高校生活⑦

「ねえ。先生が呼んでるっていうの、嘘だよね」


 隣に座った国領の顔を見ずに言った。


「うん。嘘」


「やっぱりね」


 教室に戻るのも気まずくて、結局その場で昼食を食べている。目が赤いのが元に戻るまでは、とてもじゃないけど顔を出せない。

 流石にパンツは履いた。地べたに座ってスカートが汚れるけれど、それでも構わない。どうせ国領しか見ていないんだ。

 そして彼女もスカートを気にせず、足を抱えて座っている。

 国領と二人っきり。なんだか妙なことになった。


「おいかけないの? 山田くんのこと」


「別に。間違いだってわかったら、戻ってくるんじゃない?」


「彼氏なのに、冷たいんだ」


「普通だよ。そこまでべったりな方がおかしい。後さ、私は国領と付き合う気なんてないからね。いい加減諦めなよ」


「わかってるよ。とっくにそんなこと。わたしがやりたいからやってるだけ」


「国領はいつもそれだよ。したいことをやる。周りなんてお構いなし」


 返事はなかった。

 横目で見るときれいな横顔がぼんやりと空を見上げている。

 その顔はとてもきれいで、男でも女でもないように見えた。雲が通過して、一瞬影がさした。

 彼女が顔を下げて、オレを見る。ぼんやりした顔だ。まんまるな猫みたいな目と、目が合った。


「わたしはそうやってしか生きられないっぽい。仕方ないよ」


「仕方ないか」


「うん。仕方ない仕方ない。こうやって生まれてきたんだから。それにしても、ちとせちゃん、怒らないよね」


「怒る要素があった? 確かに学校じゃあんまり話しかけないでほしいけど」


「二人でイチャついてたのを、邪魔したじゃん」


 虚を突かれた気がした。そうだよ。本当なら、そっちを怒るべきなんだ。


「……別に、どうだっていい。ああいうのは、いつだってできるし」


 拗ねた子供みたいな声が、自分の口から出た。ほっとしているのを悟られたくなかった。

 ウインナーを箸で突き刺して、お行儀悪く口に運ぶ。


 あんまり味がしない。

 文彦の舌の感触がざらついて残っている。乱暴に触られた下着の中が、じんじんとした熱と痛みを持ち続けている。


 怖かった。あの瞬間、文彦が化け物のように見えてしまった。また、いつか、いつだって、ああいうことを求められる。付き合うって、恋人ってそういうことだ。

 慣れてしまえば、きっと大丈夫なんだろう。今ははじめてだからびびってるだけだ。



「死ねば」


「はっ?」


「死ねば、全部終わるんだよ。だから生きてる。一歩一歩毎日醜くなって、皺で厚くなった面でお茶を飲みながら、あの頃は良かったねって笑うクソみたいな日が、いつか来る。それが幸せって言ってる、ごみみたいな大人にわたし達もなるんだよ」


「そういうのは中学生で卒業しておきなよ」


 冗談かとも一瞬思った。けれどオレを見据えるその目はちっとも笑っていなかった。


「嫌だ。私は変わりたくない。ちとせちゃん。そんな将来のために、泣くほど辛い思いする必要ないじゃん」


「……もしかして、慰めてる?」


 はは、って乾いた笑いが出てしまった。なんだよそれ。


「頑張ってるちとせちゃんはいい子いい子してあげよう」


 立ち上がって、頭の上に伸びてきた手を全力で掴んだ。


「それだけはまじでやめろ。髪が乱れる」


「いいじゃん。髪キレイなんだし触らせてよ」


「ふざけんな。お前も女なら嫌なのわかんだろ!」


 ぐいぐいと手を押し付けようとしてくる国領の手を、なんとか抑え続けた。

 国領はすごく華奢だ。手足なんかも細すぎるぐらいだし、身長だって、152cmのオレと並んでみた感じ、大差ない。

 だから、なのだろう。


 両手を止めようとするオレと、無理やりにでも髪を触ろうとする国領。押し合いは互角の戦いだった。

 押しては返して、掴んで掴まって。

 不毛に体力を消費して、やがて息が上がった。


 上からオレの顔を覗き込みながら、上気した顔で彼女はいたずらっぽく歯を見せて笑う。


「はぁ……はぁ…。ちとせちゃんもやるもんだね。結局触れなかった」


「あーもう! 鬱陶しいんだよ、お前!」


「良いじゃん。わたしがやりたいからやるんだよ」


「オレが嫌だっていってんだ!」


「それとちとせちゃん。ずっとパンツ見えてるからね。水色の」


「…別に。今さらどうでもいいよ」


 そんなにも慌てずに、スカートを直して脚を閉じた。普段は気遣っていることも、忘れてしまったみたいだ。


 国領も息を大きく吐きながら、オレのよこに座り直した。

 暑いのに、よくやるよ。…なにやってんだろうな、一体。

 だめだ。こいつといるとペースが乱れる。


「すっかり男口調だし。またオレって言ってるし」


 そこを目ざとく指摘してくるのが、また腹立たしい。気づいても黙っておいてほしい。

 こいつには人を気遣う心ってもんがないんだ。


「るさい。お前のせいだ。お前といると、昔を思い出していらいらする」


 男になんて、戻れるわけないのに。思い出したってつらいだけだ。


「いいじゃん、男口調。わたしは好きだな。っていうかちとせちゃんの全部が好き」


「……私は嫌いだよ。普通でいいんだ。国領みたいに自分勝手に生きたいわけじゃない。普通じゃない人間が普通の振りをするなら、つらいことだってあるに決まってる。そんなのとっくに割り切ってるんだから、そっとしておいてよ。変な慰めもいらない。もう、私に構わないでほしい」


