はいしん
「なんか、結構ごちゃごちゃしてるんだね」
かえでがリュックから出てきたノートPCやマイクやカメラ、三脚なんかをセッティングする背中をしげしげと眺めていた。
私は機械に疎いからどれがどれかなんてさっぱりだ。
「スマホだけでも出来なくはないんだけどね。わたしのは没収されちゃったし、お姉様ので配信するのもどうかなーって思ったから」
「ふうん。よくわかんない、よく知ってるねそういうの」
「たまにやってたからねえ。顔や声だすのは始めてだけど。あ、ちとせちゃん、そこ、立ってみて」
かえでが指差した、フェンスもない屋上の縁。私はうなずいて、そこに足をかけた。
そこが膝下ぐらいの高さの段差になっていて、ゆっくりと上った。
「こう?」
いつもよりちょっとだけ高くなっただけの、ビルと住宅に囲まれた、狭苦しいいつもの景色だ。恐る恐る下を見れば緑色のウレタン舗装されたグランドが広がっている。
4階程度ってかえでは言ったけれど、頭からおっこちたら死ねそうな高さはあるように思えるし、ちょっと怖い。
「いい感じ。振り返ってみて」
「ん」
足踏みするようにゆっくりと振り返る。背中がすーすーする。預けるものがないって、結構怖い。
手のひら大のカメラを持ったかえでが、笑みを浮かべて手を振っていた。
足元に置かれたPCにも、なにやら私の姿がくっきりと映っている。
そっか。こんな風に世界中の人に見られるんだ。
そう思うと胃のあたりがきゅうっとした。
「笑ってー。ピースピース」
「こ、こう? ぴーす」
自分でもぎこちない笑みなのが分かる。指ががっちがちだ。
「もっと自然な笑顔で! はい、ピース!」
「ぴ、ぴーす!」
指の形を作って、、口の端を無理やり上げたら、かえでが吹き出した。
なんで。
「別にピースは声にださなくて良いんだよ?」
「!?」
一気に赤面したのが分かってしまった。
かえでがけたけたとお腹を抑えて豪快に笑うのがすごくはらたつ。こいつめ。
「はーあ。おかしい。ピースって言われて本当にピースって言う人はじめてみた」
かえでがカメラを持ったまま、縁に上ってきて隣に立った。
まだ笑ってるし。
睨みあげてやったら、余計に、にへらとだらしない笑顔をされる。
「笑いすぎ」
「あ。怒ってる。わたし、意外とちとせちゃんの怒り顔好きなんだよね」
「悪趣味」
「だって、ちゃんと何かを期待してる怒り方だもん。そういうのはすごく好きだよ。また、怒られるんだろうなあ、お父様に」
かえでが悲しそうに笑うから、衝動的にかえでを正面から抱きしめた。
背中に手を回した。頭1個分の身長差がなんだか丁度いい。
「動画見た」
「そっか」
「これが正しいんだよ」
それを証明するように、手に力を込める。
かえでも、そっと手を回して、抱き返してきた。
「間違った心の働きだっていうのは、理性じゃわかるんだ。未だに嫌いになれないんだ、お父様の事」
「好き」
私が言う。
「好きだよ」
かえでが答えた。
「私がちゃんと好きでいるよ。かえでが何をしても」
「おお。どうしたの、さっきはあんなに好きっていうの恥ずかしがってたじゃん」
からかうような声で、かえでが体をくすくすと震わせる。
それだって、今はそんなに恥ずかしいって思わなくて、ただ悲しかった。
「言いたい気分」
「前から思ってたけど、ちとせちゃんってさ、二人っきりのときはめっちゃ甘えてくるよね。人前じゃ手も繋がないくせにさ。実は甘えん坊だったりして」
「そうだよ。本当は1秒も離れたくない」
「それに、尽くすタイプだ」
「そうかもね。好きになった人にはなんでもしてあげたい」
「ありがと」
「うん」
「わたしさ。もっと、頭のいい生き方なかったのかなっていつも思う。いつも間違ってるんじゃないかって、不安なんだよ。怒られてばっかりで、全然自信ないんだ本当は」
平板な声だった。悲観も楽観もない、空っぽのようによく響く声。これがかえでの素なのだと思った。
「きっと頭のいい人なんてどこにもいないんだよ」
「ありがとう、本当に。そろそろ、はじめるね。ツイッターにも告知しておくよ」
私達は体を離して、そうして配信は始まった。
……。
「こんにちは! 顔出しするのは始めてですね! 『かえかえ』と!」
かえでがぐわんと勢いよくカメラをこっちに向ける。
すっごい焦る。頭の中が一瞬で真っ白になった。
「え、ええと。ち、ちとせです」
「名乗っちゃうの!?」
「え、名乗っちゃだめなの!?」
そんなの知らなかった。
「ネット下手か!」
「先に言ってよ!」
「まあいいけど。どうせ特定されちゃうだろうし。……ええと、改めまして、かえでです。今日は皆さんにお話したいことがあって、顔出ししてます」
かえで、話すの上手いな。慣れてるって感じ。
いくつかに分散させた配信サイトのコメントや、ツイッターの方も結構すぐに人が集まってきたのは、かえでの言う通り、もともとの知名度のせいなんだろう。
ネットだと人気者なんだなあとか、そんなことを思いながら話し続けるかえでの姿をぼんやりと見ている。しばらくは、当たり障りのないトークで場を盛り上げていたみたいで、徐々に閲覧数も増えてくる。
「見て見てちとせちゃん。可愛いってコメントいっぱい来てるよ」
「ああ、うん。そうなんだ」
は、恥ずかしいなこれ。
「ちとせちゃん。そろそろ動画貼るね。スマホ、お願い」
かえでがそっと耳打ちし、空いている方の手で私の手を握った。
私が握り返すと、かえでも強く握り返してくる。
少し、震えていた。
「やるよ。かえで」
最後のアップは、私の手で行った。
あっけなく、それはネットの海へと放流されていく。
かえでのツイッターのアカウントに、アップしたのだ。
すぐに消えてしまうかもしれない。
でも、今確実に誰かが見ている。
すべて広まってしまえばいい。それが私達が出来るちっぽけな反抗だった。
「今、これを見てる皆。わたし達は今、学校の屋上に居ます。自殺しようと思うんです。生きてるのがつらいからです」
その声は平板で、さっきまでの楽しげな放送の声音はどこかへ消えていた。
ちっともかえでらしくない声。
つらそうな横顔を、今すぐ抱きしめて上げたかったけれど、かえでは、まっすぐにカメラを睨み話し続けている。
「隣の彼女…わたしの大事なちとせちゃんは、いじめにあっています。今から、いじめているヤツの名前を、読み上げます」
もう、コメントを見る余裕はなかった。ふたりでカメラ越しの世界を睨み続ける。
私もかえでも、もう戻れない。それで良かった。
「おい、お前たち、何をしている! 今すぐやめろ!」
かえでが名前を読み上げ始める直前。
担任の男性教師、志々目が、扉を壊さん勢いで駆け込んできた。
その後ろには、私達のクラスメイトの幾人かの姿もあった。
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