第7章 決戦

7ー1 バディの男

 催眠の解除コードは夜のうちに医師に伝え、他の患者と共有した。皆すぐに眠りから覚め、順調に快方へ向かっているようだ。


 翌朝になると、イチの意識もずいぶんはっきりした。「おなかすいた」と言って、朝食として出されたとろとろの粥をぺろりと平らげたので、一安心だ。


 今日は午前中いっぱい、念のための様々な検査があるらしい。

 シュカはその時間を利用し、イチの着替えを取りに一旦帰宅することにした。それに、自分の朝食もどこかで調達せねばならない。


「えー……さみしい……」


 イチがめそめそし始めたので、思わずきゅんとしてしまった。


「ごめんね、早めに戻ってくるから。大好きだよ」


 ずっと伝えたかった言葉を口にして、イチをぎゅっと抱き締めてから、病室を後にした。




 一通りの所用を済ませ、病院へ向かう道すがら、職場に立ち寄った。朝のミーティングだけ顔を出して、すぐにイチのところへ戻るつもりだった。


「結論から言うと、マチダ室長とは話はできなかった」


 総勢十三名のハンターと、補佐八名。第一会議室に揃ったチームの面々を前に、トバリは渋い表情でそう言った。


「あの新兵器は軌道に乗り切った計画ゆえ、取り止めは軍として、ひいては国として、あり得ないそうだ。私に対しては相応の地位や褒賞の話をされたが、そんなものは以ての外だ。こちらとしては如何なる法的措置も辞さないと、態度を明確にしてきた」


 疲労の陰が色濃く刻まれた彼の顔には、今なお厳しい色が浮かんでいる。


「話し合いの最中に例の洗脳プログラムが使用された形跡があったが、ハスミさんの防壁が上手く働いてくれた。マチダ室長は不審に思ったようだがな。何にせよ、今後の話については今日のお披露目会の後に進めることとなった」


 昨晩のミーティング時には息を巻いていたメンバーも、今日は静かだ。統括リーダーが自ら出向いて筋道を付けてきた話を、めちゃくちゃにするわけにはいかない。


「新兵器の登場は九時からだそうだ。その様子を生中継するらしい」


 間もなくその時刻になる。補佐メンバーの一人が部屋の片隅にある立体投影装置ホロヴィジョンの電源を入れた。

 軍服の男性の姿が空中に映し出される。彼は淀みのない口調で兵器の概要について解説していた。


『これからご覧いただく自律型兵器は、二十年前の隕石が原因で生まれたスクラップ・クリーチャーの生態を解析・制御することで、新たな機構として再利用したものであります』

「……なるほど、そういうストーリーか」


 何人かの仲間が唸るのをよそに、解説は続く。


『この兵器は地中を掘り進むことができるため、相手に気付かれることなく接近することが可能です。今回のデモンストレーションでも、およそ百十キロメートル離れた場所から地下三十メートルの深さのところを移動してきています』


 シュカはぽつりと口を開く。


「ワームが地下を掘り進んで出てくるようになったのも、このための練習だったんだ」


 そこからしばらく嘘で固められた『新兵器』の説明が続き、それが終わると見慣れた荒野の映像へと切り替わった。

 ややあって、カウントダウンが始まる。


『十、九、八——……三、二、一』


 カウントゼロ。


 一瞬の間の後、大地が唸った。ゴリゴリと地面を削る音がしばらく続く。やがて土が大きく盛り上がり、ひびが入って、『新兵器』は姿を現した。

 よく目にするスクラップ・クリーチャーよりずいぶん新しい、銀色の鉄屑でできた巨大な身体。最初はワーム型だったそれは、いつの間にかビーストの形を取っている。頭部には一対のレンズの目が嵌っていた。


