明日は今日より

第31話 君と見た星座


 フローリングの床。四面ある壁のうち、一面はすべて鏡。そんなダンスのための専用の部屋で、シューズがキュッキュッと小気味いい音を立てる。


三宅みやけさん」

「ん、星川ほしかわさん。どうしたの」


 私の呼びかけに、三宅さんが振り向いて答える。少し高めの位置でまとめられたポニーテールがしなやかに揺れた。


 三宅さんは私たちにダンスを指導するトレーナーで、元プロダンサー。高校生のときに全国で準優勝したとか、とある有名なアーティストのバックダンサーを務めていたこともあるとか、まあつまり、とてもすごい人だ。


 ダンスをしているからか、非常にスタイルがいい。見た目も話し方も若々しい。年齢はすでに三十台の後半らしいが、とてもそうは思えなかった。


「ちょっと上手くできないところがあって、お時間いただけますか?」

「うんうん。もちろん。でも星川さん、最近頑張りすぎじゃない? 大丈夫?」

 三宅さんの言う通り、私はここ数日ダンスの練習に力を入れていた。


「はい。もっと上手くなりたいので! あ、三宅さんも迷惑だったら断っていただいて大丈夫ですので……」


「迷惑なんかじゃないよ。で、どこが上手くいかないの?」

 三宅さんは嫌な顔一つすることなく、私の時間外のレッスンを引き受けてくれた。笑ったときに細くなる目がキュートだ。


「ここの部分なんですけど……」

 私は紙の束に書かれた歌詞の一部を示して言った。何度も見直したため、端の方が折れてしまっている。


「ああ、ここね。たしかにちょっと難しいかもしれないけど——」

 三宅さんは丁寧に、かつわかりやすく説明してくれる。


 歌もダンスも、もっと上手になりたい。

 誰よりもかすみ朱里しゅりに近づいて、いや、霞朱里そのものになって。もっとたくさんの人に、私の——朱里の声を届けたい。


 今は素直にそう思える。朱里と一緒に成長していく未来を思い描いて、胸いっぱいにワクワクした気持ちが満ちる。


 これから先、声優として別のキャラクターの役を演じるかもしれないけれど、最初に演じたこの少女は、きっといつまでも特別だ。


 私はMASKますくの初ライブが終わってから、以前よりも真面目に取り組んでいたけれど、その後のリリースイベントを経て、さらにモチベーションが上がった。一人の少年が、私に初心を思い出させてくれた


 これまでだって、決して手を抜いていたわけではないけれど、心のどこかで仕方なくやっていた部分はあった。恥ずかしいけれども、本気になり切れていなかった。プロ失格だ。


 けれど今では、歌やダンスに対しても向上心を持って取り組んでいる。それだけでも細かい部分まで気を配ることができて、上達の度合いも違ってくる。


 私だけではなく、上田うえだ小豆あずきにも変化があったようだ

 何と彼女は先日、私にオススメのアニメを聞いてきたのだ。あの、まったくアニメやゲームに興味のなかった彼女が、だ。


「頭でも打ったの?」と言ったら、舌打ちをして「今のことは忘れろ」なんて照れて逃げようとしたので、慌てて引き留めて謝り、彼女に合いそうなアニメをいくつか挙げた。


 どうやら気に入ってくれたようで、睡眠時間を削って鑑賞しているらしく、数日間、小豆は眠そうな目で事務所に通っていた。私に文句を言ってこないところを見るに、どうやらお気に召してくれたらしい。


「演技の練習のために仕方なく観ただけだ」なんて言ってたけど、その台詞自体、彼女が声優の仕事に興味を持ち始めていることの証拠でもある。


 ゲーム『ティンクル・シンフォニー』のスタッフも、彼女の成長ぶりに驚いていた。歌声はさらに力強くなり、ダンスのキレも増した。


 そして何より、表現力が豊かになった。収録のタイミング上、少し遅れてではあるがゲームにも反映され、ユーザーからは「あずさん、なんかすごい自然体になってない⁉」「上田小豆の進化がとまらねえええ!」などと好評だ。


 ——ゲームの外側にも、物語が必要なんだ。

 少し前に浅海あさみさんが言っていたことが現実になって、私はちょっと怖くなったけれど。


 もちろん、城咲しろさきとも唐澤からさわ瑠璃るりも、それぞれに努力を重ねている。

 友は苦手なダンスを猛練習しているし、瑠璃も相変わらずの集中力でどんどん演技に磨きをかけている。


 どうやら私たちMASKは、最初のライブを通して、一つ上のステージへ進んだようだ。




 少しずつではあるが、他の仕事も増えてきた。私は、冬に始まるアニメにいくつか出演できることになった。浅海さんからその話を聞いたとき、飛び上がる勢いで喜んだら苦笑いされた。


 瑠璃なんかはすでにレギュラーキャラを演じることが決定している。デビューから半年も経っていないのに、あっという間に人気声優の仲間入りだ。


 私はまだゲスト的な立ち位置の小さな役ばかりだけど、その一つひとつを大切に演じていこうと思う。いつかは主役だってできるようになりたい。


 一つ、心に決めたことがある。

 どんなに大きな役をもらえても、どんなに他の部分で評価されようと、声優としての私の核の部分は霞朱里であろうと思う。


 声優をすることの難しさも、人前で歌うことの楽しさも、ステージからの素敵な景色も、失敗したときの悔しさも、誰かの心を動かせたときの嬉しさも、私はもう知っているし、これからさらに色んなことを経験していくだろう。


 そしてそれらは全部、朱里が教えてくれたもので、朱里と一緒に経験していくことだ。

 私は朱里の役をずっと、できれば死ぬまで続けたいと思っている。


 さすがに人気のゲームとはいえ、いつ勢いを失うかわからないし、次々と新しいものが出てくる業界で、それは難しいことかもしれないけれど。

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