6ー3 虎穴に入らずんば

 翌朝九時。

 晩夏の澄んだ陽光が、不毛の大地を隈なく照らしている。


 シュカはアンジやエータと共に、スクラップ投棄エリアの出入り口の前にいた。三人ともスカイスーツとヘルメットを身につけ、準備万端だ。

 前回の任務でここを訪れてから、およそ四ヶ月が経つ。高さ二十メートルにも及ぶ鋼鉄製の壁は変わらず頑強で、元通りに修理された扉はきっちりと閉ざされている。


 アンジがエータの顔をちらりと見やって言った。


「エータ、だいぶ心拍数上がってるけど大丈夫か?」

「す、すいません」


 シュカもパルスメーターシステムでエータのデータを覗いてみる。


「ほんとだ、全力疾走したのかってぐらいになってる。ちょっと深呼吸した方がいいよ」

「は、はい……」


 深く息をつくエータに微苦笑しつつ、考える。

 シュカ自身、初めてこのエリアに足を踏み入れた時はどうだっただろうか。少し緊張していたと思うが、あれはどちらかというと戦いへ向かう興奮だったはずだ。

 あの頃は、いつも隣にレイがいた。新人だったシュカを、ずっと気に掛けてくれていた。

 今思い出しても胸が甘く苦しくなり、そしてにじられるように鋭く痛む。


 その痛みの奥に、あの獣が何食わぬ顔で鎮座している。

 いつ暴れ出すとも知れない、もう一人の自分。


 シュカは正面を向いたまま、小さく口を開く。


「あのさ、アンジ……あんたに頼みがある。もし私の様子がおかしくなったら止めてほしい。殴ってでもいいから、目を覚まさせて」

「ん? 何だそれ。殴るって……お姫さまを目覚めさせるのは王子さまのキッスって、昔から相場が決まってるだろ」

「は? 姫と王子がどこにいるっての」

「はは、違いねぇ」


 本気とも冗談ともつかないやりとりに、エータは目をぱちくりしている。


「お二人……仲良いですよね」


 それに対し、シュカは盛大に眉根を寄せ、アンジはにぃっと口の両端を吊り上げた。


「いや?」

「だろ?」


 同時に反応したことで、シュカはますます苦虫を噛み潰したような顔になった。


 その時ふと、街の方向から一台のワゴン車が走ってくるのが見えた。


「あ、葬儀社の車だ。隣の火葬場へ行くんだね」

「あぁ、あの人らも死人が出るたび荒野を渡ってくるわけだよな」


 確か、四ヶ月前の例の任務の時も、あの車を見た。


「話には聞いてましたけど、本当に投棄エリアの真横なんですね」

「うん。空爆直後なんか、死者を運ぶためのトラックが列になってたみたいだよ」

「火葬場も処理が追い付かなくて、腐り落ちるまま遺体が山積みされてたらしいぜ」

「ええぇ……」


 エータが身を竦ませる。


「戦時中ほどじゃないとは言え、街じゃ毎日誰かしらは亡くなるから大変だよね」

「ワームの出現エリアは共有してても、それも日々変わるしな」

「こないだみたいな怪物もいつ現れるか分かんないし、ちょっと心配だね」


 ワゴン車を見送り、改めて扉に向き直る。


「じゃあ、そろそろ行くか」


 アンジが操作パネルにパスコードを入力する。今回の立ち入り申請で得たコードだ。重い扉が鈍い音を立てて開く。


 中へ進むとすぐに、ひしゃげた古い鉄格子が目に入る。そして『関係者以外立入禁止』の文字が掠れた看板。

 先般の任務の時と寸分違わない。ただ、あの時とは違い、既に何体かクリーチャーの姿が見えている。

 内側パネルの操作で、再び扉が閉まった。


「隊列組んで行くぞ。クリーチャーの群れを避けて移動する。スカイスーツの電源は交戦時に入れればいい。ヘルメットが蒸れるから、シールドはひとまず上げたままで。各自、水分補給をこまめにするように」

「了解」


 アンジの指示で、事前に決めてあった並び順にて隊列を組む。トップはシュカ、セカンドにエータ、そしてバックアップがアンジ。

 シュカが前方九十度、エータとアンジはそれぞれ左右の方位を索敵しながら、エリアの奥へと進み行く。


 スクラップ投棄エリアは広い。何せ、ノース・シティの四分の一ほどの面積があるのだ。

 その最奥に辿り着くためには、徒歩で二時間ほど掛かる。スカイスーツで飛んで行こうにも、バッテリーを無駄遣いするわけにはいかない。戦闘の最中や不測の事態などに電池切れとなっては、命に関わるからだ。


 スクラップが山と積まれた風景が延々続く。時おり、その陰で小型から中型のクリーチャーが動いている。やはり、数はかなり多い。

 ぞくり、と身体の芯が熱を持つ。

 あれを一思いに蹴散らしたら、どれほど気持ちいいだろう。


 単独で目の前に現れた小型ビーストを一瞬で斬り捨て、少し冷静になる。

 今は先を急ぐべきだ。目的のデータを見つけて、一刻も早くそれを持ち帰らなくてはならない。それが今のところ、最愛の息子を目覚めさせる唯一の希望なのだから。


 目の前で命を落としたレイや、未だ意識の戻らないイチのことを考えると、心が乱れそうになる。

 他でもない自分のせいで、誰よりも愛する存在を危険に——


「わっ!」


 不意に短い悲鳴が耳に入り、シュカは振り返った。見れば、足元の廃材が崩れてエータが転倒している。


「エータくん、大丈夫?」

「す、すいません……」

「シュカさん、隊列が崩れてる。急ぐ気持ちは分かるけどさ」

「あ……うん、ごめん」


 そうだ。先頭を行く自分は、後ろのメンバーのことも気に掛けなければならない。


「足元が不安定な場所もあるから、気を付けて。できるだけ平坦なところを選んで歩くから」


 その後はややペースを落として進んでいった。

 相変わらず視界のあちこちにクリーチャーの姿があるが、その状況にもだんだん慣れてくる。群れや中型以上の個体を迂回して避け、たまに単体で出くわす小さめの敵だけを即座に倒していけば、バッテリー消費も最小限で済む。


