第37話 Diceき


 瑠璃がソロ曲『Diceき』を歌い始めた。言葉遊びが巧みな歌詞と、弾むようなメロディが持ち味の、ファンにも人気な曲だ。

 透き通った彼女の歌声は今日も綺麗に響いていて、観客たちを魅了している。


 好調に見えた彼女に異変が現れたのは、二番に入る前の間奏だった。

 瑠璃が険しい表情で、喉の辺りに手を当てたのだ。

 どうしたのだろうか。私は少し心配になる。


 そして、二番の歌い出し。

 瑠璃の歌声が——途切れた。


 それに気づいたスタッフが慌てている。

 曲は止めたほうがいいですか? ダメだ! せめてリップシンクにさせろ! 音源は? すぐには出てこねえ! じゃあやっぱり曲を……。

 舞台袖はパニックになっていた。


 ——本人はプレッシャーなんて感じてないと思っているし、周囲も同じように思っている。でも、何でもできることが義務付けられて、周りの期待に応えることが当たり前になって……。いつの間にか、追い詰められてる。意識よりも、体が先にそのことに気づく可能性もある。


 初めてのライブのときに浅海さんが言っていたことを思い出す。まさしくその通りになってしまった。


 瑠璃はステージの真ん中で踊り続けている。しかし、歌声はない。異様な光景だった。彼女の表情はこわばっていて、焦っているのがわかる。懸命に口を動かしているのに、声が思うように出てくれないみたいだ。かすれた声がわずかに聞こえていて、どうやらマイクの故障などではないらしい。


 いつもの凛とした姿が嘘のように、瑠璃はおろおろしていた。

 ついに、ダンスも止まってしまった。

 彼女の目には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。

 音楽は続いていて、客席はざわめいている。


 瑠璃の様子を見た私は、三か月前の自分のステージを思い出していた。

 失敗したステージの上で、孤独で、観客の視線が痛くて、どうすればいいかわからなくなって——。


「曲は止めなくていい。いったんステージを暗くして、幕を下ろす!」

 どこからか走って来たらしい浅海さんが、息を切らして指示した。


「わかりました!」

 スタッフが答え、機械を操作しようとする。


 何もない宇宙に生身のまま放り出されたような気がして、そんな絶望的な感情を、瑠璃が今、味わっているのだとしたら——。


 行かなくちゃ!


「待ってください! まだです! 曲も止めなくて大丈夫です!」

 とっさにそれだけ叫んで——。


 私はステージに飛び出した。


「ちょっ、星川さんっ⁉」

 浅海さんの珍しく焦った声など、心にも留めず。

 先のことなど、何も考えず。


 ——私は馬鹿だ。


 楽しみにしてる。瑠璃なら絶対に素敵なステージにできる。

 そんな無責任な言葉を、私は彼女にぶつけてしまった。


 プレッシャーが、ないわけがないんだ。

 瑠璃はたしかに天才だけど、それ以前に、一人の女の子だ。

 私より年下で、少し天然なところがある、いたって普通の女の子なんだ。


 突然飛び出してきた私に、客席がざわめく。

 瑠璃も私に気づいて、目を丸くした。

 走ってたどり着いたステージの上で、私は瑠璃の前に立った。


  正方形に祈りを

  込めて強く握って


  ねえ君も私の

  ことが好きなんでしょ


 マイクを握って、瑠璃の——菖蒲あやめの代わりに、私は歌を歌った。


  女の子には

  表と裏がある


  何度でも

  トライしてみてよね


  次は違う答え

  出るかもしれない


 ダンスだってできる。決して長い期間ではないけれど、彼女の近くに私はいた。いつも彼女の努力する背中を見てきた。振り付けを完全に覚えるくらいに。


  好きな気持ち私の中で

  ころころ転がるの


  dice

  君のことがすごく


  dice

  気になってるんだから


 途中で小豆と友も出てきて、三人で南白みなしろ菖蒲の『Diceき』を歌って、踊った。

 瑠璃みたいに透き通った菖蒲の歌声は出せなかったけれど。


 客席からも声が響く。状況を察したらしいファンが一生懸命歌っているのだろうけれど、男性の野太い声ばかりで、私は感動しながら少し笑いそうになってしまった。


 瑠璃はステージの真ん中で、しゃがみこんで泣いていた。可愛い顔をぐちゃぐちゃにゆがめて、大粒の涙をこぼしていた。


 けれど私は信じている。彼女はすぐに立ち上がるって。


 私たちは瑠璃のステージを守るために、必死で歌って踊った。

 もうすぐ帰ってくる私たちの仲間に、バトンを渡せるように。


 ラストサビに入る前の間奏で、瑠璃が立ち上がった。手の甲で涙を拭い、息を一つ、短く吐いた。


「頑張れ!」と、客席から声が上がった。その声を皮切りに、頑張れ! とか、るーりんファイト! とか、瑠璃を応援する声がたくさん響く。


  目と目を合わせ

  タシカメタ


  恋の芽育って

  ハナサカセ


  諦められない

  コノキモチ


  どの目が出るか

  イザショウブ


 私は彼女に近寄って「瑠璃、大丈夫だから」彼女の頭を撫でた。

 今度は、さっきみたいに根拠のない無責任な言葉ではない。


「一緒に練習してきた私が言うんだから、間違いない。瑠璃は大丈夫。歌える」

 私は祈りを込めて言い切った。


「ありがとうございます。もう、大丈夫です」

 瑠璃はしっかり私と目を合わせて、力強い声で答えた。


 笑って、マイクを口元へ持っていくと——。


  君の心を掌の上で

  ころころ転がすの


 その透き通った歌声を、再び響かせた。


  dice

  君のことがすごく


 瑠璃が歌いながら、私たち三人にアイコンタクトをする。


 歌詞の最後の一節。

 私たちは一斉に口を開く。


  大好きなんだから


 今日一番の拍手が響くステージで、私たちは自然と顔を見合わせて笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る