「確かにこの前の奴と同じタイプだな」

「こいつが兵器……」


 ぼそぼそと交わされる仲間の声を聞きながら、胸の奥がしんと冷えるのが分かった。

 自分たちが果たしてきたことは、本当に、全て兵器のためだったのだ、と。


 部屋の隅にいたアンジが、そっと扉を開けて出ていった。他のメンバーは生中継に釘付けだ。

 シュカも席を立つ。


「すみません、少し外します」


 一応そう断って、アンジの後を追った。


 第一会議室を出て正面、階段を下っていく長身の背中を見つける。


「アンジ!」


 呼び止めれば、彼は難なく振り返る。


「おう、シュカさんどうした?」


 そう応える相棒はあまりにもいつも通りで、拍子抜けしてしまう。何となく、そのままふらりとどこかへ行ってしまいそうな、危うげな空気を纏っていたのに。


「いや……あんたこそ、どこ行くの?」

「俺? 俺はちょっと一服だよ」

「あ、そう……」


 とは言え引っ込みがつかないので、階段を降りてアンジに追い付く。


「私も一緒に外の空気でも吸うわ」

「一緒に行くと受動喫煙することになるぜ」

「いいよ、慣れてる」


 アンジが口の片端を上げたので、了承したものと判断する。

 一階まで下り切り、揃って事務所棟の玄関を出た。空調の効いた室内から一転、茹だる空気に包まれる。暑さがぶり返したような日だ。焼け付くほど強い陽射しに、シュカは思わず目をすがめた。

 辛うじて日陰になっている壁際に、アンジと二人並んで身を寄せる。


「あっちぃな」

「ね」


 しゃがんだアンジが、さっそく煙草に火を点けた。一口目を深く吸い込み、ひと息に煙を吐き出す。


「坊主は?」

「昨夜、無事に目覚めたよ。今朝にはもうベッドの上で起き上がれるようになってた」

「良かったな」

「うん」


 少し遅れて、紫煙が鼻腔を掠める。

 アンジの匂いだ、と思った。訳もなく呼吸が苦しくなる。


 エアコンの室外機の音が、どこか遠くから聞こえる。無言の時間が、ただただ募っていく。

 何度目かの煙を吐いた彼は、ついに沈黙を破った。


「……こたえるよな、正直」


 今まで耳にしたこともない、消え入りそうな声だった。返答の言葉を、慎重に選ぶ。


「うん……あのさ、アンジ。あんた大丈夫? 変なこと考えてない?」

「変なことって?」

「いや、何というか、一人で妙なことしでかしそうな雰囲気だったから」

「まさか。シュカさんじゃあるまいし」

「どういう意味だよ、それ」


 わざと大袈裟に眉をひそめてやる。それに対し、アンジは大仰に肩をすくめた。


「いやー……実を言うと、考えなくはなかった、かも。お披露目会に単身突っ込もうか、とか」

「は?」

「まぁ、やらねぇよ。虚しいだけだもんな、そんなことしても」


 『虚しい』という言葉が、ずしりと胸に落ちる。

 アンジはまた一口、二口と煙草を吸って、神妙なトーンで言った。


「あのさ……」

「……何?」

「シュカさんの胸で泣いていい?」

「いや私の胸である必要はないよね」

「即答かよ」

「そりゃそうだよ、このドスケベが」


 冗談めかして言うと、はは、と軽い笑い声が返ってくる。それはそのまま重い溜め息に変わった。

 そこに紛れた「ありがとな」というほんの小さな呟きを、シュカは聞こえないふりをした。

 普段の明るいキャラクターに似合わない俯きがちの姿勢で、アンジは再び口を開く。


「前にさ、話しただろ、俺が軍隊入った理由」

「正義のヒーローに憧れてたっていう?」

「そう。あれ、親父のことだったんだよ」

「お父さん?」

「うん。俺の親父、陸軍にいたんだ。まだ俺が小っちゃい頃、大陸戦争時代に」


 頷いて、続きを促す。


幼気いたいけで純粋だったアンジ少年は、父親を誇りに思ってた。勇敢に戦って、国を勝利に導いたスーパーヒーローだってな。実際のところ、ただの一兵卒だったんだけど」


 アンジは自嘲気味の笑みを漏らす。


「結局、親父は帰ってこなかった。そこから俺んちも母子家庭だよ。でも英雄はそういうもんだ、仕方ねぇんだって、自分で自分に言い聞かせてた。英雄の息子は、偉大な父の遺した平和を守るべきだろ。そんな風に能天気に意気込んで、親父と同じ道に進んだ」

