第5章 暗転

5ー1 いくつもの可能性

 ハスミに相談を持ち掛けられてから数日経った、ある日の業務後。シュカとアンジは、第一居住区にあるトバリの自宅を訪ねていた。

 周辺の家々と同じ、判で押したように画一的な作りの玄関の前でインターホンを押し、出迎えてくれた奥方にダイニングへと通された。


 食卓の対面に腰を下ろしたトバリに、ひと通りの事情を話す。

 しばらく黙り込んで小さく眉根を寄せていた彼は、慎重な口調で言った。


「私も例の映像は見たが、あの兵士たちの様子は、言われてみれば少し不自然ではあったな」

「ですよね。ハスミさんの話や私が会話した時の弟さんの印象から見ても、彼らが積極的にこんなことをしたとは考えづらいと思います」

「では、どう見る?」

「そうですね……スクラップ・クリーチャーが、あの投棄エリアから脱出するために、兵士たちに自爆行動を取らせたんじゃないか……というのが、私とアンジの見解です。例の任務の時、あの大型のビーストは群れを率いて出口を目指していたように見えました。まるで、明確な意思を持った動物みたいに」

「確かにあの時のクリーチャーたちの様子はいつもと違ったが……俄かに信じ難い話ではある。これまで我々は何度となく奴らと接触してきたが、一度とてそんなことはなかったのだからな」


 それはそうだろう、とシュカは思った。

 だが、どんな話でもひとまず受け止めて様々な可能性を想定するのが、我らが統括リーダーである。


「仮にシュカが見たという光がクリーチャーの発した信号であったのだとしたら、それが人の動作や意思にどう作用したと考える?」

「一瞬モールス信号かと思ったんですけど、もしそれで指示を受けたとしても、まさか自爆なんてしませんよね」

「あるとすれば——」


 アンジが、人差し指で自分の頭部を示す。


「電脳チップ端末をクラッキングされた弄られた、とか」


 シュカは低く唸る。


「でもそれなら、どうしてあの壁際の兵士たちだけがおかしくなったの。私だって光を見たのに。そもそも電脳チップはただの通信端末で、使用者の身体を操作する機能なんてないでしょ」

「ほら、例えば、指示された動きをしたくなっちまうようなプログラムか何かを、不思議な力で送り込まれたとか」

「どんなプログラムよ、それ……」


 トバリが一つ息をつく。


「現実的に考えるなら、個人の端末にアクセスするのに、まずはどこかからネットに介入して個々のアカウント情報を得る必要があるだろう」


 イデアネットを介さず端末同士で直接的にやり取りする技術自体は存在するが、脳の神経に繋がった端末でそれを行うとさまざまな弊害が起こり得るため、電脳チップにそうした機能は搭載されていない。


「もしクラッキングが原因なら、目に見える光なんかはあんまり関係ねぇか」

「というかクリーチャーたち、ネットするの? あいつらにそんな知能ある?」

「……可能性は、いくつか考えられる」


 トバリは視線を鋭くし、右手の人差し指を立てた。


「例えば、高度に進化を遂げた個体が、あのエリア内に潜んでいる可能性。それこそ、自律的にネット接続できるような。クリーチャーたちに指示を出すボスが存在するのかもしれない」


 言われてみれば、レイを殺した巨人クリーチャーも特殊な個体だった。奴らが未知の進化を遂げていることは十分考えられる。

 トバリは二本目の指を立てた。


「もしくは、全くの第三者がクリーチャーを利用し、何らかの破壊活動を行おうとしている可能性。その者があの兵士たちの端末に接触し、何某なにがしかの方法で自爆行動を取らせ、クリーチャーを外へ逃がそうとした、と」

「なるほど……でも、いったい誰がそんなことを……」

「待て、スクラップ・クリーチャーは隕石の未確認物質から生まれたんだろ? だとしたら——」


 アンジが真剣な面持ちで呟く。


「宇宙人の仕業だ」


 きーんこーんかーんこーん。

 どこか遠くから響いてくる行政無線の間延びしたチャイムが、午後六時を告げた。部屋の中では、かちこちと秒針の音が時を刻んでいる。


「……えっ、何この空気」

「ちょっと……支部チーフの人」


 二人の対面ではトバリが軽く苦笑し、さて、と両手を顔の前で組み合わせた。

 生身の右手と、無骨な金属製の左手。それを目にすると、シュカもアンジも背筋が伸びる。


「その場合は、やはりテロだろうな。クリーチャーに街を襲わせることで軍部の邪魔をし、戦争の準備を妨害するために」

「なるほど」


 それなら、よほど腑に落ちる。


「このことは国防統括司令部に伝えておくべきだろう。また同じようなことがあっては不味い」

「だったら、私が当時のことを思い出したってことにして、マチダ室長に報告していただけますか? ハスミさんから相談を受けたということは、軍部には伏せると約束したんです」

