朱い花の咲う道②
それからというもの、シュカからの積極的なアプローチが始まった。事あるごとに、レイさん、レイさんと絡んでくる。
職場内でも、みんな遠巻きにニヤニヤし、それとなく二人きりにさせられることが多くなった。
「レイが指導担当だった流れで、シュカとは同じ隊にしているが……もしやりづらければ、編成を組み直す」
トバリからはそんなことを言われた。
「いや、別に付き合ってないんで……」
「どうであれ、オペレーションに支障がなければそれでいい」
「それは、まぁ、問題ありません」
むしろシュカの動きは目に見えて良くなっている。連携も実にスムーズだ。それが気持ちいいと思えるくらいには。
「シュカって、同期の男と付き合ってるって聞いたことあるけど」
「前の所属の上官と関係してたって話は?」
「あいつさ、性格はともかく顔はまぁ可愛いし、ほら、ボリュームもあるじゃん。いいなぁカンザキさん」
同僚たちの発する雑音が、嫌でも耳に入る。
こいつらとシュカを組ませるわけにはいかないと、密かに思った。
「私、レイさんが好きです」
ある日の自主トレの休憩中、とうとうきっぱりと告白された。
予測していたこととはいえ、返答に詰まった。
「これでも気を付けてたんだ。女性メンバーだからといって変な差別やセクハラをしないようにってな。だから、つまり、異性として見るのは、その辺のことが――」
「それとこれとは話が別です。そもそもレイさんは男とか女とかじゃなくて、私個人を見てくれてるじゃないですか」
「いや、だけどそれは結局――」
「もっと私を見てください。私も、レイさんを見てますから」
「えぇと……」
「……私じゃ駄目ですか?」
上目遣いでそう問われ、思わずどきりとした。
「いや、もちろん、そういうわけじゃないが――」
「もう、はっきりしてください」
「……ちょっ……と、気持ちを整理する時間をくれ……」
そう応えるので、精一杯だった。
改めて、シュカのことを考えてみる。
スカイスーツの操作技術は、チーム内でも抜きん出ている。男に比べるとパワーは劣るが、それをカバーする機動力がある。頼りにできる仲間の一人だ。
男だらけの職場で、男に混じっても遜色のないように頑張っている。
それでも、本人の意思に関わらず、女だからと穿った目で見られてしまう。
嫌だな、と思った。それがどういう種類の感情なのか、自分でも判然としなかった。
優秀な人材が純粋に能力を評価されない空気が嫌なのか。
彼女が他の男から、侮ってもよい対象として扱われることが嫌なのか。
自分が彼女の指導担当だったから、それらを嫌だと思うのか。
あるいは——
「レイさん!」
ある休日。職場近くのバス停。
約束の時刻より五分早く到着したその待ち合わせ場所には、既にシュカがいた。
その姿を視界に入れるなり、思わず二度見してしまった。
淡いオレンジ色のふんわりしたトップスに、紺色のロングスカート。告白を受けて以降、何度か業務後に食事に出かけたが、このように女性らしい服装は初めてである。
よく見ると、メイクの雰囲気もいつもと違う。瞼がキラキラしているし、唇もぷるんとして艶やかだ。
「こんにちは」
「あ、あぁ……どうも……」
どうもって何だよ。
自分の返答に、思わず内心突っ込んだ。
間もなくして自動運転の路線バスがやってきたので、二人で乗り込む。
普段はバイク移動ばかりだから、たまには公共交通機関も使ってみようと言ったのは、シュカの方だ。
休日の午後のバスは乗客もまばらで、ゆったりした時間が流れていた。なるほど確かに、「お出かけ」感がある。
揺られること十五分。バスは目的地に到着する。
今日の行き先は、市立水族館だ。
小学生の校外学習先に選ばれるような公共施設であり、辺境の街ノース・シティにおいては数少ない観光スポットでもあった。
「さぁ、行きましょう」
バスを降りて隣に並び立った瞬間、ふわっと甘い匂いがした。
レイの肩のやや下の位置に、シュカの頭がある。近い、と思った。自分は図抜けて大柄で、いつも女性と並ぶとかなりの身長差ができてしまうのだが。
ふと視線が合う。シュカがにこにこと見上げてくるので、妙にどぎまぎしてしまう。
まずい。何か調子がおかしい。こんなはずではなかったのに。
「ここへ来るの、ものすごく久しぶりなんです」
「そうか」
短い相づちのみを返す。
レイがここを訪れるのは数年ぶりだ。前回は、当時付き合っていた彼女と来た。時間と気持ちのすれ違いが多くて、すぐに別れてしまった相手だ。
