1ー3 朝のルーティンワーク
午前六時。
電脳チップの微弱電流アラームにより、シュカはぱっと目を覚ました。
カーテンから漏れ出る光で、寝室はずいぶん明るい。自分のすぐ隣に横たわる、昨夜散々な寝相でしこたま蹴ってきた我が子は、素知らぬ顔して爆睡中だ。
はっきり言って寝不足だった。しかし、戦いは既に始まっている。時間との戦いが。
もっと眠りたいという抗い難い欲望を気合いで振り切り、シュカはベッドから這い出た。
まずは可能な限り手早く、自分の身支度を終えねばならない。
トイレを済ませて洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗う。化粧水と乳液をざっと塗布し、その上からフェイスクリームを薄く伸ばす。
投げやりなアイブロウとチーク。メイクはいつも最低限だ。どのみち訓練やオペレーションの時に汗で流れてしまう。
軽く寝癖の付いた赤茶色のショートボブにヘアウォーターを吹き付け、ブラシでといて整える。顔面と頭部はこれで完成だ。
寝室へ戻り、クローゼットから下着とカットソーとジーンズを取り出し、ナイトウェアからそれに着替える。
ダイニングキッチンへ向かう道すがら、脱いだものを脱衣所の洗濯カゴに放った。
キッチンに立つ。時刻は午前六時二十分。
食パン二枚をトースターに放り込んでスイッチオン。その間にフライパンをコンロで温めて油を敷き、冷蔵庫から取り出したパック入りの人工培養豚のハーフベーコンをそこに並べ、鶏卵二個を割り入れる。
全てのものが同時に焼き上がると、それらを二枚の皿に盛っていく。トーストにマーガリンを塗り、目玉焼きには塩を振る。
二つのマグカップには、それぞれ牛乳とインスタントコーヒーの粉。
電子レンジでホットミルクを作る間に、あるいは電子ケトルで湯を沸かす間に、電脳チップをオンラインモードに切り替える。
すると、拡張現実の像が実際の風景に重なって現れた。
電脳チップは五ミリ四方程度の通信端末だ。うなじの部分から頭部に埋め込み、五十ナノミクロン以下の微小な電極を頚椎の毛細血管に差し込むことで、端末と脳神経を司るニューロンとを繋げられるようになる。
そうして読み取られた脳波により、脳から直接的にイデアネットと呼ばれるネットワークへアクセスしたり、外部から得た情報を感覚器を通さずに脳内で知覚することが可能となる。
今やこの国に住む成人のほとんどがこれを利用し、社会生活の様々な場面においてIoH(IDEA-net of Human)が活用されているのだ。
朝食の準備をしつつ端末からネットに接続し、朝配信のニュースをざっと確認するのがシュカの日課だ。
『大帝国、当国へのレアメタル輸出打ち切りを本決定』
本日のトップの見出しはそれだった。先日より、海の向こうの大帝国との間でやりとりされていた案件だ。
この問題を機に、大帝国に対して軍事的手段を講じるべきという声が国内で高まりつつある。
同時に上がっているトピックの中に、軍事予算が大幅増となることと、首都セントラル・シティで起きた反戦デモのことがあった。このところ、世の情勢がどうにもキナ臭い。
だが何にしても、今日という日の生活を始めねばならない。
完成した朝食をダイニングテーブルに並べ終わった時点で、六時半になっていた。
さて、問題はここからである。
三たび寝室へ行き、未だに寝息を立てる五歳児に声を掛ける。
「イチ、おはよ。朝だよ、起きて」
無論、ただの一度で起床するなどということはない。何度も何度も揺り起こし、最終的には抱き上げてベッドから引きずり出した。
「トイレ行こうねー」
寝ぼけ眼のままのイチをトイレまで運び、用を足させる。そうすると彼は少し覚醒する。
顔を洗わせ、既に冷めかけた朝食の並ぶ食卓へ着かせた。
「はい、いただきます」
「んー……いただきます……」
しかし、食べ始めて幾ばくもないうちに、イチの手が止まる。
「イチ」
シュカが名を呼んで促せば多少は進むが、またすぐにぼんやりしてしまう。
声を掛け、励ましながら、どうにか食事を終える。時刻はあっという間に七時十分だ。
ホットではなくなったミルクをちびちび飲むイチを尻目に、寝室から彼の着替えを取ってきて居間のソファに置いてから、食器をキッチンに運んだ。
「それ飲んだら着替えてよ」
「うん」
しかし。
食器と調理器具をさっと洗って片付け、家じゅうの可燃ゴミを集め、洗面所でリップをひと塗りしてから居間へ赴くと、先ほどと寸分違わぬパジャマ姿のイチが、まったりとソファに座って
空中に映し出されているのは、特撮ヒーロー番組『スカイソルジャー
「はぁぁ?! ちょっ……早く着替えなよ! 何やってんの、もう時間ないよ!」
七時二十分を過ぎていた。あと十分で家を出たいのに。
不本意ながら着替えに手を貸し、全ての支度が整ったのは七時半ぎりぎりだった。制服のジャケットを羽織り、荷物を持って、玄関へと向かう。
「よし、行くよ!」
小さな眉間に皺を寄せたイチが、それに応える。
「うんち」
「ってオイ、なんで今!」
予定時刻を十分ほどオーバーして、ようやく自宅を出た。
ゴミ袋をアパート専用の集積所に放り、イチにヘルメットとタンデムベルトを装着して、ようやくバイクを発進させる。
ちょうど通勤ラッシュで道が混む時間帯である。大通りで乗用車の列に加わってのろのろ進み、信号ごとに赤でちまちま引っ掛かる。アクセルをフルに回したい気分だが、安全第一だ。
どうにか八時過ぎには保育園に行き着き、イチをテラスまで送っていく。
「ママ、きょうははやくむかえにきてね」
「分かった。今日は昨日よりも早く来られると思うよ」
「よるはジェニーちゃんのハンバーガーがいい」
「オーケー、了解」
「おしごとがんばってね」
「うん、イチもね」
そうして手を振り合って我が子と別れると、シュカは再びバイクに跨った。
次に目指すは自分の勤務先——『ノース・リサイクルセンター本部』だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます