3ー7 恐怖と共に生きる

 鉄屑の芋虫を翻弄し、空を駆け回る。自らの身体を餌にして口を開けさせ、喉の奥深くにあるコアを撃つ。


「……さよならの時間だよ」


 もう何百回と繰り返したルーティンワークである。


『わっ!』


 少し離れた空中に、飛び散った金属片をどうにかホバリングしながら避けるエータがいる。銃を持たせてはいるが、飛行装置の扱いが覚束なく、ワームを攻撃する余裕はないようだ。


 大量のスクラップがばらばらと落下するのを見届けてから、シュカはエータを促し、二人で荒れた大地に降り立った。


 ヘルメットを外したエータが、気落ちした表情で頭を下げる。

 

「すみません……」


 シュカはエータの体内データをチェックする。心拍数は一三〇と、かなり多い。


「エータくんさ……もしかして、高所恐怖症?」


 エータがぎくりと顔を上げる。


「す、すみません……あの……」

「いや、そんなのは全然謝ることじゃないよ。苦手なものは仕方ない。だけどワームを相手にするなら、最低でも地上十メートルくらいのところを飛び回れるようにならないと、ちょっと厳しいかも」

「はい……」


 投棄エリア内で小さめの人型やビースト型を退治するだけであれば、空の高いところを飛ぶ必要はさほどない。

 だが、この荒野に出現するワームに対しては、長い身体の内部にあるコアを直接攻撃するのが最も手っ取り早いのだ。


「自分でも、どうにかしなくちゃって思ってるんです。でもあの高さまで上がると、頭の中がパニックになってしまって……」

「うーん……エータくんは、射撃は得意でしょ。だからとにかく、ターゲットを狙いながら飛ぶ練習をしよう。高いところにいるってこと以上に、敵を撃つことに集中できれば、きっと怖さも薄れてくよ」

「そうですね……」


 しかし、エータは更に俯く。


「すみません、トバリさんが抜けて大変な時なのに。僕、全然役に立てなくって……」

「……それはエータくんが引け目に感じることじゃないよ。むしろ——」


 トバリの負傷は自分のせいだ。そう言いかけて、口を噤む。それをエータに言ってどうする。


「……とりあえず、ちょっと早いけど回収班呼んで、今日はもうセンターに戻ろう。私、帰りにトバリさんの病院寄りたいから」




 ノース・シティ中央病院。

 面会時間内ではあったが、無機質な白い廊下はひっそりとしていた。自分の足音がやけに大きく響く。コンバットブーツが酷く場違いな気がしてくる。

 受付で教えられた病室の前に立ち、コンコンと二回ノックすると、中からトバリの声がした。


「はい」

「カンザキです」

「どうぞ」


 引き戸を開けて中に入る。トバリはベッドの上で軽く身を起こしていた。病衣の左袖は通る腕もなく萎んでいて、目にした途端ずきりと胸が痛んだ。

 傍らにたたずむ奥方と思しき品の良い女性に、シュカは会釈をした。トバリが目配せすると、彼女は「ごゆっくり」と病室から出て行った。


 決して広くはない個室で、トバリと向き合う。


「あの、トバリさん……お加減はいかがですか?」

「あぁ、まぁ、経過は順調だそうだ。普段から鍛えていたのが奏功したな」


 腕を切断したのに、順調とは。いつになく軽い口調だ。気を遣ってくれているのだと分かる。


「ただでさえ担当エリアが増えたのに、こんなザマですまない。陸軍から即戦力を補充してもらえると良いのだがな」

「いえ……アンジが本部のサポートに入ってくれることになりましたし、どうにか回します。エータくんも育ってくれば、もう少しは」

「今いるメンバーで踏ん張るしかないな。国防統括司令部は戦争に向けた準備を始めている。国内の、しかもこんな辺境のリサイクル業務に、人員を割きたくはないだろうからな」

「クリーチャーは増えてるのに……」

「国にしてみれば、一時凌ぎ的な業務という位置付けなのだろう」


 海の向こうの大帝国を破れば、レアメタル産出国もこの国の傘下に組み入れることができる。そうとなれば、わざわざ危険を冒してスクラップ・クリーチャーを狩る必要もなくなる。それゆえに、現段階での人員補填は望めない。


