高校生活㉑
「ちとせちゃん。隠れてて。お父様に会わせたくない」
慌てた国領に背中を押されて、リビング横にある国領の私室に息を潜めている。
この間だって会って話したんだし今更だよ。
そう言ったけど、彼女にしては珍しく頑なに断られてしまった。
明かりをつけていない彼女の部屋にも、目が慣れてきた。
薄暗がりの中ベッドに腰を下ろす。
パソコンと液タブ、参考資料と思しきポージング人形。そして、漫画や小説の山が乱雑にあちこちにできている。確かに漫画を書いてる人の部屋って感じだ。
国領にはこんな趣味もあるんだな。
意外、でもないか。やりたいこととか、将来のこと。オレにはなんにもないな。
胸のあたりがちくりとした。国領のことを羨んでばっかりだな、オレ。なにやってんだか。
「かえで。最近どうだい。元気でやっているかい?」
「まあまあだよ」
ドア越しにくぐもった男の声がする。相変わらず気取った風の演技じみた口調だ。
別に、盗み聞きする気はない。聞こえてくるものは仕方ない。うん。
「それにしてもひどい格好だ。いい加減慎みを覚えなさい。君はもう17歳なんだ」
「着替えてる途中だったんだよ。雨に振られちゃってさ」
「だったらさっさと部屋に行って着替えてきなさい」
うん? 部屋? 着替え? それってオレのいる部屋だよね。
「後で良いよ。まだ暑いから。別に変じゃないでしょ」
「ふざけたこと言ってないで、早く行きなさい。お前だって、私の娘なんだ。私に恥をかかせるのも、もういい加減にしてくれ」
「やだってば」
国領も頑な態度だ。
確定だ。この部屋に着替えがあるんだ。
「っ」
鋭い何かを打つ音がした。
息を呑む。誰かが、誰かを叩いた音、なのだろうか。
でも、さっきの話だと、国領はそういうことを言っていた。半信半疑だったけど、まさか本当に?
「早く行きなさい」
「いったいなあ。わかったよ。行くから。いーきーまーすーよー」
足音がする。まずい。隠れなきゃ!
ウォークインクローゼットの中……バカ。服を探しに来るのにここはだめだ。
ああ、もう時間がない。深く考える日まもなく、椅子を引いて大きなデスクの下に膝を抱えて隠れた。
ドアが開き、明かりがつく。
国領が部屋に入って来たみたいだ。白い脚だけが、見えている。後からおってくるスーツの脚が見えると同時、きつすぎる香水の匂いが部屋を満たしたみたいだった。
「着替えぐらい、ひとりでできますよ。お父様?」
舞台俳優みたいに大げさに肩をすくめていそうな声だ。
演技っぽいところは、やっぱり似ている。悲しいけど、親子なんだ。
「どうだか。お前は何一つひとりじゃできない子だった。さくらとは大違いだ。その証拠に未だにこんな……わけのわからないものに没頭してる。ちゃんと勉強はしているのかい」
さくらは、話に聞いてた国領のお姉さんかな。
スーツの脚が漫画の山を軽く蹴飛ばして、本が崩れ落ちるのが見えた。
本を足蹴にするなんて。地獄に落ちてしまえ。
「してるよ。それなりに」
「お前だって、やがて私の会社で働くんだ。それを理解しているのんだろうね?」
「だから……前も言ったけど、それは無理だって。わたしは人の中で生活できない。自分が一番しってる。だからあんまり人と関わらない仕事を目指してる。何度もそう言ったよ」
「それは君の努力が足りないだけだ。人との付き合いなんて表面上どうとでもなるだろう。それで、目指すのが漫画家か? 馬鹿馬鹿しい。君に才能があるのか? 将来の保証は? 愚かな道だよそれは」
「もういいって。大学だってお父様の指定したところ受かるように頑張るし、そのための勉強だってちゃんとしてるよ。でも職業は…自分で決めさせてよ。合わない職業に就いたって地獄なだけ。今の学校でもわかる。……わたし、友達いないもん。ちとせちゃんはすごく良くしてくれるけど」
国領の声は薄ら笑いが滲んでいる。でも、とても悲しそうにオレには聞こえた。
「ちとせ? ああ。文倉さんか。かえで。あの子と付き合いもやめなさい。さくらから聞いたよ。お弁当を作ってもらってるんだってね」
「それが?」
「あの子は……片親だろう。貧しいところの子だよ。一度話してみたけれど、生意気そうで、正直かえでが付き合うべき人間じゃあない。どうせ弁当の代償に高い金を払わされているんだろう?」
「はあ!? そんなわけないじゃん!」
「今はまだ、というだけだ。かえで。君のために言うけどね、あまり他人を信用しない方が傷つかないで済むんだよ。それにあの子は、変な病気を持ってるって話しじゃないか。まったく。これだから私の言う学校に通いなさいと何度も言ったのに。ロクでもない人間とばかりつるんで、昔から私の言うことは何一つ聞こうとしない」
やばい。今日の今日で、また泣きそうだ。
鼻がつんとするけど、我慢した。ぎゅっと膝に顔を押し付ける。
涙がぽたぽたと垂れるまま、拭えもしない。
でも、大丈夫だ。どうでもいいんだ。
このまま耳をふさいでやり過ごしてしまえばいいんだから。
裕福じゃない。それも本当だ。貧しいわけじゃないけど。
病気だってもってる。感染するものじゃないけど、他人はそうは見てくれない。
全部本当のことだなんだから。
「……関係ないよ」
「かえで?」
「関係ないよ! 病気とか! ちとせちゃんはちとせちゃんだよ。そうやって人を見下して、そういうところが嫌だっていってんの!」
乾いた音が響いた。オレが叩かれたわけじゃないのに、薄気味悪いほど穏やかな声に思わず体がびくりと反応した。
「良いかい、かえで、よく聞いて。かえではまだ子供だ。私がお金をかけて育てている。今も、将来的な費用だって、私が出すんだ。私が居なければ、かえでは生きていけない。だったら、私の言うことを聞くべきだし、感謝するべきだ。わかるだろう?」
「……感謝はしてるよ。でも、ちとせちゃんとお別れするのは嫌だ」
「言うことを聞きなさい。かえでのためにも、友人は選ぶべきだ。ましてや病気持ちの子なんて、ありえない」
「嫌だ。ちとせちゃんは、学校ではじめてわたしに優しくしてくれた人なんだよ。好きなんだ」
「かえで! 気持ちの悪いことを言うな!」
いよいよ怒鳴り声が身を震わせる。
どうだって良いよ。所詮他人の親子の言い争いだ。
このまま隠れていれば、いつもみたいに過ぎ去るのを待っていればいい。
漫画家になる? 女が女を好きになる?
ちゃんと大学にいって、良い会社に入って、男を好きになって普通に生きて行くほうがいいに決まってる。
間違ってない。これが正解だ。
だから、どうでもいいよ。
どうだって、いい。
どうでもいいんだよ、全部。
「いっ、いたいから、やめてよ」
国領。
くそ。くそ、くそ、くそ!
どうでもいいわけない!
だって、国領は、
椅子を脚で蹴飛ばした。転がった椅子が、スーツの脚をかすめて、漫画の山をまた崩すのが見えた。
しん、とした部屋の中、ゆっくりと立ち上がった。
かえての髪を掴んだままの国領の父が、呆気にとられた目でオレを見ていた。
「国領に……かえでに、わたしの友達にひどいことしないでください」
だって、国領はオレの大事な友達なんだ。
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