 目を見て、真剣な顔をして告げたつもりだ。

 だけどあいつは、手で赤くなった顔を仰ぎながら事も無げにあっさり笑った。


「え。いやだ」


「お前……本当に怒るよ」


「怒ってよ。教室のときみたいにへらへらしてるよりずっと良い。あ、あとわたしドMだし。ちとせちゃんに叱られるなら嬉しい。ちとせちゃん居なかったらその辺の汚いおっさんとやってそうだもん、わたし」


「はあ……もう。なんか疲れた。冗談でもそういう事言わないで」


 何を言っても無駄だ。ため息をついて、半分ぐらい残ってた弁当を包み直した。

 食べる気力もなくなったんだ。


「あれ。残すの? ちゃんと食べないと、ちとせちゃん痩せすぎてるんだから。もっと太りなよ」


「お母さんかよお前は。良いんだよ、私が作って私が残すんだから。それと。体型のことは言わないで良いから」


「うん。ごめん。今のは失言。体型は、私も色々気になるから、言われたくないよね」


 よっぽどオレの剣幕が鋭かったのか、それとも国領自身にも思うところがあったのか。

 珍しく素直に謝った。バツが悪そうに後ろ髪をいじりながら、眉下げしょげている。なんかミニチュアダックスみたいな顔だ。


 実際気にはしている。死ぬほどね。

 私は、私の身体だって好きじゃない。

 平らな胸だって、肉付きの悪いお尻だってすごく嫌だ。

 

 高校生になったけど、ちっとも女らしくならない。男の残滓がそこにあるみたいで、すごく嫌だ。

 早く、あかりみたいに女らしい体になりたいけれど、毎年の身体測定には落胆するばかり。身長だって低すぎるし。

 …無理なのかな、もう。


「そう言えば、久しぶりにあかりちゃんに会ったんだよ。この前」


「……は? なんで国領が?」

 

「なんで睨むのさ! 本当にわかりやすいよね、ちとせちゃん。まだ好きなんだねえ、君ってば一途。この純情さん!」


 冗談めかして、肩を軽く叩かれる。睨んだつもりはなかった。

 けど、オレはきっと国領の言う通りわかりやすいんだろう。彼女のくすくすと口元に手をやって、妙に上品ぶってるところが余計にむかつく。


「別に。もう好きじゃない。だいたいあいつは結城と付き合ってるんだから」


「あ。今度は赤くなった。なんかうける」


「で。なに?」


 こいつと話す時は、まともに受け答えしないこと。ようやくわかってきた。


「中学の時は、1回も同じクラスになることなかったけどさ。私とあかりちゃんって、結構連絡取り合ってたんだよ。ちとせちゃんを守ろう同盟、みたいな」


「……ふーん」


 知らなかった。うすうすは感じていたけど。

 中学の時は…ほとんど無視をされていた。

 あの事をいじめとは、いいたくない。相手のためじゃない。オレのプライドのためだ。

 きっと、皆だってオレみたいな異物が居たから、どう扱ったら良いか分からなかっただけだ。

 それだけなんだ。

 

 それでもあかりと国領だけは、顔を見かけるたびに話しかけてくれたのだ。

 その二人が裏でやりとりする仲になっていた。わからない話じゃないけど、やっぱりもやもやする。


「守ろう、ね。やっぱりそういう風に見てたんだ」


 皮肉っぽく鼻で笑った。オレ、いやなやつだ。たぶん、8割は嫌なことを思い出したせい。びょーきの文倉ちとせくん。


「まあね。んで。頼まれたんですよ」


 で。相変わらずこいつも遠慮しない。

 だけど、それが楽だった。変な気を使われるより全然いい。


「なにを?」


「水着買いに行く約束してたけど、色々あったせいで、ちとせちゃんは遠慮して自分から言い出せないだろうって。あかりちゃんが自分からラインしても、ずっと既読スルーだからって。だから、私から誘ってほしいって頼まれた」


「……はらたつ」


「えー。なんでー。超優しいじゃん、あかりちゃん」


「裏でこそこそ根回しするのは別にいいけど、それを堂々とオレに言っちゃう国領にはらたつ」


 後、情けない自分に一番はらがたつ。 


「なんか理不尽。行こうよ。きっと楽しいよ」


「……確かにスルーしてたのは私が悪いよ。でも聞いてるかも知れないけど、結城に悪いよ」


「その辺は、わたしも一緒に行くから平気でしょ。3人だし」


「え。国領もくるの? 普通に嫌なんだけど」


「本当に酷いよね、ちとせちゃんって!」


 平板に言ったつもりの声が少し震えた。

 怖い。だってこれは間違っている。

 結城のためにも、オレのためにも、あかりのためにも、オレ達はきっと会うべきじゃない。

 国領のペースに飲み込まれていて、楽観的に考えすぎていた。それは言い訳だ。、


「嘘。国領。一緒に来てくれると、すごく嬉しい」


 そう言ってしまったのは、オレがどうしょうもなく弱いからだ。

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