水族館の中は、家族連れやカップルでほどほどに混雑していた。恐らく自分たちも恋人同士に見えるのだろう。
そう思うと、何かやたらとそわそわする。
順路の表示に従って、展示物をゆるりと巡っていく。
この水族館は、大陸戦争の前から存在する施設である。現在では、生きた魚の展示はない。海洋生物自体の数が減っている今、海から遠く離れたこの地で観賞用に飼育を続けるのは困難であるらしい。
代わりに、立体映像技術により再現された魚たちの姿を楽しむことができるよう、戦後に改装された。
各展示のパネルを操作してデータベースにアクセスすれば、その生物の特徴や生態などの情報がダウンロードできる仕組みだ。
「うわー、大きい!」
「可愛い! 綺麗な色ー」
「すごい大群! あはは、飲み込まれちゃった」
シュカはまるで小さな子供のようにはしゃいで、空中に投影されたホログラムに見入っていた。展示物ごとにデータを眺めては、いちいち感心している。
仕事の時とは違う、リラックスした様子。くるくると忙しく表情が変わり、瞳が輝いている。
ダイナミックな動きで迫ってくる巨大なベルーガ。
あちこちに見え隠れする、色とりどりの宝石のような愛らしい熱帯魚。
自分たちを中心にして渦を巻く、無数のマイワシの群れ。
例え偽物だと知ってはいても、彼女と一緒だと新鮮な驚きに満ちた海の世界に思えてくる。
不意に、柔らかな手がレイの指先を握った。
心臓が、自分でも信じられないぐらいの音を立てて跳ねる。
ちらりと、視線だけを向ければ——
そこにあるのは、想像したのよりもかなり小さい、幼い子供の手だった。
これはいったい。
何事だ。
状況を即座に判断できず、しばし混乱する。
よくよく見ると、レイの指を掴んでいるのは三歳くらいの男の子だった。そして反対側はシュカの手を握り締めていた。
「ん? どうしたの、僕」
シュカが声を掛けると、男の子は驚いてぱっと両手を離した。硬直した表情で、レイとシュカの顔を見上げている。
「ユウくん!」
両親と思しき男女が、慌てた様子で駆けてくる。
「す、すみません!」
「いえいえー」
連れられていく男の子に、シュカはにこやかに手を振る。
「可愛い。間違えちゃったんですね」
パパとママと。
一瞬の沈黙。
レイは人差し指で頬を掻き、シュカは赤茶色の髪をゆるりと梳く。
何となく気恥ずかしいような、気まずいような空気になる。
まだ手すら繋いでいない仲なのに。
あの子に握られた手の温もりが、指先に残っていた。
鼓動がにわかに速度を上げていく。
触れたい、と思った。今、隣にいる彼女に。
一瞬、いや、けっこう躊躇う。
あぁ、もうどうにでもなれ。
意を決して、なるべく自然な動作でシュカの手を取った。
「行こう」
「あっ……はい」
少しの間を置き、控えめにきゅっと握り返される。
途端、胸の奥から何か熱いものがこみ上げてきて、堪らなくなった。
シュカの顔を上手く見られない。いい歳して、なぜこんなに照れるのだろう。
女性にしては大きく、ごわついた掌だった。
人知れず努力して己の技を磨こうとする、ハンターの手だ。
そう意識した瞬間、唐突に分かってしまった。
他の誰が誤解しても、自分だけはそれを正しく知っているのだと。
だから、この手を握るのは自分一人でいい。
「思った以上に楽しかったです。子供の頃、家族で来て以来だったんですけど」
水族館の後に入った、同じ建物内にあるカフェ。飲み物を待つ間、シュカは何気なくそんなことを言った。
それぞれ注文したものが運ばれてくると、シュカはブレンドコーヒーにミルクとスティックシュガーを入れ、スプーンでゆっくり掻き混ぜながら、独り言のような声で呟いた。
「だから、また来られて良かった」
「そうか……」
レイはブラックのままのコーヒーに唇を付けた。ほろ苦い味が、そっと喉を滑り降りていく。
シュカの家族は、あの戦争で亡くなったはずだ。ここは彼女にとって、家族の思い出の場所なのだ。
熱いコーヒーが腹に到達する頃、レイはやっと言葉を紡いだ。
「またいつでも来ればいい」
「……え?」
シュカがぱちりと瞬きする。
どうにも自分は口下手でいけない。
「また来よう……一緒に」
こちらをじっと見つめたままの彼女の頬が、朱に染まっていく。やがてそこに、花の綻ぶような笑みが形作られる。
「……はい!」
この先、もっと見られるだろうか。
他の誰も知らない、彼女のいろいろな表情を。
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