高校生活㉗
「ねえ、お母さん。私、彼氏と別れた」
その日の夜は母が居て、久しぶりに一緒に居間のソファーに座って、テレビを眺めながら過ごしていた。母には出来るだけ隠し事をしない。自分で決めたルールに則って、ここしばらくの出来事を話していく。
「そうなの」
母はむしろ納得したように小さく顎を引いた。こちらを見ようともせず、テレビに集中していて、特段驚いたところもなかった。
「でね。彼女が出来……るのかも」
あれ。もうできてるんだっけ。好きとは言ったけど、付き合うとは言ってない。
お互い好きって言い合って、ほとんどの時間を一緒に過ごしてる。これって付き合ってるってこと?
うーん。よくわからない。
「良かったじゃん。ちとせは、彼女の方が似合ってるよ」
「それって、私が男だからってこと?」
「そうそう。前もいったとおり、ワタシにとってちとせは男だからさ」
そう言って、母はスマホをに目を落として、しばらくしたらそれをこちらに突き出してくる。
画面には9歳だったか、まだ男のころのオレが写っている。
入浴中で全裸なのに、カメラに向かってピースをしてアホ丸出しだ。
「ちんちんだ」
変な意味じゃなくて、なんだか感慨深くなってしまった。
この頃はまだあったんだ。髪だって、坊主に近いぐらい短い。ザ・男の子って感じ。
男のだった頃のオレの姿。
懐かしさは感じるけれど、今まで抱いていた胸が痛くなるような郷愁じみた感情は、もう湧いてこなかった。
「ちんちんだねえ。まだあるよ。もっと見る?」
スマホに目を落としたっきり、その視線は男の子のオレを慈しむように目を細めている。
母はオレを男として生んで、男として育ててきた。そういう、思い出がずっと胸の奥底に眠っている。
そうだよね。お母さんだって、割り切れないんだ。オレと同じだ。
かえでの言ったことを、ふと思い出した。
自分に優しく、かあ。
もしかしたら、お母さんを傷つけるかもしれない。でも、伝えたい気持ちがあった。
「お母さん。あのね」
「んー?」
「私、いじめられてる」
「ちとせ」
目が険しくなって、はっとしたようにオレの顔を見やった。今日はじめて目が合った。
「勘違いしないで。かえでが……友達がいるから」
「あんた、中学の時みたいなことになってない?」
「なってない。信じて」
「無理してないでしょうね?」
「しないようにしたい。人から嫌われるのが怖くて女のふりしてたから」
「そう、よね」
「でもさ。案外、楽しいんだ。料理も好きだし、おしゃれをするのだって、服を選ぶのだって好きだ。メイクの仕方を教え合うのも楽しいし。今でもカードゲームだって好きだし、女の子のことを好きにもなる。仮に男に戻れる薬が出来たとして、私はそれを飲まないと思う」
「ちとせは女になりたいの?」
お母さんの顔に影がさした。悲しそうな顔だった。それでも、ちゃんと言わなきゃ。
「わからないんだ。男だったオレが消えるわけない。でも、女としてやってきた色々も、すごく好きだって、最近思うんだ。ごちゃごちゃな心がしんどいこともあるけど、お母さん。私は今が好き。宙ぶらりんで、どうしようもないけど、今がいいよ。それだけ、ちゃんと言っておきたかった。お母さんと、考えは違うけど」
「ねえ、ちとせ。お母さんは、どうしたってちとせのこと男だって、見ちゃうんだよ」
「分かってるよ。言っても仕方ないし、お互い傷つくだけっていうのも。でも言いたかった。お母さん、明日からも、頑張って学校行くから」
「……なんか、ちとせ変わったね」
悲しそうに、寂しそうに、そして嬉しそうに、母は微笑んだ。
「変わりたいんだよ。私は、大丈夫」
……。
朝。
「かーえでー」
かえでの背中に抱きついた。
「うわっ!? びっくりしたっ」
一緒に登校しようって、彼女のマンション前で待ち合わせをしていたのだ。
人通りは少ないし、女子同士がじゃれあうぐらい、きっといいよね。たぶん。
「めっちゃ不安だよー。かーえーでー」
ちゃんと言うって決めたけど、不安で不安で仕方ないし、朝からお腹が痛いよ。
「よしよし」
前に回した両手をギュッと掴まれると、少し落ち着いた気がした。
「あと30秒ぐらい、こうしてて」
「30分でも良いよ」
「それは……遅刻する」
とか言ってる間に30秒経って、体を離した。彼女の横に立って一緒に歩き始める。朝日がやけに眩しかった。
「っていうかさー。ちとせちゃん、変わったよね」
「ええ? 嘘。どこが?」
「めっちゃ甘えてくるじゃん!」
「……だめ?」
「だめじゃないよ。楽しいなあって」
「たぶん、これが素かも」
「手つなぐ?」
「うん」
駅を目指して歩いて大通りに出てた。指と指を絡めて、のんびり歩いていく。
はあ。すごく落ち着く。人がそこそこ増えてきたけど、ぎりセーフ、だよね?
「じゃあそろそろキスしていい?」
「流石にここじゃやだよ。恥ずかしいし」
「ちとせちゃんも中々面倒くさい女だね!」
私は別に悪くないと思う。
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