「そうだな、分かった。では明日にでもマチダ室長へ連絡しよう」


 その方向性が決まると、ようやく尻の座りが落ち着いた。やはり統括リーダーに話を上げておくと心強い。

 奥方からの夕飯の誘いを丁重に断って、シュカとアンジはトバリの家を後にした。



 外はまだ明るい。季節は夏に差し掛かろうとしている。制服のジャケットは薄くて軽い素材のものに変わっていた。

 表へ出るなり、アンジは煙草をふかし始める。


「トバリさんに相談して良かったな。シュカさんには時間取らせちまったけど」

「別にいいよ。クリーチャー絡みなら、チームのみんなにも関わることだしね」

「そう言ってもらえると助かるよ」


 ふわりと紫煙が漂う。この匂いにもすっかり慣れてしまった。


「じゃあ俺、明日はリニア支部の方だから」

「あちこち慌ただしいね」

「いや、どうせ独り身だし何も問題ねぇよ。シュカさんこそ、坊主の送迎とか大変じゃん。変な話に巻き込んじまって悪かったなと思ったよ」

「今さら何言ってんの。あんな話、あんた一人で抱え込むのもキツかったでしょ」


 シュカがそう言うと、アンジはひょいと眉を上げ、はは、と軽く笑った。


「やっぱシュカさんは最高だな」

「何それ」


 適当に躱して、先にアンジのバイクを見送る。

 そしてイチに思念話メッセージを送信した。


『イチ、遅くなってごめん。今から迎えに行くね』

『ママ! はやくきてね!』


 子供の適応力はすごい。電脳チップの操作もあっという間に覚えた。離れていてもこうして話ができるので、イチは嬉しそうだった。

 だから、仕事の休憩時間にもちょこちょこと通信している。レイと付き合い始めた頃のことを思い出して、どことなく甘い気分になった。

 万が一の時のためにと早めに埋め込みしたものだったが、イチだけでなくシュカにとっても心の安らぎに繋がっていた。

 もうすぐイチの六歳の誕生日だ。ちゃんと時間を取ってお祝いをしようと、シュカは心に決めた。




 後日、マチダからハンターチーム宛てに連絡があった。


『情報と見解をありがとう。クリーチャーを利用したテロという可能性については、確かに一理ある。だが、あの兵士たちが実行犯であることは動かぬ事実だ。いずれにせよ内々にて進める必要がある。彼らの端末に接触した可能性のある者について、引き続きこちらで調査する』


 それを受け、トバリは渋い表情だった。


「彼らが意思を操られていた可能性についてもマチダ室長へ伝えたが、あまりに突拍子もない話だと一蹴された。例えクリーチャーたちを扇動するボスがいるのだとしても、現段階ではどうしようもない、あのエリアを厳重に封鎖するしかないと」

「でしょうね……」

「宇宙人の可能性は」

「言わずもがなだ」


 結局、ハスミの弟はテロ犯のままだ。


「しかし、またクリーチャー絡みでサイバー攻撃ないしは端末への接触が行われる可能性も完全には否定できないと、私は思っている。その場合に最も危険なのは、日々クリーチャーと接触している我々だろう。気休め程度ではあるが、電脳チップ端末のセキュリティを強化するよう手配した」


 こうして、ノース・リサイクルセンター ハンターチームのスタッフ全員の電脳チップに、従来よりも高機能のセキュリティ・ソフトが入れられることとなった。


「チーム内の誰かの端末がクラッキングされて操作不能となった場合などに、他のメンバーが代理でそのアカウントを操作できる仕組みになっています」


 国内最大手のソフトウェア会社の担当者から、そう説明を受けた。


「これってメンバー全員が同時にやられたら、結局もう無理ってことですね」

「そうならないように祈るしかない。そもそもこれが効果のある防衛策なのかどうかも分からないわけだからな」


 どこを向いても、「可能性」の話でしかない。

 敵の出方どころか、敵が何者なのかすらも判然としない状態では、これが今できる最大限の対策だった。




 そこからしばらくは、何も起こらない平穏な日常が続いた。


 相変わらずシュカは自宅と職場と保育園の往復の日々で、アンジは他のリニア支部メンバーとのローテーションであちらへ行ったりこちらへ来たりしていた。

 エータはだんだんとワームの討伐数が増え、シュカが手を貸さなくとも一人で獲物を仕留められることが増えてきた。

 トバリも少しずつ現場に出始め、ノース・リサイクルセンターはようやく平常運転に戻りつつあった。


 メディアでは連日、生鮮食品や日用品、電化製品などあらゆるものの高騰が報じられ、一方で識者が戦争の必要性について説いていた。

 セントラル・シティでは戦争推進派と反対派がたびたび衝突して騒動が起き、治安も悪化しているようだった。

 だがそれも、ノース・シティのような辺境の地ではどこか他人事のような話であり、むしろ人々は緩やかに進行する物不足の流れに従って、慎ましく静かな生活を送っていた。


 磨りガラスの向こう側はやはりよく見えず、目の前を行き過ぎる日常をただただ凌ぐ他に選択肢はない。

 そうして皆がその泡沫のような無風状態を淡々と享受していたある日のこと。


 ついに、事件は起こった。

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