたらいいと僕は思ってる。だって自由にさせたいじゃないか? 親があれこれ縛るのは間違ってるよ」


「部屋も汚いし」


「あの子は昔からそうさ。どうにも、なにをやっても要領が悪くてね。頭は良いはずなんだ。ぼくの子なんだから」


「っていうか、じゃああなたは何しに来てるんですか?」


 放っておいて、なんで楽しそうにしてられるんだ?


「君も随分失礼な子だね、大人に向かって。親が娘の家を訪れる事に、理由がいるかい?」


「……そうですね失礼しました。せめてかえでさんにもうちょっと食べるように言ってください」


「それは、かえでが決めることだからなあ」


 相変わらずのんきにへらへらと笑っている。

 じゃあ、もういい。


「そうですか! 私はこれで失礼しますね」


「ああ。話せてよかったよ。また会えると良いね」


 横を通り過ぎると、高そうな香水の匂いが鼻腔を占拠して腹立たしい。

 何もかもが腹立たしい!


 オレは負けず嫌いなんだ。

 かえでが決めること? じゃあ、あいつに決めさせてやろうじゃないか。

 見てろよ。

 ひなたに返信しれていたのに気づいたのは、結局その日の日が変わる頃だった。



…。


「作った。食べて」


 昼休みに入った直後のトイレは、予想通り閑散としている。

 トイレにお弁当を持ち込むのもどうかと思うけど、ここしか思い浮かばなかったんだ。


「え?」


 オレにトイレに呼び出しを食らった国領は、それでも「なになに? ついに告白?」と冗談めかして楽しそうにしていた。

 けど、オレからそれを突きつけられたら流石に面食らったような顔をしている。

 ざまあみろだ。


「お弁当」


 無理やりそれを押し付けると、国領が目をしばたかせながらも、それを両手で受け取った。


「な、なんで?」


「なんか、腹立ったから」


「意味がわかんない!」


 いつもみたいにニヤニヤしながら『ちとせちゃん大好き』とでも言って受け取るかと思ってたのに、予想していたのと違う反応だ。

 彼女は爆弾でも抱えてるみたいに、両手のそれとオレの顔をおっかなびっくり何度も見比べている。

 失礼なやつだ。


「国領、いつもお昼食べてないでしょ。食べるって言ったら、私の勝ちだから。だから食べて」


「わけわかんないけど、本当に、もらっちゃっていいの?」


「良いってば」


「だって。お弁当って作るのすごく大変そうだよ」


「一人も二人分もそんなに変わんないよ」


「ありがとう」


 ぱっと彼女が笑う。歯が見えてるし、きれいな笑顔じゃない。ただ素朴な笑顔だった。


「別に」


 あれ。なんでオレはお礼言われてるんだっけ。

 まあいいや。昨日返信遅くなったせいで、朝から少し面倒臭いひなたのご機嫌を取りに行かないといけないし。国領のことは後回しだ。

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