 シュカは少し迷ってから、口を開いた。


「あの、トバリさん。実はずっと気になってたんですが……スクラップ・クリーチャーって、結局のところ、いったい何なんですか? 隕石の鉱物が原因だとか言われてますけど」


 それは、ずっと漠然と感じていた疑問だ。


「……この星に存在しない鉱物から発生した特殊なパルスが金属類に干渉して未知のエネルギーが生まれ、機械類に搭載されたAIが再起動し、擬似生命体が誕生した……というのが通説だな」

「でも、未だに新しい個体が生まれ続けてるのは、どういうことなんでしょう? AI同士で干渉してるとか? 加えて、ここ数年の間だけでも明らかに強くなってきてます。二十年前の隕石のせいで生まれたものが、今もどんどん進化してるっていうのは、いくらAIが学習するものだとは言っても……。あのエリア、何かの温床みたいになってるんですかね」


 トバリが僅かに目を細めた。少しの間があり、会話が再開される。


「実は以前、クリーチャー自体の調査を軍部に打診したことがあった。だが、例の鉱物の持つ情報が複雑すぎて、一朝一夕で解析するのは不可能だと言われたよ。これまで通り一体ずつコアを砕くのが最も確実な方法だろう、とな。……そんなことに研究費や人材を回す余裕などないと、暗に言われたようなものだ」

「そうですか……」


 街を守る防護壁や強化された武器や装備は、戦時にも役に立つ。

 だが、単に資源回収のための素材でしかないスクラップ・クリーチャー自体に関しては、研究する価値もないということだ。こんな末端の苦労など、些末事でしかないのだろう。


「独自に調べようとしたが、情報が乏しく、何も分からなかった。専門機関ですら難しいものを、素人ではどうしようもない。結局、ただ淡々と奴らを狩り続けることしかできなかった」


 不意に発せられた過去形に、どきりとする。

 淡々とした狩りを続けるだけであっても、今のトバリにはもう難しいのだ。

 シュカの視線に気付いたトバリが苦笑する。


「そんな顔をしなくてもいい。実は、傷が落ち着いたら義肢を付けようと思っているのだ。最近のは性能が良いらしい。武器を仕込んだものを特注しようとしたら、妻に止められたがね」


 珍しくおどけた口調に、シュカもつられて頬を緩める。トバリは、まだ引退するつもりはないのだ。


 シュカは表情と姿勢を正して、トバリに向き直った。


「トバリさん、改めまして、昨日はありがとうございました。トバリさんがいなかったら、私、致命傷を負っていたかもしれません」


 そう言って、深く頭を下げる。


「いや、礼には及ばない。これくらいの覚悟は常にできている。私は統括リーダーだからな。現場を離脱せねばならないのが心苦しいくらいだ」


 シュカが曖昧に微笑むと、トバリは僅かに口角を上げ、静かに続けた。


「ハンターチームは私にとって家族のようなものだ。メンバーが無事に帰宅できるなら、これ以上のことはない。自分が傷付くより、仲間の誰かが傷付くことの方が遥かに恐ろしい」

「トバリさん……」


 トバリの『恐怖』。

 彼は、レイが死んだことに責任を感じているのかもしれない。二年前、あの場を指揮していたチームリーダーとして。


「……今日はありがとう。また明日もあるだろう」

「えぇ、また折を見て伺います」


 そうして、シュカは病室を後にする。

 扉を閉めると、トバリと交わした言葉の余韻までもが遮られてしまった。


 静謐とした空間に、歪な足音が響く。

 日常へと戻る道。

 正体不明の怪物と戦う道は、この先いったいどこへ続いていくのだろう。


 ——戦うことが怖くない奴なんて一人もいない。


 死と隣り合わせの恐怖。

 何かを失うかもしれないという恐怖。


 ——冷静な判断というのは、そういうことだ。怖いという気持ちこそが、重要なんだ。


 たびたび思い出す、愛しい人の声。

 はたして自分は、ずっと冷静でいられるのだろうか。例えこれから、どんなことがあろうとも。

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