「……うん」


 能天気だとは思わなかった。シュカも同じような理由で入隊したのだ。

 つまり、アンジにも守りたい存在があったのだろう。そう、例えば——


「そこでようやく目が覚めた。親父、あの戦争で何人殺したんだろうな。親父が殺した敵兵にも、帰りを待つ家族がいたかもしれねぇんだ」


 例えば、家族、とか。


 新兵訓練の時の、アンジの様子を思い出す。

 身体能力が群を抜いて高く、様々な演習で好成績を修めた彼は、しかし人の形をしたものを決して撃とうとはしなかった。「そんなもん狙わなくたって射撃の腕は磨けるさ」とヘラヘラ笑って。


「自分が甘いってことはよーく分かってるよ。甘いなりに、自分がやるべきだと思うことをやってきたつもりだったんだ。だけどさ……なんか、つまんねぇことになっちまったな」

「……そうだね」


 アンジはしゃがんだまま背を壁に預けて、空を仰ぎ見る。シュカと視線が合うと、どこか眩しそうに目を細めた。


「坊主にとってみたら、シュカさんはヒーローなんじゃねぇかな。こんなカッコいい母ちゃん、そうそう居ねぇよ」

「……どうだろう。寂しい思いばっかりさせちゃってるから」

「それでもだよ。怪物をやっつけて、ピンチの時は助けてくれる。強くて優しいヒーローだ」


 いつの間にか煙草は燃え進んで、灰の部分が伸びている。アンジは最後に一口だけさっと吸うと、ポケットから取り出した携帯灰皿の中にねじ込んだ。


「だから、戦争なんかに力を貸すようなことがあっちゃならねぇ」


 それは何気ない調子の言葉だった。決して押し付けがましくなく、ただ話の流れで自然に出てきたかのような。

 だからこそ、すとんと腑に落ちる感覚があった。


 シュカはアンジの隣に腰を下ろし、膝を抱えた。

 少しだけ躊躇う。だが、迷いはない。


「ねぇ、アンジ。私、ハンターを引退しようと思う」

「……あぁ」

「兵器のこともそうだけど、何が一番大事なのかって考えたら、さ。今回イチが大変な目に遭って、死ぬほど後悔した。あんな思い、もう二度としたくない」


 内なる獣のことは気掛かりだが、それも含めて乗り越えるべきだろうと思った。


「そっか……じゃあ、俺も辞めようかな」


 思わず横を見る。アンジはいつもの緩い表情だ。


「よーしシュカさん、一緒に会社でも立ち上げようぜ」

「は? 何の?」

「いや、決めてねぇけど。とりあえずシュカさんが社長で俺が副社長」

「何それ、嫌だよ。心にもないこと言ってんじゃないわ」

「一刀両断かよ」

「そりゃそうだよ。ちゃんとしたプラン持って来いっての」


 アンジが、今度は愉快そうに笑い声を上げた。


「でも、割と本気で思うんだけどさ。俺、シュカさんと一緒だったら、何やっても楽しい気がするんだよ」


 そう言ってこちらを覗き込む目は、どことなく甘い。

 眉根を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をしてやる。


「そろそろ独り立ちしなよ」

「俺はいつだって自由気ままな独り身だよ」

「知ってるよ」


 正面を向けば、視界は明るい。リサイクルセンターの敷地を覆うコンクリートの白が、太陽光を強く弾いている。

 驚くほど心が軽くなっていた。同時に、なぜだか泣きたい気分でもあった。

 この風景を懐かしく思う日も、きっといつか来る。


 そろそろ戻ろうかと腰を浮かせかけた時、急に玄関扉が開いた。中からエータが飛び出してくる。


「あっ……いた! シュカさんもアンジさんも」

「あ、ごめんエータくん、もう戻るとこ。どうしたの?」


 酷く焦った様子のエータが、勢い込んで捲し立てた。


「た、大変です! 例の新兵器が誤作動を起こして、この街に向かってきてるって……!」

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