高校生活⑫(さよなら)

 国領が差し出してくれた冷えたお茶のペットボトルをタオルで巻いて、頬に当てた。

 立派な冷蔵庫があるくせに、氷も保冷剤も、もちろん水枕もない。だから、その代わりだ。


「ありがと」


「ごめん」


 叱られた猫みたいに、目をまんまるにさせて、動きもぎこちない。

 ソファで、オレの隣に座るかどうかもたっぷりと悩んでいる。

 彼女は結局微妙な距離を取って座った。

 しおらしくなってしまった彼女に、妙に感心した。

 責任を感じるって心の動きが国領にもあるんだ。


「ん」


「私のせいで、叩かれちゃった」


「そこかあ……」


 苦笑いが漏れた。

 うん。やっぱりずれてる。反省してほしいのはそこじゃないんだけどなあ。


「大丈夫?」


「大丈夫。慣れてる」


 2度目だしね。


「痛くない?」


「痛くない。自業自得だから」


 結城とあかりに傷をつけたかった。あのキスはちゃちな悪意だ。

 還ってきたのが、彼氏を取られかけたあかりによる蔑んだような目と、嫌悪感をあらわにした結城からの暴力。

 我ながら、ひどい結果だ。

 国領と二人、取り残された部屋で惨めに頬を冷やしているのだから、いっそ笑えるだろう。


「ちとせちゃん」


 国領が藪から棒に立ち上がって、ソファに座ったオレを見下ろす。


「っ…なに」


 彼女の手が頭の上に伸びてきた。蛍光灯の光が、眩しくて目を細めた。

 反射的に体がこわばって、手を弾くことすらままならない。

 そのことが、ショックだった。

 傷をつけるつもりが、傷になってる。本当にダサいな、オレ。


「ちちんぷいぷい」


 彼女の手は、オレの頭に触れるか触れないかのところで、ぐるぐると回っていた。


「……?」


「痛いの痛いの飛んでけ」


 大真面目な顔をして、彼女は言ったのだ。


「なにそれ」


「痛そうな顔してたから。昔お母様が私が泣くと良くしてくれた」


 懐かしむような、大事なものをそっと語るような声音だから、立ち入ってはだめな気がした。そんな仲じゃない。

 近づきたくなんて、ない。


「…だから痛くないし、泣いてもいないってば。国領って本当にずれてるよね」


「うん。ごめん。普通って、わかんないんだ私。諦めてる」


「羨ましい」


 素直にそう思った。オレは諦められないから。


「お母様はね。こうやった後に、」


 彼女の両手が、オレの首の裏にそっと回った。

 もう体がこわばることはなかった。

 そのまま、ゆっくりと胸元で抱きしめられる。彼女の吐息と心臓の音が耳の奥に響いていた。「こうやって、いつも抱きしめてくれた」


「同情はやめろよ」


「するよ。だって可哀想だもん。わざと嫌われるようなことしたように見えたよ。痛そうで痛そうで、可哀想」


 こいつのこういうところが、本当に嫌いだ。

 こいつのほうが、よっぽどオレを傷つけてるのを、わかってない。


「ほんとずれてる。オレがしたのは、ただの嫌がらせ」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ。いたいの、とんでいくから」


 もう、いい加減国領には何も反論する気も起きない。

 何もかも面倒になって、彼女が頭を優しく…お母さんみたいに優しく撫でてくれるままにしていた。

 全部飛んでいけばいい。痛みも、過去も。結城も、あかりも。性別も。

 そうしたら私は笑える。


「さよなら」


「ちとせちゃん、なにか言った?」


「別に」


 彼女の胸に顔を押し付ける。こんな顔は見せたくない。

 さよなら。

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