2ー6 剥がれかけた仮面

 スクラップ・ビーストは、身を呈したトバリの一撃でようやく完全に沈黙した。

 それと引き換えに噛み砕かれた彼の左腕は、もはや原形を留めていなかった。もしスカイスーツの再起動が間に合っていれば、電磁防護膜で多少はマシだったかもしれないのに。


 トバリを始めとした負傷者はすぐにエリア外へ運び出され、応急処置を受けた。

 シュカがアンジや他の兵士たちと共に敵の残党を片付け、やっと外へ出た頃、怪我をした者たちはノース・シティの病院へと搬送されていった。


「周辺を隈なく捜索したが、他に爆発物は見つからなかった。先の爆発の原因は調査中だ」


 陸軍の隊長からは、そう告げられた。

 残りの者で、爆発の犠牲になった者の遺体の回収と、扉の仮修理を行なった。


 それらの作業が終わって解散となり、時刻は十八時過ぎ。日の長い季節だが、太陽は高度を下げつつあった。

 そろそろ出発しなければ、イチを迎えに行くのが遅れてしまう。だが身体が酷く重くて、バイクに跨るのも億劫に思えた。


 ——シュカ、私はビーストにとどめを刺しただけだ。何も気にしなくていい。


 ストレッチャーに乗せられた状態で、トバリはそう言った。

 血に濡れたスカイスーツと、ズタズタになった左腕。顔は蒼ざめ、額には脂汗が浮かんでいた。


 あの時、何が起こったのか、一瞬理解できなかった。

 知らぬうちに、すぐ後ろまで迫っていたビースト。

 あれは、シュカに襲い掛かろうとしていたのだ。隙だらけの背中に、例え声を掛けられたとしてもきっと間に合わないタイミングで。

 そうでなければ、トバリがあんな無茶をすることなどなかっただろう。


 同じだ、二年前と。


 がしがしと頭を掻き、愛車に寄り掛かって、深く溜め息をつく。

 ビーストが完全に機能停止したかどうか、ちゃんと確認すべきだった。

 引くタイミングを、また間違えた。自分の未熟さが、取り返しのつかない事態を招いてしまった。


 いつまで経ってもこんな風だから、自分は守られてばかりなのだ。


 が蘇る。

 身の裡にある昏い淵から響いてくる、あの恐ろしい声が。


 ——……せ。


 駄目だ。出てくるな。必死にそう言い聞かせる。

 アレを、目覚めさせるわけにはいかない。


 不意に、ポンと肩を叩かれた。


「シュカさん、お疲れー」

「あぁ、うん、お疲れさま……」


 アンジだ。正直、今は誰とも会話したくないのに。


「もう帰る?」

「そうだね……そろそろ行かなきゃ」


 シュカは朱い花の描かれたヘルメットを手に取った。だが、シールド部分にトバリの血液が付着していることに気付き、はたと動きを止める。

 アンジはシュカのバイクを背にして隣に立った。手にした煙草を一口吸い込むと、ゆっくり煙を吐き出す。


「いやー……びっくりしたよな、あのビースト。俺の腕も鈍ったかな。一発で仕留めらんねぇなんて」

「……そんなことない。アンジのあの一撃は見事だった」

「……だよな。シュカさんもそう思うだろ? もう、完全にったと思ったし」

「ターゲットマーク、消えたように見えたんだけど……」

「俺にもそう見えた。前までだったら、あれで問題なく解体できてたはずだ。ここで大型クリーチャーと戦ったのも久しぶりだからな。もしかしたらコアが傷付いてエネルギー量が減っても、動けるように進化してんのかも」


