高校生活⑳
「もう。ちとせちゃん。一緒に入ればよかったのに」
「恥ずかしい」
なんの飾り気もない言葉が口をついた。
彫刻みたいな彼女の体に対して、痩せた胸のオレの体はあまりにリアルだ。
美人を妬むってわけじゃないけど、純粋に恥ずかしいって思ったのだ。
国領がオレが男だったって知ってるっていうのもあるけれど、差を感じてしまうのだ。
それは、体の話だけじゃない。
「わたしはちとせちゃんの裸が見たかったのに!」
国領がオレの隣で唇を尖らせた。
キャミソールと下着だけっていうだらしのない格好で、同じくらい表情もしまりがない。
くつろぎきっている猫みたいだ。
「…本当にいつもストレートだよね」
言いたいことをなんでも言える彼女のことが、少しだけ、羨ましい。
腿と腿が触れる距離で、彼女の体温を感じる。
テレビもないリビングは時計の音がやけに大きく聞こえた。
ひなたからの返信はあれから一度もない。スマホはひたすらに静かだ。
もしかしたら外ではとっくに世界は滅んでしまったのかもしれない。その方が、良いけど。
「別に意識はしてないよ」
「その方が重症だよ」
「重症って! だめなのはわかってるつもり。でも、直そうにもいつも失敗するんだよね」
苦笑いが寂しげに影を落としている。
似合わないな。そう思ったから肩同士で国領の体をちょっと押した。
「部屋がきれいになってる。やればできるじゃん」
掃除をした形跡は見受けられるのだ。正直に言えば、まだ散らかってる部類に入る。
だけど、しようとすることは大いなる進歩だって思う。
「うへへ。褒められた」
わかりやすく彼女の顔が華やいで、ほっとした。
「国領って、意外と気にするんだ、その、人の目とか」
「しないわけじゃないよ。わたしだって嫌な顔されたら傷つく。でも、それで言いたいこと言えないのも嫌だし」
「良いな、国領は強くて」
「わたしは諦めてるだけ。ちゃんと立ち向かってるちとせちゃんの方がよっぽど強い。中学の時だって、みんなと戦ってた。そういうところを好きになったんだ。最初は珍しいもの見たさだったけどね!」
「後悔してるよ。今は怯えて暮らす毎日」
鼻を鳴らして薄ら笑みを浮かべた。
小学生の時から、変な意地なんてはらずに女らしくしていれば良かったのだ。
そうしていれば、今日伊藤にバカにされることだってなかったんだ。
「……ねえ、ちとせちゃん。これ見て」
国領がキャミソール胸元を撫でた。
ずっと気になっていたけど、訊けなかったことだ。
大きな縫合の痕が乳房の間に真っすぐ走っている。
青白くて陶器のような人形じみた彼女の容姿の中で、そこだけが妙に生々しかった。
「……うん」
「これ、昔事故でついた傷なんだ」
「そう、なんだ」
底抜けに明るい声だ。
目線を戻すと彼女はむしろ誇らしそうな顔をしている。
「わたしが道路に飛び出して、お母様がかばってくれたんだ。わたしだけが、生き残っちゃった。だから、お父様はわたしを恨んでる。言うことを聞かないと包丁を突きつけられたりしたし……殴られたりしてた。わたしがお母様にそっくりに育っていくのも癪に障るみたい。顔だけは殴らないんだよ、うけるでしょ」
「いや、ぜんぜん笑えないから」
彼女の笑みは嘘のように綺麗なままだ。
話の内容だけが、ぽっかりと空中に浮かんでオレの頭にはちっとも入ってこなかった。
「笑える話だよ。お姉様がね、このマンションを借りてくれた。わたしが家を出ていくことは、お父様も何も言わなかったよ。だんだんエスカレートしていってたから、まずいって思ってたのかもね。今でもは時々ご機嫌取りに来るんだよ?」
くすくすと笑う彼女の笑い声が浴室に響いている。
この話が本当かどうかも、オレには分からない。それなのにオレはただ悲しかった。
国領が以前包丁を持ち出してきたことを思い出して無性に悲しくなったのだ。
「……何が言いたいの?」
そんなことしか言葉が出なかった。もう、聞きたくなかったのだ。
国領は少し「うーん」と小首をかしげて、にっこりした。
「親から嫌われても、こうやって元気にやれてるよ。他人から少し暗い気持ち悪いって言われても、大丈夫。だから、元気だしてよ」
あっけらかんと言い放って、口調も軽い。でも、最近わかってきたのだ。
こいつの考えていることは顔を見れば分かる。
子犬みたいにオレの表情を窺って、眉が下がっている。
心配してくれているのだ。
また、笑ってしまった。息を大きく吸って、吐き出した。
「はーあ。慰め方下手くそすぎだってば。逆に暗い気持ちになったよ」
「おかしいなあ。仲良くなるには自分を開示すべしって本にあったのに」
「誰がそんな重たい話聞いて仲良くなろうなろうと思うんだよ」
「ふーん。そっか。難しいね、仲良くなるのって」
「……十分、仲良くなってるよ」
口の中だけで、小さく言った。
いい加減、認めるよ。あかりや結城まで含めても、オレが素を出せるのは国領の前だけだ。
案の定国領には聞こえてなかったみたいで彼女は小首をかしげた。
「なにか言った?」
「なんでもない。暴力は二度とするなって言っただけ。わかった?」
「わかってる。もう絶対しない。後で、お父様と同じことしてるって、吐き気がしたんだ」
なんだかなあ。大きなため息が出た。
国領だって生きてきたら、当然色んなものを抱えることだってある。そんなのみんなと一緒だ。
オレはそんなことすら考えつかなかった。
こいつは変なやつ。普通じゃないやつ。だから、排除されてる。それが当然。
じゃあ、普通の人ってなんなんだろう。
違うって、そんなに悪いことなのかな。
オレはそんなに悪いことした? 気持ち悪いって言われれうようなこと、した? みんなに迷惑かけた?
お腹の中に暗い怒りがぐらぐら煮え立ってくるのがわかって、慌てて頭を振った。
だめだ。こういうことは考えない。中学を卒業する時に決めたのだ。
理屈じゃない。感情の問題だから、ちゃんと笑顔でいるだけで解決する。
それだけの話だから、オレは明日も学校で国領とは話をしないし、ひなたに今日のことを必死に謝っているんだろう。
あーあ。こんな辛い気持ちなんてどうでもいいんだ。
ふっと、力を抜いて俯いている国領の頬をつついた。
「ねえ、国領。明日、何食べたい?」
「ピーマン」
「オレは肉が食べたい。ピーマンの肉詰めにしようかな」
「わたしお肉食べられないのに!」
「嫌だ。国領に対しては遠慮してやらない」
「えー……? あ。もう1個開示。わたし、漫画書いててツイッターでそこそこバズ――」
無機質なチャイム音がなって、国領の表情が静止した。
本当に彫刻になったみたいな、初めて見る顔だった。
「お客さん?」
「やばい。たぶんお父様だ。もうちょい遅くにくるはずだったのに」
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