3ー6 目を醒ます獣

 次にシュカが瞼を開けた時、目に飛び込んできたのは、巨人クリーチャーに立ち向かう仲間たちの姿だった。

 未だ電撃の影響が残っていて、身体の自由が効かない。スカイスーツの電磁防護膜の出力を調整して、スタンガンのように使ったのだろう。


「レイ、さ……」


 なぜ、とは思わなかった。レイはシュカを守るため、敢えて気絶させたのだ。きっと、自分が犠牲になる覚悟で。

 だからこそ、いつまでも這いつくばっているわけにはいかなかった。自分もハンターチームの一員なのだ。レイの行動は公私混同に他ならない。

 それに、彼を失いたくないのはシュカも同じだ。


 震える手を地面につき、上半身を持ち上げ、どうにか立膝の姿勢を取る。

 その時ちょうど、ハンターの一人が巨人に脚を掴まれたのが視界に入った。彼の悲鳴が、インカムを通じて耳に届く。


 刹那。


 青白い光が一直線に閃き、仲間を捕らえた巨人の手首を斬り裂いた。今度はいくらかの鉄屑がばらりと散り、彼は解放された。

 レンズの両眼が、自身を害した存在を探す。


 スクラップに埋め尽くされた大地に降り立ったのは、鎧のような肉体にスカイスーツを纏った大柄な男。

 『ライトニング・タイタン』の異名を持つレアメタル・ハンター、カンザキ・レイその人だった。


『これ以上、俺の仲間を傷付けるな』


 レイは、身の丈ほどもある巨大な戦斧を担ぎ、自分の五倍はあろうかというクリーチャーと真正面から対峙する。


『お前は、俺が打ち砕く』


 力強い声。

 その言葉で、はっきりと分かった。

 レイは命を捨てる気など、微塵もないのだ。

 仁王立ちの後ろ姿に漲る闘志。

 男は今、全身全霊をかけ、この強大な敵をたおさんとしている。


 彼は決して諦めてなどいない。

 この場を切り抜けて、生き残る道を。

 一緒に帰ると、約束したから。


 目の前に立ちはだかる存在を認めた巨人が、軋み咆哮を上げる。

 レイが、飛行装置をフル回転させる。彼は再び巨人へ向かって飛び、先ほどとは逆の腕を粉砕した。敵の強度や動きが、なぜだか弱くなってきている。

 エネルギー光の残像が、巨人の背筋に沿うように駆け上がっていく。両手を失った敵は、もはや獲物を捕捉することもできない。

 相手の身体を蹴上がることで勢いを増し、その頭頂部まで昇り詰めたレイは、戦斧を両手で高くかざした。そしてそれを、圧倒的な膂力りょりょくで以ってひと息に振り下ろす。


『おおおおおおお——ッ!』


 巨大な頭の先から足元までを、縦の亀裂が長く貫く。

 ばらばらとスクラップを撒き散らすそのクリーチャーは、体勢をぐらりと大きく崩し、けたたましい音を立てて地面に倒れ伏した。


 舞い上がった大量の塵埃に、視界が遮られる。

 それが風で払われると、シュカは思わず息を呑んだ。

 自分のすぐそば、手を伸ばせば届くほどの距離に、巨人の顔がある。

 そのレンズの双眸が、シュカの姿を捉えている。

 異形の怪物がゆるりと身を起こし、鎌首をもたげるようにこちらを覗き込んでくる。

 突如。

 錆びた鉄屑の頭部が四方八方へと裂け、新たな『口』が出現した。まるで悪趣味な花のように。


『シュカ! 逃げろ!』


 咄嗟に動けなかった。全身に、未だ痺れが残っていた。

 しかし、それ以上に。

 シュカを見下ろすような『口』の中心部、曝け出された喉の奥に、淡く光るコアがある。視線が、そこに縫い付けられてしまったから。


 くっきりとしたターゲットマークが現れる。

 シュカは半ば反射的に銃を構えた。この方が確実に早いと思った。途端、すぅっと意識が収束する。

 コアが迫る。トリガーに掛けた人差し指に、力を込める。

 あと少しで、あれを砕ける。


 だが、銃口から今にも弾丸が飛び出そうかというその瞬間。

 シュカの身体は物凄い力で突き飛ばされた。

 再び地面にぶつかる衝撃。


『レイ!』


 トバリの叫ぶ声。

 金属が激しくかち合う耳障りな音。


 受け身の反動で起き上がり、今の今まで自分がいた場所を顧みる。

 初め、それがどういう状態なのか、すぐには分からなかった。

 見慣れた逞しい体躯の胴体から、大きなスクラップの塊が。それが、普段相手をしているワームが口を閉じた状態に似ていると思い当たる。


 そして、急速に理解した。

 その人物が、クリーチャーに喰われているのだと。


 どん、と怪物の体内で何かが爆発したような音と振動。悲鳴にも似た、耳を劈く軋音あつおん

