2ー2 アンジという男
特別任務当日の朝。その日に限ってなぜかイチの機嫌は最悪だった。
「ねむたい! きがえない! ほいくえんいかない!」
癇癪を起こす彼と格闘し、準備を整え、保育園に送り届けただけで相当の体力と気力を消耗した。
「ママ、ぜったいはやくむかえにきてよ!」
「分かった。なるべく早く来るからね」
ともあれ、第一ミッション完了である。
午前中は飛行装置と武器の手入れを念入りに行い、早めの昼食を済ませた。
そうしてシュカは、トバリと連れ立ってノース・リサイクルセンター本部を出発した。ボディスーツの上に制服のジャケットを着込み、装備品は専用ケースで携行している。
この日から新担当区分でのオペレーションだ。初日から穴を開けてしまうのは少々心苦しいが、国防統括司令部からの任務なので仕方ない。子供の急病による欠勤より遥かにマシである。
太陽は中天に坐し、強い陽射しが照り付けていた。頭の上には雲一つない澄んだ青空が広がっている。季節が一歩進んだような暑い日だが、バイクで切っていく風は爽やかだ。
どこまでも続く荒野。行けども行けども景色は変わらない。ヘルメットのシールド上に表示されるナビがなければ、容易く方向を間違えてしまいそうだ。
やがて、遠くに目的地が見えてくる。
鋼鉄製の壁にぐるりと囲われた、旧産業廃棄物集積地区——通称スクラップ投棄エリア。
国の北端に位置するこの区域は、昔からゴミ溜めのような扱いだった。クリーチャー対策が後手に回っているのも、
途中、一台のワゴン車を追い抜かした。
「あ、葬儀社の車ですね」
『あぁ』
葬式を終えた遺体を運ぶ最中のようだ。
ヘルメットの内蔵インカム越しにトバリと言葉を交わしつつ、シュカは心の中で手を合わせる。
「火葬場、投棄エリアの横ですもんね。オペレーション中もたまに見かけます」
それは旧時代からある古い建物だが、今もノース・シティで死人が出るたびに細々と稼働している。
大陸戦争中は、空襲で命を落とした市民などの遺体の処理が追い付かず、腐り落ちるままに山と積まれていたらしい。辺り一帯に凄まじい悪臭が漂っていたのだと聞く。
『葬儀社も仕事とはいえ、都度スクラップ・ワームが出る荒野を渡っていかねばならないのは大変だな』
「そうですね」
そのためにワームの出現区域の情報も共有していたが、近頃は特に物騒だ。
集合場所に到着したのは十二時半だった。門の前に、厳つい軍用トラックと設備業者の大型トラックが行儀よく停まっている。
作戦開始は十三時であり、既に陸軍の部隊は整列して待機状態だ。
しかし。
「……最低限の人数で来たって感じですね」
「まぁ、昨今の情勢もあるから、こちらに回す人手がないのだろう」
「あぁ……」
並んだ兵士は十五名程度。一個分隊のみで来ているようだ。しかも一般歩兵。
「スカイスーツ部隊でもないわけですね。どのみちセントラルから来るなら、実戦経験積ませればいいのに」
軍部では今、各駐屯地の兵士をセントラル・シティに集結させ、開戦に向けて強化訓練を行なっているらしい。
それにしても、いくら戦争とは無関係な僻地の任務とはいえ、対応がかなりぞんざいである。
高く
スクラップ・ワームが外に出てくる四年前まで、週に四日は通っていたかつての狩り場。
二年前、とある任務で久々にここを訪れた際、あまりの荒れ様に驚いた。シュカがこの中でクリーチャー退治をしていた頃とは比べ物にならないほど奴らの数は増え、強くなっていたのである。
そのせいで——と、心に陰が差しかける。網膜に焼き付いた光景が、忘れたくとも忘れられない記憶が、意図せず脳裏に蘇ってくる。
それを遮ったのは、遠くから響いてきた鋭いモーター音だった。
砂煙を上げながら荒野を走ってきた一台のバイクが、壁の前で急停止する。タイヤに跳ね上げられた土埃が舞い散り、辺りに幕を作った。
駆け抜けていった風によって塵が払われ、一人のライダーが姿を現わす。
レアメタル・ハンターの制服を着崩した、長身の男。
頭部を覆う
側面には、黒色の文字でこう書かれていた。
『LUCKY STRIKE』
彼はヘルメットを取り、シュカとトバリの方へ駆けてきた。
「いやーすんません、昼メシゆっくり食い過ぎました。ギリ間に合ったかな?」
後ろで一つに束ねた、やや癖のあるアッシュグレーの長髪。顎に散った無精髭。整った顔立ちだが、垂れ気味の双眸とニヤついた口元がどうにも軽薄な印象を与える。
そんな彼が、真面目な表情を作ってトバリに敬礼する。
「ノース・リサイクルセンター リニア支部チーフ、キド・アンジ。ただいま参上しました。トバリさん、ご無沙汰してます」
「アンジ……君はもう少し時間に余裕を持って行動することを覚えなさい」
「はは、申し訳ない。一服くらいしたかったんですが、そんな暇なさそうですね」
トバリは呆れた溜め息でそれに応え、人員が揃ったことの報告をしに行った。
アンジと名乗った男はシュカに向き直ると、へらりと笑って軽く右手を上げる。
「よう、シュカさん。久しぶり、元気そうじゃねぇか」
「あぁ、うん……久しぶり」
シュカは曖昧に肩をすくめた。
アンジとは陸軍時代の同期だ。初任地が共にノース・シティ駐屯地で、そこから今に至るまで腐れ縁が続いている。
「いやー、うちからそっちにヘルプを出すって決まったから、近々会えるだろうとは思ってたけど。今日はよろしく」
「……よろしく。足引っ張らないでよ」
やけに嬉しそうな様子のアンジを、シュカは適当に躱した。
トバリが二人の元へ戻ってくる。
「予定通り
「え、何ですかそれ。だったら俺ら、同じ時間に来る必要なかったんじゃねぇの」
「今この場に於いても、万が一の事態は常に想定すべきだ。それに、ワームならこの辺りにも出現するだろう」
「まぁ……そうですねぇ」
気のない返事をしながら、アンジはベルトポーチから煙草と電子ライターを取り出した。
それをシュカが素早く掠め取る。
「ちょっと、仕事中! 陸軍もいるんだし、あんまりナメたことやってると降格ものだよ」
「とことん堅っ苦しいもんな、あいつら。俺、つくづく出向して良かったと思ってるよ。こっちの方が断然
内心で同意するが、口にはしない。アンジと一緒にいると、いつも一気に面倒が増えたような気分になる。
「しかし、意外だったな。まさかシュカさん来るとは思わなかったから」
それは何気ない口調だったが、シュカの胸の奥をちくりと刺した。
「……いいでしょ、別に」
「あっ、もしかして」
アンジが唇の片端を上げ、立てた親指を自分へ向ける。
「俺が参加するから?」
「……はぁ? そんなわけないでしょうが」
冷ややかな目で睨み据えるシュカに対して、アンジはどこ吹く風だ。
「まぁまぁ、せっかくだし、今日は楽しくよろしくまったりやろうぜ」
「さっさと終わらせて一瞬で帰るわ」
吐き捨てた言葉にも、軽い笑いが返ってくる。
任務が始まる前からあった疲労が更に嵩んだように思えるのは、たぶん気のせいではないだろう。
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