4ー5 報せを運ぶ男

 ビビットな赤色の扉を押して店内に入ると、カウンターの向こうからジェニーの野太い猫撫で声が飛んできた。


「あら、いらっしゃぁい!」


 籠城生活五日目の夕方。

 久しぶりの『ジェニーズ・ダイナー』である。


「休園ですって? 大変だったわねぇ」


 シュカとイチがいつも通りカウンター席に座ると、ジェニーがお冷やを置きながらそう言った。

 暇を持て余した末、事前に愚痴混じりの思念話メッセージをジェニーに送り付け、近々行くからと予告してあったのだ。


 まだ夕飯には早い時間のため、シュカたちの他に客はいない。尤も最近の情勢のせいか、この店が混むようなことは滅多になかった。


「本人が元気だから余計にね。こんな時に限って雨ばっかだし」

「どこか他に預け先でもあれば良いのよねぇ。どうしても休めない人だっているでしょうに」

「電脳チップを入れてれば、預かってくれるところがあるんだよ。埋め込み処置なんて一瞬だし、この休みを利用して昨日さっそく入れてきた」

「あら、そうなの?」

「めちゃくちゃいたかった」


 イチのうなじには小さな絆創膏が貼られている。

 電脳チップは専用の装置を使用して埋め込まれる。局所麻酔を用いるので、ワクチンの予防接種より軽いくらいの痛みだが、それでもイチはずいぶん泣いた。


「セントラルじゃ、みんな入れてるって話よね。海の向こうの大帝国だって、大人も子供も装着してるんでしょ? 最初はこんな小さな子にと思ってびっくりしたもんだけど、確かに大人からしたら居場所やら何やらの把握はしやすいわよね」

「そうそう」


 アカウントの初期登録は済んだので、傷口が落ち着いたら本人に操作の仕方を教えねばならない。


 ふと、ジェニーがイチの腰にあるものに目を留める。


「あらイチ坊、そのベルトは何?」

「これはねー、ゼータのへんしんベルトだよ」

「ゼータ?」

「うん、『スカイソルジャーZ』」

「やっぱり男子ねぇ。アタシは昔からあんまり観てなかったのよね、そういうの」

「あのね、ろくさいのおたんじょうびに、ゼータのけんをかってもらうの」

「あら、いいじゃない」


 シュカは小声でぼそりと呟く。


「……本当は一年でシリーズ変わっちゃうから、あんまり増やしたくないんだけどね」

「……その割に次々新しいパーツが出たりするんでしょ。結構、阿漕あこぎな商売よね」


 さざめくように苦笑し合う。


「さて、今日は何にする? イチ坊はまたお子さまプレート?」

「うん!」

「私は——」

「今日のおすすめはビーンズMIXバーガーよッ!」

「じゃあそれで。飲み物はジンジャーエールとオレンジジュース」

「はーい了解」


 ジェニーの調理が始まると、イチは椅子から降りてミニカーの飾られたショーケースの前に行った。

 キッチンスペースから、フライドポテトを揚げる油の良い匂いが漂ってくる。

 ジェニーが筋骨隆々の広い背中をこちらに向けたままで話し掛けてきた。


「ところでアンタ、浮いた話の一つもないわけ?」

「何、急に」

「だってせっかくの休みなのに、ロクに遊ぶ相手もいないなんて」

「どこにそんな暇があるっての。私にはイチがいるからいいんだよ。ねー」


 最後の一言はイチに向けて言ったつもりだったが、彼は生憎ミニカーに夢中だ。


「……あれから二年よ。アンタだってまだいい女なんだから。職場には誰かいないの? 男ばっかなんでしょ?」

「いや、全く」

「上司の渋いおじさまは」

「既婚者だよ」

「こないだウチに連れて来てくれた男の子は? ほら、あの可愛い顔した」

「あぁ、エータくん? いや、まだ二十歳くらいの子だよ。ないない」


 先日、エータがスクラップ・ワームを初討伐したお祝いに、この店で夕飯を奢ったのだ。初々しい彼を、ジェニーは気に入ったらしい。


「そう? イケそうな雰囲気だったわよ。オネエの勘は当たるのよ」

「ないって。だって私、あの子の『スーパーウーマン』だよ」

「何よそれ」

「憧れのヒーローってことらしい」


 言いながら自嘲気味に笑う。本当に、皮肉なくらい似合わない。


「いいんだよ。イチが独り立ちできるまで、私がちゃんと育てるから。遊んでる暇なんてないの」

「そう。まぁ、レイさんみたいないい男はそうそういないしね。イチ坊はレイさんに似てるから、きっとハンサムになるわよ」

「でしょ? 十五年後も連れて歩くわ」


 ショーケースの中を真剣に見つめるイチの横顔を、シュカは眺める。これが十五年後にはどう成長しているのか、想像もつかない。


 しばらくすると、完成した料理が目の前に置かれた。


「はい、お待ちどおさま。ビーンズMIXバーガーとお子さまプレートよ」

「わー、美味しそう!」

「おいしそうー!」


 イチと並んで姿勢を正し、「いただきます」と声を合わせる。


 今回バンズの間に挟まっているのは、上からチリビーンズ、レタス、とろけたチーズを絡めたパティ、そしてスライストマトだ。彩りも鮮やかで、見るからに食欲をそそる。ふっくら焼けた肉の匂いとスパイシーなソース香りが混ざり合い、甘美な一口目をこれでもかと誘ってくる。

