高校生活⑪(さよなら)
結城は10分ぐらいして到着した。
自宅に居て慌てて飛び出してきたそうだ。マンションの入り口についた彼は、国領が迎えに行った。
あかりはソファーで膝を抱えて座っていて、結城がリビングに入ってきたときも顔を上げない。
恥じているようにも見えたし、未だに恐怖しているようにも見える。
二人きりになっても、結局の所、オレは声ひとつかけられなかった。
そんな資格オレにはない。
皮肉とかじゃなく、純粋に思う。
あかりに必要なのは、ヒーローなんだ。ようやく、実感できた。
「あかり! 大丈夫か?」
入るなり、ソファーに駆け寄って、結城は彼女の肩に手を置く。あかりが、ゆっくり顔を上げる。
「あ……うん。ごめん、急に呼んじゃって」
「上がってくる途中で国領から大体の話は聞いた。大丈夫か?」
「うん。ちょっと、混乱しちゃってさ。ねえ、結城。聞いて。本当に大したことなくてさ」
「良かった。ちとせ」
言いかけていたあかりを遮って、結城がソファから離れた。
アホみたいに立ち尽くしてるオレ達の方を振り返る。大きな体躯がまるで壁みたいだ。
近づいてくる。露骨に睨みを効かせて、怒りが体中から発露しているみたいだ。
当然だ。
近づくなって言われたばっかりなのに、このザマなんだから。
「約束、破って――」
ごめん、と言い切ることはできなかった。
胸ぐらを掴まれた。首がしまって息が苦しい。身長差が酷いのだ。
つま先立ちをて、結城の顔を見る。眉間に深い皺の刻まれた、敵意のこもった顔。
こいつ、こんな顔するんだな。
違うや。オレがこんな顔をさせているんだ。
「ちとせ。お前、なにしてんだよ。国領なんかとつるみやがって」
「別につるんでない。後、服が伸びるからやめて。気に入ってるんだから、これ」
女子と男子。オレとはぜんぜん違う、筋肉質な体。体格差に恐怖を感じないではなかったけれど、相手が盛り上がるほど自分の気持が冷めていくのを感じていた。
「女みたいなこと言うなよ」
「女だよ」
「男だろ、お前は。ふりをしているだけだ」
「皆私を女とか男とか、いいように見てくる。本当はどっちなんだろうね」
意図せず嘲笑が漏れた。結城に対してじゃない。自嘲だ。
それがますます彼の怒りを買ったみたいだった。胸元を掴む腕の力が増して、いよいよ背伸びじゃ足りなくなりそうだ。
「ふざけてんのか? いいように使ってるのはお前自身だろ。女のふりをして好きだった女の側に居続けようって魂胆が気持ちわりいつってんだよ。言わなきゃわかんねえのか」
「流石親友。私のことよくわかってるね」
くすりと笑うと、結城が少し身じろぎした。数度、大きくまばたきをしてほんの少し手が緩んだ。
何がだよ。
女にならなきゃ、今頃真っ当にあかりに告白して、真っ当に振られたのに。
それすら言わないオレは、きっと卑怯なんだろう。
「ねえ結城。やめてよ。ちーちゃん誘ったのは、わたしなんだよ。ちーちゃんは悪くないよ。かえでちゃんだって、悪気はなかったんだと、思う」
国領は悪気がないのが一番最悪なんだと思うんだけど、そんな事を言う雰囲気でもないよな。
あかりが結城の太い腕を掴む。けど、彼はびくともしない。横目でちらとみやっただけだ。
「あかり。悪いけど、少し黙っててくれ。これは俺とちとせの問題だ。いい加減、白黒はっきりつけるべきなんだよ」
「…そういう言い方は、酷いと思う」
「ちとせ、もう一度だけ言うぞ。もう、俺達に関わらないでくれ。お前が居ると、皆が傷つくんだ」
結城が怒った顔をする。あかりが悲しんだ顔をする。お母さんだって、お父さんだってオレのせいで離婚してしまった。
オレは、どんな顔をしてるんだろう。ただ唇を噛み締めている。
全部オレのせいだ。
胸が重くなって、潰れそうなほど痛かった。
