7ー7 さよならの時間
コネクションチップだけで構成された肢体は、スクラップを纏ったそれに比べて遥かに自由が効くらしい。
平均的な成人男性の三倍ほどもある体格にも関わらず、レイを模したクリーチャーの動きは実に滑らかだった。
野球場にもなる中央公園広場の中を、敵はシュカを追って駆け回る。
広いストライド。力強い踏み切りからの跳躍。振りかぶった巨斧が、グラウンドを穿つ。
——レイさん。
そのダイナミックな動きを避けるのは、シュカにとって難しいことではなかった。
彼の癖はよく知っている。加えて、それほど大きな身体ではどうあっても死角ができる。片目を潰しておいたことも、有利に働いた。
斧や体術では上手く獲物を捕らえられないと判断した巨人は、指による攻撃に切り替えてきた。厄介なのは、むしろそちらである。
まるで終わりの見えない追いかけっこだ。ただ逃げるのではなく、上手く先導しなくてはならない。
指先の届かない距離を絶妙に保ちつつ、常に相手の視界に留まるようにシュカは飛ぶ。
もはや怪我の痛みも忘れるほど、集中力の必要な飛行操作だった。万が一でも引っ掛けられないために、背中の羽は収納している。
伸ばされた指をすんでのところで
その時、ポン、と場違いな音が鳴り、シールド上方にポップアップが現れた。
【バッテリー残量10%】
「うわ、電池やばい」
『一刻も早く、あいつの動きを止める必要があるな』
『左手の指の攻撃が厄介ですね。正確に突いてくる』
「どうにかあいつの懐に入れればいいんだけど、私、がっちりロックオンされてるからね」
だが自分を狙わせていないと、他の誰かを襲い始める可能性もあるのだ。
『僕に考えがあります』
そう言ったのはエータだ。
『シュカさん、敵の視線を引き付けたまま、僕の背中側に来てもらえますか』
見ればエータは愛銃を構え、照準をクリーチャーに合わせている。
意図を察し、シュカは言われた通りエータの元まで飛ぶ。そして、巨人を狙う彼の真後ろに着地した。
直後。
エータの銃口が刹那の電撃を発した。超速で発射された弾丸は、シュカを追ってこちらを向いていた敵の目に、過たず一直線に吸い込まれる。
ぱりん、と乾いた音。レンズが割れ、鈍銀色の人型が仰け反った。
「ナイスショット!」
『どうもです!』
視力を失ったクリーチャーは、惑うようにふらふら動きながら、手当たり次第めちゃくちゃに攻撃し始める。まるで壊れたおもちゃだ。
——レイさん。
シュカはスカイスーツを駆動させ、臆すことなく相手に突進した。
次々と繰り出される凶器の指先をひらりひらりと掻い潜り、振り回される斧を皮一枚で躱していく。
その攻撃が僅かに掠め、シュカの腕や脚を覆う電磁防護膜がチリチリと音を立てる。
敵の指に絡め取られそうになった電動ファンが、まるで身体の一部のようにするりと動いてそれを避けた。
仲間の一人が思わず呟く。
『どんな超絶テクだよ……』
相手の眼前に躍り出たシュカは、大きな頭部をロングソードで叩く。
カン、と金属音が響くや、頭全体が破裂するように開口した。
その奥深くに。
淡い光を放つ
銃を構える隙もなく、左手の三本の指が迫りくる。シュカは素早く真上へ飛んだ。
つい一瞬前まで自分のいた空間で、網目のように指が交差している。巨大な口が噛み合わされ、ガチン、と硬い音が鳴った。
捕捉されたら、ひとたまりもないだろう。
『シュカ……』
『ハンターチーム、遠隔で奴を攻撃せよ!』
トバリの指示で、ハンターたちは巨人に発砲し始める。
様々な角度からの攻撃を受け、奴はでたらめに三本の指を暴れさせている。各々が個別の意思を有しているかの如く、自在に動くそれらはしかし、ついには捻れて絡み合ってしまった。
『まずは左腕を封じる』
言うなり、トバリは義手を敵へと向ける。手首の部分が開く。そしてなんと、中から鋼鉄製のワイヤーが発射された。
それはクリーチャーの左手首に絡んだ後、首に巻き付く。左腕が自らの頸部に固定された状態だ。
『トバリさん、そんなものまで……!』
『これも妻には黙っておいてもらえると助かる』
他のメンバーも、ブレード・ウェポンを手に飛び出していく。
『足元を狙え! あいつの歩みを止めろ!』
振り回される戦斧を避けながら、
初めはびくともしていなかった巨体は、そ右の膝裏と足首を同時に穿たれ、なおかつ振り上げられた巨大な武器の重心が揺らいだ瞬間、ぐらりとバランスを崩した。
敵は咄嗟に、斧を杖にして姿勢を保とうとする。
——レイさん。
『攻撃の手を緩めるな!』
曲げられた膝に。斧の接地部に。仲間たちは怒涛の勢いで刃を打ち込む。ある者はトバリを支え、ワイヤーを強く引いた。
