高校生活⑬

「許せない」


 いくらなんでもこれだけは許せない。


「えへへ」


「えへへじゃないから」


 キッチンだ。シンク内にいつ買ったかもわからないコンビニのパックが積み上げられている。

 シンクの周りには水と茶のペットボトルが所狭しと並んでいて、やっぱり立派な食洗機なんかホコリが被っている。

 本来は広くて、新しくて、立派なキッチンのはずなのに。

 これは許せない。使わないならうちと交換してほしい。


「どうやって捨てたらいいかわかんないんだよね」


 あっけらかんと言い放つその神経が理解不能だ。

 ああ、もう。こんなもの見てしまったら放っておけない。

 別に国領のためとかそういうんじゃない。私の本能みたいなものだ。


「よくそれで生活できたよね……ゴミ袋ある?」


「あ。それはある。待ってて」


 そう言って彼女がこれまた用をなしてない食器棚の戸を、しゃがみこんで開ける。そこから持ってきた袋にパックを詰めていく。

 コンビニのサラダのパック。

 その次もサラダ。その次も、その次も。 なんだこいつ。流石に不安になって訊ねてみる。


「……国領さ、ちゃんと食べてる?」


「ちとせちゃんそればっかだよね! どんだけ食事にこだわってるの」


 笑われた。むかついたのでお腹の肉をつまんでやった。あばら骨と感触がすぐ近くにあった。

 そのせいで、ものすごく痛かったみたいで「いっ」って国領がすごい声を上げた。私は謝らない。


「うるさいな。お母さんに食事だけはしっかりしろって言われてるんだよ」


「へえ。いいお母さんだ? 良いなあ。うちは結構前に死んじゃったから。わたしのお母様もね、色々なことを教えてくれたよ。音楽のことも、服のことも、きれいになる方法も」


 やっぱり忌憚もないし、日常会話のように言う。命に関わる話特有の影や遠慮がどこにもない。


「ふうん。そっか。で、サラダだけ? 野菜だけでよく体壊さないね」


 だから私もなんでもない風に返した。


「コンビニのサラダって鶏肉入ってるやつとか色々あるんだよ! ちとせちゃん知らないでしょ」


 そんなんでドヤ顔されてもな。そもそもいつもお昼も食べてないんだよな、こいつ。


「あっそ。まあ、国領が体壊そうが知ったこっちゃないしね」


「酷い! わたしが居なくなったら寂しいよ、きっと」


「ないない」


 喋りながらパックを捨てていく。国領に指示してペットボトルのラベルを剥がしてもらってるうちに、淀んだシンクを洗っていく。

 そうだ、国領なんて知ったこっちゃない。

 意外に重労働で汗がじんわりと滲んでくる。これは私がやりたいだけなのだ。

 シンクを洗う私の腰の辺り。国領の手が回ってきて、背中越しに彼女が顔を寄せてきたのがわかる。妙に熱い体温だった。


「大好き」


「シンク洗ってるんだけど」


「ねえ」


「なに。動きづらいからくっつくのやめて」


「ねえねえ」


 さっきから、たぶん、彼女の顔が私の背中行ったり来たりしている。

 もぞもぞとくすぐったくて、鬱陶しくて身を捩る。


「だからなに」


「ねえねえねえ」


「だから、なんだよ。くすぐったいからやめろ、それ」


「あ。出た、男口調」


 こいつ。ほんっとはらたつ。

 大体なんでオレはこんなところで掃除なんかしてるんだ。あほなのかオレは。

 水道を止めて、無理やり彼女を引剥すように振り返った。

 どうせまた、にやついた顔をしているんだ。


「国領。お前のそういうところ本当に――」


 嫌い。そう言いかけた口は、止まってしまった。

 彼女が泣くのを我慢する子供みたいな、くしゃくしゃの顔をしていたからだ。


「本当に、ちとせちゃんに喜んでもらいたかったんだよ」


「……なんだそれ。あんなんで本気で喜ぶって思ってるの?


「思ったんだ」


「嘘だ。どうせ自分が楽しみたかっただけだろ。いつもみたいなニヤケ顔でさ。人になんて思われようが、お前は平気だもんな」


「思ったんだよ」その声は、切実で今にも消え入りそうだった。「本当に、思ったんだ。だってあれしか思い浮かばなかった」


「……本気?」


 国領はスカートの裾をぎゅっと握って、薄っすらと涙の膜が張った目でオレを見下ろしている。

 演技だとは、思えなかった。


「私だって、みんなに嫌われたいわけじゃないのに、いつもうまくいかないよ。メイクだって、ちゃんと教えたらドン引きされた。気づいたら人を怒らせてる。もう、諦めてる」


 吐き出すように言った彼女の言葉に悲しくなった。

 オレの中に湧いてきた、世をすねるガキじみた感情を振り切るように口の端を曲げた。

 無理やり笑った。

 気を遣って、使って、将来が来て、きっとその先も気を遣って。そんなのが死ぬまで続くなら、どっかで諦めたほうが楽なのかなって思ってしまったんだ。それは、国領のせいだ。


「生きるの下手くそだな、お前。もっと強いやつかと思ってた」


「ちとせちゃん。わたしのこと、嫌わないで」


「……さっさとゴミ片付けちゃって。私も掃除済ませるから」


「うん。何、考えてるの? 今」


「怒ってる。他にも色々思ってる。いい機会だから、私が何考えてるか想像する練習でもしたら?」


 シンクに向き直ってスポンジを握った。今度は抱きつかれなかった。

 代わりにべりべりとペットボトルからラベルを剥がす音が聞こえてきた。


「ちとせちゃんって優しい。でも、ぜんぜんわかんない」


「少しは頑張れ」


「わかんないよ」


「じゃあ1個だけ教えてあげる」


「なになに?」


 顔も見ずに、それでも彼女が楽しげに目を光らせているのがわかる。

 

「意外と、心が軽くなった。私のキスで、結城とあかりが喧嘩でもすればいいって、思ってる。国領が私の事を優しいっていったのは大外れだね。私はぜんっっぜん優しくない。ざまあみろ」


「それ、ずるいよ。わたしが言ったからじゃん!」


「さあ、どうだろうね」


 力を抜いて笑えたのも久しぶりだ。

 ああ、そういえばひなたへの返信をずっとしていない。なんだかどうでも良くなってきた。

 もうすっかり夜だ。家は歩いて近いから、いいんだけどさ。母も夜勤だし。


「ちとせちゃん」


「んー?」


 肩を叩かれて、横を見た。国領の顔が近い。

 距離を取るまもなく唇同士が軽く触れ合った。


「上書き。これでもう結城君は居ないよ」


 国領が、いたずらっぽく人差し指を自分の唇にやって微笑む。


「……意味ねーよ」

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