「前はこんなところでオペレーションしてたんですね」

「そうそう。でも昔って、そんなに強いクリーチャーはいなかったんだよね」

「俺らがハンターになったばっかの頃は、動き方がちょっとぎこちない感じの個体も多かったよな。時々四トントラックくらいの中型クリーチャーがいたくらいでさ。大型のやつなんて、年に一回見るか見ないかくらいだった」

「ここのスクラップも少しずつ減ってきてる気がする」

「来るたびに地形が変わってるしな。とは言えまぁ、エリアの奥まで行ったことなんて俺は一回もなかったけど」

「私だって一回しかないよ」


 言葉を交わしながらも、視線を油断なく辺りに巡らせる。


「懐かしいね。こんな風にスリーマンセルで前後に付いてもらって、卒業テストの狩りをしたんだ」

「シュカさんやアンジさんにも、新人の頃があったんですね。なんか信じられないなぁ」

「いきなりバリバリ活躍できる奴なんかいねぇよ。誰でも最初は一年生!」

「エータくんは三年ぶりの新人だから、久々に職場の空気も新しくなったような感じがするよね」


 また昔の記憶に触れそうになったが、その苦しさを思い出すより早く、今現在の会話の軽妙さがそこに上書きされていく。

 あぁ、そうか。

 誰かのことを気に掛けていれば、自分は冷静でいられる。

 もしかして、アンジはそれを見抜いた上で、このメンバーを選んだのではないか。彼の提案を了承したトバリも。


 エータが、まるでシュカの心境を代弁するように言った。


「お二人と一緒だと、すごく心強いです」

「そりゃ良かった。……っと、九時の方向にドラゴン発見」


 アンジの言う通り、現在地から真っ直ぐ左方向の百メートルほど先に、一体のスクラップ・ドラゴンの姿があった。サイズは小ぶりの中型といったところだ。


「卒業テストのターゲットとしてはちょっと小さいんじゃない?」

「何にせよ、やるとしても帰りだな。まだ往路の半分くらいだし」


 ドラゴンをやり過ごし、更に奥へと向かう。途中、また何度か小型クリーチャーに出くわしたが、シュカとアンジで瞬殺した。

 出発から一時間五十分が経過した頃、ようやく管理棟が見えてくる。その周辺には、三体の小型ビースト。

 スクラップの山の陰から状況を窺う。


「距離、七十五から八十」


 正直、小型三体程度ならシュカたちの敵ではない。だが——


「……そこから更におよそ五十の位置に、大型バグ」


 そちらの方が問題だ。


「エータくん、ここから撃てる?」

「あ……はい。大丈夫です」

「こっからだとよく見えねぇけど、あの大型が例のレンズ付きの奴とも限らねぇ。小型たちがこっちに来て下手に交戦するのもまずい。あいつらを早めに遠隔で倒して、デカブツはやり過ごそう。任せるぜ」

「……了解です」


 エータは少し緊張した面持ちでヘルメットのシールドを下げた。クリーチャーのコアの感知の精度が上がったので、この距離でもシールド上には小型ビーストのターゲットマークがはっきりと出ているはずだ。

 そして彼は、肩に担いでいた複合型電磁銃マルチレールガンを構える。


 一瞬の静寂。

 立て続けに三発が、僅かな発砲音と共に繰り出される。

 超加速した弾丸が、茹だるような空気を切り裂いて飛ぶ。

 発射とほぼ同じタイミングで着弾。

 三体のビーストはこちらに気付くいとまもなくコアを撃ち抜かれ、その場にばらばらと崩れ落ちた。


 アンジが口笛を吹く。


「ナイスショット! すげぇな、百発百中」

「いえ……相手の動きがゆっくりで狙いやすかったです」

「さすがエータくん!」」


 シュカが軽く背中を叩くと、シールドを上げたエータが頬を染めてはにかんだ。


 そのまましばらく様子を見る。十分ほどその辺りをうろついていた大型バグは、やがて向こうへ遠ざかっていった。


「よし、行ったな」


 三人は警戒しつつ、管理棟へと向かう。

 ふと、シュカは足元に微振動を感じた。そのことに、強烈なデジャヴを覚える。

 確か二年前のあの時も、この場所で同じように感じたのだ。


「ねぇ、足元さ……なんか細かく揺れてない?」


 シュカの言葉に、後続の二人が立ち止まった。


「え、揺れてるか?」

「……すごく小さく、唸るような音が聞こえる気がします」

「あぁ、それかも」


 これまでであれば、ただの思い過ごしだろうと気にも留めなかったはずだ。

 だが、今は違う。

 やはり、何かがあるのだ。この管理棟の中に。


「……行こう」


 三人は顔を見合わせ、頷き合うと、崩れかけた建物の中へと入っていった。

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