 巨人の怪物が、頭部を振って彼から離れた。


 隆々とした左腕が、ぼとりと地に落ちる。武器を持っていた右腕は、敵に呑まれてしまったらしい。


 残されたのは、胸部から上を失った男の身体だ。


 一瞬遅れて、そこから夥しい量の鮮血が噴き上がる。

 シャワーのように降り注ぐそれはシュカの元にまで届き、スカイスーツやヘルメットのシールドを濡らす。


 これは、誰の血液なのか。


 受け容れることを頭が拒んでいた。何かの間違いではないか、たちの悪い夢ではないか、と。

 だが、転がってきた小さな銀のプレート——あちこち傷付き、鎖の切れた認識票ドッグタグ——に刻印された文字を見て、逃れようのない現実なのだと知る。


『KANZAKI Rei』


 それはノース・リサイクルセンターの絶対的エースであり、『ライトニング・タイタン』の異名を持つレアメタル・ハンターであり、そしてシュカにとっては最愛の——


 最後に抱き締められたあの時。

 彼が呟いた言葉は。


 ——シュカ、————………


 その瞬間から、記憶があやふやだった。


 もう一度ロングソードを握り直し、飛行装置を起動させてクリーチャーに突進していったことだけは、何となく覚えている。

 迸るように発せられた獣のような慟哭は、いったい誰のものだったのか。

 傷の痛みも忘れ、高く宙に舞い上がった身体は、いったい誰のものだったのか。


 赤く血に染まった視界。

 赤く錆び付いた鉄屑の怪物。

 閃く刃。

 銃弾を吐き出し続ける複合型電磁銃マルチレールガン


 ——ころせ。


 何一つ、自分では制御できなかった。

 仇敵に襲い掛かるだけでは、飽き足らなかった。


 目に入るもの全て。手当たり次第に。一匹たりとも逃さずに。

 殴り。蹴り。斬り。撃ち。刺し。弾き。抉り。砕き。貫き。裂き。断ち。捌き。薙ぎ。

 割り壊し。掻き回し。打ちのめし。叩き潰し。踏み抜き。引き千切り。屠り捨て。

 修羅と化した女は、その場に蔓延る全ての敵を狩り尽くす。


 ——戮せ。


 誰かの囁く声が脳髄を痺れさせ、彼女の本能を駆り立てていた。

 思考も理性も放棄して、身体じゅうを這い回る衝動に精神こころの総てを委ねた。


 ——戮せ。


 芯が滾る。

 高みに昇っていく。

 気絶寸前で霞んだ意識をぎりぎりで保ったまま、ただただ獲物を喰らっていた。



 やがて全てが終わり、凪が訪れる。

 静寂の中、しんしんと音もなく降り募る粉雪が、地を覆う赤に溶け入っていく。

 火照りが醒めるのと同時に、急速に現実が戻ってくる。


 残されていたのは、愛する者の亡骸だった。


「レイ、さん……」


 シュカはレイだったものの傍らにくずおれた。

 振り撒かれた大量の血と、崩れて散乱した古い錆鉄の山。

 まるで、彼女を中心にして大輪の朱い花が咲いているかのようだった。



 ■



 シュカははっと瞼を開けた。

 寝室には、カーテンを透かした白い光が射し込んでいる。午前六時だ。


 隣の我が子は、まだ寝息を立てて眠っていた。細かい産毛の生えた柔らかな頬の曲線が、ほうっと明るく浮かび上がっているように見える。

 自分によく似た赤茶色の髪をそっと撫でる。イチが寝惚けたまま、むにゃむにゃ言い始めた。


「ママぁ……」

「……はーい?」


 返事をしても、それに応える声はない。また眠ってしまったらしい。思わず、小さく笑う。

 平和で、穏やかで、静かな朝。

 先ほどの夢の情景が嘘のようだ。


 だが、シュカは知っていた。あれは夢でも嘘でもない。現実に起きた過去の出来事なのだと。

 久々にあの時の夢を見たのは、昨日の特別任務でトバリが自分を庇って負傷したからだろう。

 長く、細く、息を吐く。


 自分の中には、今もあの獣が棲んでいる。

 ふとした瞬間、意識の底から顔を出し、破壊の衝動を突き動かす飢えた獣。


 ——シュカ、一人で突っ走り過ぎるな。周りをよく見ろ。がむしゃらに攻撃することだけが強さじゃない。まずは自分自身を大事にして、今すべきことを判断するんだ。


 かつてレイから言われたことを、ずっと肝に命じている。

 獣を抑え込まねばならない。自分を大事にしなければならない。そうでなければ、守るべき者を守れないから。


 今日もまた、一日が始まる。

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