ただでさえ相当な重量のある身体は、ひとたび均衡を失うと、体勢を立て直すことはかなわず、そのまま右膝から崩折れた。
トバリが叫ぶ。
『今だ!』
「はい!」
——一人じゃとても太刀打ちできない敵が相手でも、他の奴らと役割分担して、自分がどう動くべきかを見定めるんだ。そうすれば、互いに守り、補い合いながら、強敵に立ち向かっていくことができる。
戦う上で大切なことを教えてくれた人がいた。
だから、信頼する仲間を得ることができた。
傾いだ立て膝を辛うじて戦斧で支えた格好の敵に、シュカは真正面から向かっていく。
加速する飛行装置の勢いに乗せて、ロングソードでその顔面を殴り付ける。
頭部が縦横に裂け、グロテスクな花のように大きく口を開ける。
その奥に光る
シールド上に表示されたターゲットマーク。
銃を構えたその瞬間、記憶が、フラッシュバックする。
最期の最期まで、生きることを諦めなかった人がいた。
彼は、強大な敵にも迷うことなく立ち向かっていった。
——シュカ、————……
命を、守ってくれた人がいた。
彼の腕の中で聞いた、最後の言葉は。
——シュカ、愛してる。
まるで花弁が閉じるように、シュカを呑もうとする鈍銀色の怪物。
トリガーに掛けた指に力を込めるその間にも、闇が、容赦なく迫ってくる。
——レイさん、ねぇ、レイさん。
刹那。
誰かの長い腕が、シュカの背後から顔の真横を通り、前方へと伸ばされた。
握り締められた手の中には、柄だけの状態のブレード・ウェポン。
その両端から瞬く間に刃が展開し、
それがつっかえ棒となり、喉の奥が晒された。
「突っ込め、シュカさん」
はっきりと耳に届いたのは、聞き慣れた相棒の声だ。
意識が、覚醒する。
「了解、アンジ」
——レイさん、私も迷わない。
「さぁ、さよならの時間だよ」
トリガーを、引き絞る。
電磁誘導で超加速した弾丸が連射され、深い闇を切り裂いて飛ぶ。
次々と注がれる銃弾を一つ残らず飲み込んだ
轟音が耳を
爆発の衝撃で、シュカはアンジもろとも吹き飛ばされた。
体勢を崩し、長身の相棒に抱えられたまま地面に降り立つ。
静寂が辺りを支配していた。四散した無数の粒が、広場のあちらこちらでパチパチと細かな音を立てるのみだ。
不意に怪我の痛みが戻ってきて、全身から力が抜ける。
「大丈夫か」
「あ、うん……ごめん」
アンジが、口元だけに微かな笑みを作る。
「……終わったな」
「……うん」
小さく突き出された彼の拳に、軽く握った拳をこつんと合わせる。
二人はすぐに、駆け寄ってきた仲間たちから揉みくちゃにされた。
「勝ったぞー!」
「やったぁぁ! すっげぇぇ!」
「最高か! いや最強か!」
スクラップに
一旦センターへ帰還するというトバリの指示で、仲間たちは公園を後にする。負傷者は担架に乗せられ、手当のできる場所へ運ばれていった。
「先に息子を迎えに行ってから、私も手当を受けます」
そう告げたシュカは一人、看護スタッフからメッセージで伝えられたイチの避難場所の方向へと足を進める。
その時。
——シュカ。
ふと、何かに呼ばれた気がして立ち止まった。
振り返ってみたが、もちろんそこには誰もいない。
赤錆混じりのスクラップの山。レイの姿を模していた無数の金属の粒が、辺り一面に散らばっている。
意図せず、喉が詰まった。
確かに、本物ではなかったけれど。
もう、跡形もない。
端末に残された思念話メッセージに、そっと触れてみる。
『タダイマ、シュカ』
その瞬間、懐かしい記憶の断片が蘇る。
——ただいま。
——おかえり。
シュカとレイで、先に帰宅した方が相手を出迎えた。自分の方が早い時も、また逆もあった。
イチと一緒に彼を待っていたこともあるし、二人を待たせていたこともある。
時には、家族三人で玄関をくぐった。全員で声を揃えて、そのやりとりをした。
幾度となく繰り返した。ずっと繰り返していくのだと信じていた。
何気ない、だけどかけがえのない、愛おしいかつての日常。
彼がいた、温かな我が家の風景。
——この先もずっと同じ道を歩いていくだろ? だから、家族になろう。
大きな手も。
穏やかな声も。
優しい笑顔も。
大切なものを欠いたまま、この先も道は続いていく。
一筋の涙が、音もなく頬を伝った。
それでも、歩いていかねばならない。
彼が遺してくれたものが、たくさんあるから。
シュカは静かに口を開く。
「私も愛してる、レイさん」
応える声はない。
ただ、一陣の風が、するりとシュカを追い越していった。
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