 バーガーを包み紙に入れ、ぐっと潰して齧り付こうとしたその瞬間。

 電脳チップに思念話メッセージが入った。


『シュカさん、今どこにいる? 家?』


 アンジだ。時間帯的に、仕事が終わった頃合いだろうか。


『お疲れさま。外食中。何?』

『今から行っていい? ちょっと相談したいことがあるんだけど』

『え? 今から?』

『うん。ちょっと職場じゃマズいからさ』


 まぁいいか、と思った。わざわざ有休中の自分を捕まえて、いったい何の用なのか気になる。


『分かった。じゃあ、とりあえずここに来て』


 この店の名前と場所を告げると、了解の旨の返信があった。


「ジェニーちゃん、今から同僚がこの店来るって。なんか私に用事らしくて」

「はいはーい」


 そして、およそ二十分後。赤い扉が開き、長身の男が入ってきた。制服を着崩したいつものスタイルで、シュカの姿を認めて軽く右手を上げる。


「よう。悪いな、休みのところ」

「いいよ別に。すごい暇だったし。みんなに申し訳ないくらい」


 シュカはほとんど食べ終わっていたが、イチはまだフライドポテトを頬張っている。

 ジェニーが濃ゆい睫毛をばしばしと瞬かせた。


「えっ……やだ、ちょっといい男」


 アンジはイチに目を向け、にぃっと笑った。


「おお、前にチラッと見た時よりだいぶでかくなってんな。こんばんは、美味そうなもん食ってるね」

「おじさん、だれ?」

「はは、お兄さんはママの友達だよ」

「いや烏滸おこがましいわ。三十三はおじさんでしょ」


 思わず真顔で突っ込んだ。


「アンジ、あんたはそろそろ自分の年を自覚した方がいいよ。制服の前はちゃんと閉める」

「年と制服の着方は関係ねぇって」

「……ん? 『アンジ』って……」


 首を傾げるジェニーに、シュカはぎくりとして向き直る。


「同期だよ同期。陸軍の時からの」

「確か、前……」

「うん、そうそう、前の所属からの腐れ縁で」

「あんたのセ——」

「シャラァァァァァップ!」


 シュカの咆哮が響き渡る。

 一瞬の静寂の後、ジェニーがぷりぷりと怒り始める。


「もう、何よッ! 大きな声出してッ! びっくりするじゃないのッ」

「あっはははははは!」


 アンジは自分の膝を叩きながら爆笑している。きょとんとしているのはイチだけだ。


「なんか、とんでもない職場ね……ちなみに今は……ないわよね?」

「ないないないない断じてない!」


 もう十年ほど前に終わった話だ。イチが「ないない」とシュカの真似をし始める。

 シュカは額を押さえながら大きく溜め息をつき、視線だけをアンジに向けた。


「で? 何の用?」

「睨むなよ、怖ぇなぁ……そうそう、シュカさんに相談があってさ。というか、厳密に言うと俺じゃねぇんだけど」

「ん? どういうこと?」

「この店の場所を伝えたから、たぶんそろそろ来ると思う」

「え? 誰が?」


 ちょうどその質問に呼応するようなタイミングで、赤い扉がゆっくりと開いた。

 窺うように顔を出し、そろりと店内に進み入ってきたのは、妙齢の女性だ。ジャンクなこの店には不似合いの、清楚な美人である。


「あの……」

「はーい、いらっしゃいませ」


 ジェニーに声を掛けられ、彼女は一瞬びくりとして面食らった表情になる。だがアンジに気付くと、花のように微笑んだ。


「アンジさん、こんばんは」

「おう、ミオさん久しぶりー。ごめんね、帰省したばっかの時に。ちょうどシュカさん捕まったからさ」

「いえ、すみません。カンザキさんも、お休み中だったんですよね?」


 彼女から『カンザキ』と呼ばれ、シュカはようやくピンときた。


「あー……あなたは、マチダ室長のところの……」

「はい、特定危険対策室のハスミです。ご無沙汰しております、カンザキさん」


 ぴんと背筋を伸ばし、お手本のような立礼をした、今日は一般人にしか見えない彼女。

 二ヶ月ほど前、国防統括司令部に赴いた時に顔を合わせた、事務官のハスミだった。

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