朱い花の咲う道③
どうやら職場の仲間からは、レイがシュカに押し切られて付き合い始めたと思われているようだった。
構図としては確かにその通りだし、そういう
だが実のところ、より深く惚れていたのはむしろレイの方かもしれない。
何しろ、可愛いのだ。後輩としても、恋人としても。
仕事中みんなに見せる凛とした表情と、プライベートで自分にしか見せない甘い表情と。その両方を知っているのは自分だけであるという密かな優越感。
恋人が職場内にいるということは、毎日のように長い時間を共に過ごせるということだ。危険を伴う仕事への理解も、互いにある。
また、ハンターとして鍛えられた彼女の身体は、衝動任せに抱いても壊れそうになく、打てば響くようにしなやかに弾んだ。
貪るように求めても、疲れも知らずに応じてくれる。
そういう点でも、ここまで気の置けない相手は初めてだった。
しかし、全く何の懸念もなかったかと言えば、そうでもない。
付き合い始めてから半年が経った頃、また陸軍から出向者がやってきた。
キド・アンジ。垢抜けた雰囲気の男で、シュカとは同期だという。
——シュカって、同期の男と付き合ってるって聞いたことあるけど。
以前、小耳に挟んだ噂話を思い出す。
二人は元の所属も同じだったのだ。今、彼女が別の男とも付き合っているとは思わないが、どうにも気になる。
「あいつ、めちゃくちゃ勘が良いよ。周りもよく見えてるし、即戦力になる」
それがアンジの指導担当になった同僚の感想だ。
「気のいい奴だし、身体能力も高いんだけどね。問題は生活態度だよ」
シュカは、アンジのことをそう評した。事実、彼は無精髭を散らしたままの顔で出勤してくる日が多い。
「……能力あるくせに、わざとヘラヘラ適当に見せてる感じが、私としてはちょっとね。買わなくてもいい不興を敢えて買ってるというか」
軽く眉をひそめるシュカのその言葉には、アンジ個人というよりも、これまで彼女自身が置かれてきた状況に対する鬱屈感が滲んでいるように思えた。
「カンザキさんって、シュカさんと付き合ってるんですよね」
先にその話題を切り出してきたのは、アンジの方だった。
業務後のロッカールームで、たまたま二人きりになったタイミングで。
一瞬戸惑ったものの、「あぁ」と簡潔に肯定する。
「じゃあ、カンザキさんのおかげなのかな」
「何が?」
「あのシュカさんが、職場でリラックスした顔してるから、ちょっとびっくりしたんですよ。前んとこじゃ上官からの当たりもキツかったんで。まぁ、それは俺も似たようなもんなんですけどね」
やはり、この男も問題児であるらしい。
「シュカさん出向してからあんまり連絡取ってなかったんですけど、なんか安心したな。俺もここでなら伸び伸びやれそうです」
「仕事さえきっちりやるなら、そんなに口煩く言う奴は確かにいないが……あまり羽目を外すなよ」
「了解です。これから世話になります」
アンジは真面目な表情でぴしりと敬礼を決めた後、屈託なく破顔した。
ノリは軽いが嫌味はなく、朗らかで明るい空気を纏った男だ。しかし、いまいち腹が読めない。
少なくとも、シュカに対してはフラットな目線であり、そしてどちらかといえば好意的な感情を持っているように思えた——あくまで同期として。
すなわち、レイとも、他のチームメンバーとも違う立ち位置の男。
小さな嫉妬心が湧くのを感じて、驚いた。
自分がこれほどまでに独占欲の強い人間だったとは、知らなかったのだ。
そんなこともあり、ますますシュカから目が離せなくなった。
「シュカは時々とんでもない無茶を平気でするからな。放っておけない」
「じゃあ、また私が暴走したら、レイさんが止めてね」
「当然だ」
本当はただ、他の誰にも触れさせたくなかっただけだ。結局、その本心を口にすることはできなかった。
簡単な愛の言葉の一つすら、声に出すのは難しい。
実際のところ、シュカはすっかりチーム内でも主戦力となり、日々活躍を見せていた。
プライベートのみならず、仕事においても対等に近づいていく。
公私ともにパートナーたりえる。この先も彼女がずっと傍にいてくれたら、どれだけ心強いだろう。
付き合い始めて二年が経った頃、大きな事件が起きた。
大型スクラップ・ビーストが投棄エリアの囲いを食い破り、クリーチャーの群れがノース・シティを襲ったのだ。
想定外の事態である。敵の殱滅には陸軍の協力も仰いだが、十数人のレアメタル・ハンターと戦闘に不慣れな一般兵では、敵の破壊行動の全てを阻止することは不可能だった。
その一件によって、街は甚大な被害を負った。
戦闘以上に時間を取られたのは、その後の瓦礫の撤去や怪我人の救助、そして行方不明者の捜索だ。
眼前に広がる非日常の様相に、変に昂ったままの神経。いつ終わるとも分からない作業や、希望を砕かれるような人探しに、疲労は募る一方だった。
家族と無言の対面を果たし、泣き崩れる市民を何人も見た。
後から記憶をなぞっても、この頃のことは夢か何かのように思える。二度と思い出したくもない、悪い夢のように。
強く印象に残っているのは、無惨に破壊された数多くの家屋と、それをじっと見つめるシュカの蒼白い横顔だ。
彼女は、自分が家族を喪った時のことを思い出していたに違いなかった。
避難と復旧作業の混乱のさなか、迷子になっていた少女を両親の元へ送り届けたシュカが、声を震わせながら紡いだ言葉が忘れられない。
「もし、帰る場所や、大事な人がいなくなったりしたら……心細くて、どこに向かって進んでいったらいいか、分かんなくなっちゃうから……」
泣き顔を、初めて見た。
それまで意識したことはなかったが、彼女はずっと胸の奥に消えない傷を抱えていたに違いない。
その痛みを知っているからこそ、同じような誰かに手を差し伸べられるのだろう。
先ほどシュカのおかげで再会を果たした家族が、視界の片隅に映る。
哀しい別れの光景を多く目にしたが、互いの無事を喜び合う人々もたくさん見た。そのたび、こちらまで救われたような、温かな気持ちになった。
自分の中で、心が固まったのが分かった。
「シュカ、さっきからずっと考えてたことがあるんだ」
「何?」
「こういう局面になると、人の絆の大切さがよく分かる。手を取り合う人がいれば、前を向いて進んでいける」
「うん……」
「俺たちも——この先もずっと同じ道を歩いていくだろ?」
その未来を、想像することは容易い。
「だから、家族になろう」
新たな『帰る場所』を、共に築く。
それはシュカへの提案というより、レイ自身の誓いだったかもしれない。
強くて脆い。
弱くて
この
夜、同じ仕事を終えて、同じ家に帰ること。
朝、同じ家を出て、同じ職場へ向かうこと。
「ただいま」と「おかえり」を。
声を揃えた「いってきます」を。
幾度となく繰り返す、二人の日々。ただの日常が、これ以上ない幸福に彩られていく。
やがて、二人は三人になる。
シュカの中に新しい命が宿ったのは、結婚して半年ほどが経った頃だった。
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