 コアが破壊できたかどうかの判断は、ヘルメットのシールド上のターゲットマークの有無に準拠する。

 マークは、コアの発するエネルギーを感知して表示される。従って、エネルギーが弱まったり距離が遠ざかったりすると、マークは消えてしまう。


「だとしたら、俺らのシステムがこのエリア内のクリーチャーの現状に対応できてないってことなんだろうな」

「そうだね……」


 少しの間と、再び濃くなる煙草の匂いと。


「だからさ、なんつうか……シュカさんのせいじゃねぇよ」


 相変わらずの軽い口調はしかし、ほんの僅かに気遣いの色があった。

 シュカはヘルメットの血痕に視線を落としたまま、きゅっと唇を引き結ぶ。

 こんな時、この男がどんな表情をしているのか、見なくてもだいたい想像が付く。だからこそ余計に、顔を上げることができない。


 しばらく、二人して黙っていた。アンジもまた悔いているのかもしれないと、シュカは思った。

 後からなら何とでも言えるが、もう時間は巻き戻せないのだ。


 どこまでも続きそうな沈黙を破ったのは、アンジの方だった。


「シュカさん、この後ヒマある?」

「え?」

「良かったら、一緒に何か食って帰ろうぜ。俺もう腹ペコ」


 囁くような声。視線を向けると、目が合った。

 アンジはいつものように緩く微笑んでいる。どこか無邪気にも見えるこの甘い笑顔に、誤って好印象を抱く女子もいるかもしれない。

 シュカはすぅっと表情を無にし、平坦な声で応じる。


「いや、子供を保育園に迎えに行かなきゃいけないから」

「あー……そうか、そうだよな。悪い悪い」


 アンジは肩をすくめると、携帯灰皿を取り出し、吸い殻をそこへ入れた。


「まぁ、そんな冗談はさておき」

「冗談だったんかい」


 思わず突っ込む。冷静に考えると、このタイミングにおいては確かに不謹慎極まりない発言ではあった。いまいち食えない。


「シュカさんよ、今日の敵、なんか変だと思わなかったか?」

「変? 死んだと思ったのに動いたこと?」

「いや、それももちろんそうだけど、それ以前に。あのでかいビーストが、他の雑魚クリーチャーを扇動してるように見えた」

「あぁ……」


 言われてみれば、あの大型スクラップ・ビーストは群れを率いていた。あれの吼え声を合図にして、小型クリーチャーが一斉に襲い掛かってきたのだ。


「基本的にクリーチャーって、こっちから攻撃しなけりゃ積極的には襲ってこねぇもんだろ。熱感知で相手の位置を確認してるわけだし。あの爆発の熱波でこっちに気付いたんだとしても、あんな風に明確な敵意を持って他の雑魚をけしかけてくる個体なんざ、今まで見たことねぇよ」

「それは……そうかも」

「ただでさえ奴ら、どんどん凶暴化してってるし、このところワームの出現区域も拡がってきてるし……なんか関係あんのかもな」


 ふと、シュカは思い出す。


「そうだアンジ、あんたはあの光を見た? エリアの奥の方で何かチカチカ光ってた」

「トバリさんと喋ってたやつ?」

「そう、あの時もだけど、その後にも。二回見たんだよ。爆発の直前にも光ってた」

「へぇ?」


 一度目は見間違いかと思ったが、二度目は確実に瞬いていた。

 何か人の形をしたものが発しているように見えた、あの不可解な光。


 記憶を検めたらしいアンジが、捻った首を元に戻した。


「……いや、やっぱ分かんねぇわ。ごめん」

「いいよ、ほんのちっちゃな光だったし。まぁ、気になることはいくつかあるけど……今この場で確認できる状況じゃないよね」


 粛々と撤収作業をしている兵士たちに目を向ける。彼らはあの爆発で仲間を喪っているのだ。遺体袋をトラックに積み込む彼らの表情は酷く沈痛だった。

 あの中には、シュカの後輩だと言っていた兵士のものもあるはずだ。


 ——あの、良かったら握手してくださいッ!

 ——あ、うん、仕事が終わってからね……


 軽い口約束だったが、もう果たすことはできない。そう思うと、遣る瀬無い気持ちになった。

 テロの容疑を掛けられた設備業者は、中央警察本部のあるセントラル・シティへと連行されていった。これから取り調べが行われるのだろう。


「とりあえず今日のところはお開きだな。俺、トバリさんの病院寄ってから帰るわ。また容態とか連絡する」

「うん、お願い。私も明日、行けそうな時に行く」


 そうして、互いに帰路に着く。

 シュカは一旦ノース・リサイクルセンター本部に戻り、着替えをして保育園へと向かった。




「ママ、おそい!」


 男性保育士に手を引かれてきたイチが、シュカの顔を見るなり喚いた。一気にどっと疲れが増す。

 死んだ目になったシュカに代わり、保育士がすかさずフォローを入れる。


「イチくん、ママ、ちゃんと迎えに来てくれたでしょ」

「さいごはイヤ! おそすぎる!」

「寂しかったんだもんね。お利口に待ってて偉かったね。さぁ、また明日ね」

「つかれた! あるけない!」


 ふつふつと湧いてくる苛立ち。だが、根気よく対応してくれている保育士の手前、薄い笑顔を取り繕う。


「イチ、遅くなってごめん。早く帰って、ごはん食べよう」

「イヤ! もううごけない! だっこ!」


 甲高い声が脳天を突き抜ける。彼が歩くのは、せいぜい園の門の外に駐めたバイクまでなのに。

 必死に固めた仮面が剥がれかけている。

 シュカこそ、今にも動けなくなりそうだった。

 だが、そんな訳にはいかない。今の自分は『ママ』なのだから。


 息をつき、両手を差し伸べる。


「ほら……おいで」


 イチを抱き上げる。しがみ付いてくる小さな身体。ずっしり重くて、温かい。

 なぜだか涙が出そうになった。

 こんな時、バイクは便利だ。ヘルメットで顔を覆って、後ろに乗った我が子に情けない表情を見せずに済むから。



 家に帰り着き、夕飯と風呂と洗濯をどうにかこなし、イチの寝かし付けが終わった頃、電脳チップ端末にアンジからの思念話メッセージが入った。


『お疲れさま。トバリさん、左腕切断だって。命に別状はないらしいよ』


 切断。その二文字が、斬り付けられたような胸の痛みを生む。


『了解です、ありがとう。今日はお疲れさま』


 迷った末、簡潔にそれだけを返した。

 一人、ダイニングテーブルに突っ伏す。誰もいない部屋に、冷蔵庫の唸る音だけが低く響いている。

 そのまま時間だけがいたずらに過ぎ、そろそろ寝室へ行こうと顔を上げた時、キッチンカウンターに置いた写真立てが目に入った。


 精悍な面差し、懐かしい笑顔。こんな時こそ、側にいてほしいのに。

 シュカは震えた声でそっと呟く。


「レイさん……」


 二年前に喪った、最愛の人の名前を。

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