だから、いつものように思い直した。どうでもいい。
どうでもいいんだ。オレの気持ちなんて、どうでもいい。謝ってしまえば、それでおしまい。
「悪かったよ。ごめん、結城。あかり。今度こそ、ちゃんとするよ。もう、関わらない」
重さに釣られるように頭を下げた。
そうしたら、その頭上に底抜けに軽い、明るい声が響いた。
「っていうか」
国領の声だ。
「なんだよ、国領」
結城が答える。
「結城くん。そんなにちとせちゃんで興奮してるのが恥ずかしいの? そんなにムキにならなくていいのにって、わたし思うよ」
埃が落ちる音すら聞こえそうな静寂だった。
顔を上げる。結城が固まっていた。
「…は? 国領、お前何いってんだ」
「え? だって、ちとせちゃんは100人が100人見ても、女じゃん。ムキになって男だって言い張るのが、わかんないよ。ほら、あのときだって、興奮してたし。ちとせちゃんがはじめて胸を見せたとき!」
「いくらなんでも怒るぞ。男に興奮するわけ無いだろ」
「だから、ちとせちゃんは女だって。そんなに言うなら、また試してみる? あの日みたいに」
「ふ、ふざっっけんなよ! あれは俺のトラウマなんだよ! そういうんじゃない!」
声に狼狽が交じる結城を尻目に、国領はひたすらに能天気そうにけらけら笑っている。
どさくさに紛れて、オレの手を握ってるし。なんだこいつ。
ああ、でも。なんだろう。
可笑しいな。なんだか、笑えてきたのだ。
きっと結城が面白いせいだ。
オレは、一歩前に出て、結城に近づいた。
そして彼の手に絡んでいるあかりに、笑顔で言った。
「あかり。オレさ、ずっとあかりのこと、好きだったよ。結城と付き合ったとき、凄くショックだった」
「…ちーちゃん。あのね、わたしは……」
「言わなくても大丈夫。わかってたんだよ。オレが男だろうが、女だろうが、ちーちゃんでしかないって」
結城に、さらに一歩近づく。体が密着するぐらい、近づいた。
それから背伸びをした。彼の顔が直ぐ側にある。
あっけにとられた、間抜けな表情だ。
両手で彼の頬を掴んで、それから唇を合わせた。
彼が状況を理解して、抵抗するまで数十秒。体感で10分ぐらい。
唇を離すと、唾液が糸を引いて、やがて切れた。
「おまっ、なにするんだ!」
結城がオレを突き飛ばした。
よろけたけど、なんとか尻もちはつかずに済んだ。
「ちーちゃん!」
あかりもぎょっとしたような目をオレに向けている。
オレは、笑ってやった。
「興奮した? 結城。なんなら今からやろうか? あかりの前でさ」
「ふざけんなよ、ちとせ」
結城がオレを睨み下ろす。壁のような威圧感があった。
「ふざけてない。だって結城、お前オレのこと好きだろ。あの日からずっとオレのことばっかみてるもんな。オレ女だし、親友のことだから分かるよ。お前、オレのこと忘れるためにあかりと付き合ってるんだ」
適当な嘘でも傷になればいいと、吐き出した。
今度こそ尻餅をついた。
痛みはしばらくこなかった。
ただ叩かれたそこは痺れていて、ああこれは腫れるやつだなあって思う。
頭の中はどこまでも冷めていた。
「ちとせ。お前、気持ちわりいよ。自意識過剰だ。普通じゃない」
「ちーちゃん…ひどくない?」
あかりは微動だにしない。今回は助けてくれなかった。
心配そうな顔はしている。だけどその瞳の中にオレもよく知っている鈍い光が宿っているのがわかった。女子同士でよくする目だ。笑っている。心配してるけど、その実、嫉妬してたりする目。
「ざまあみろ」
オレは笑った。笑ってやった。
結城を、あかりを、普通のやつを笑ってやった。久しぶりに心から笑えた気がした。
きっと私は最高に性格が悪い女なんだろう。
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