第12話 それは僕たちの奇跡


 私と同じく、MASKのキャラクターを演じる新人声優のうちの一人が、上田うえだ小豆あずきという女の子だった。彼女はよく、私と一緒にレッスンをしている。


 私と同い年の二十一歳で、サラサラの黒髪ロングが特徴的。はっきりした顔立ちで、間違いなく美人の部類に入るだろう。


 彼女は歌手を目指していたという。駅前で路上ライブをしていたところ、浅海さんにスカウトされたらしい。


 私は小豆と、最低限しか口を利かない。二人の間には、ピリピリした空気が漂っている。その原因は、初日の会話にあった。


 私と小豆が初めて顔を合わせた日。私たちはダンスのレッスンを受けていた。

「ねえ、やる気あるの?」

 練習後、小豆が私に言ったのだ。


 凛とした声で放たれたその言葉は、私の心に突き刺さった。

「……」

 私は言葉に詰まる。


 おそらく、挙動に戸惑いが表れていたのだろう。アイドル声優としてデビューすることについて、色々と考えていたせいだ。


「あたしだって、こんな馬鹿らしいことやりたくはないけどさ。でも、デビューへの近道だと思えば、なんでもない」


 こんな馬鹿らしいこと。それはダンスを指しているのだろうか。それとも……。

「えっと、それってどういうこと?」

 私は尋ねる。彼女もこの仕事に対して、何か思うことがあるのかもしれない。


「あたしの夢はシンガーソングライターになることなんだけど」彼女ははっきりと〝夢〟という言葉を口にした。「まずはアイドルでも声優でも何でもいい。とにかく上田小豆として成功を収める。シンガーソングライターになるのはそこからでも悪くない」


 彼女はこの仕事を、自身のキャリアアップの一つと考えているらしい。私にはなかった考え方だった。でも。


「それは……」

 何か違う気がする。


 私たちは何かを期待されてここに立っているのだ。この仕事をただの通過点として考えることは許されないのではないか。そう言おうとして、私は気づいた。それはそのまま、自分に跳ね返ってくる言葉ではないのか、と。


「あんたがこの仕事をどう思ってるのかは知らないけど」私が黙っていると、小豆は追い打ちをかけるように続ける。「あたしは全力でやるって決めた。気持ち悪いおっさんたちに笑顔をふりまかなくちゃいけないのはちょっときついけど、それがあたしのためになるんならどうってことはない」


 それはアニメ好きへの偏見だ。私は反論したかったけれど、初対面の相手といきなり喧嘩するのもどうかと思って、ぐっとこらえる。


「だから、あんたもちゃんとやってほしい。別にあんただけが失敗するのは構わないけど、一応グループなんだからさ。足を引っ張るのだけは許さないから」


 それだけ言って、彼女はさっさとどこかへ行ってしまった。

 自分の言いたいことだけ言って終わりだなんて。なんて自分勝手な人なのだろう。


 最悪のファーストインプレッションだった。

 それ以降、簡単な事務連絡や社交辞令的なあいさつだけの、良好とは呼べない関係のまま、私たちは一緒に過ごしてきた。


 私は別に、小豆のことが嫌いというわけではなかった。考え方は人それぞれだし、はっきりと自分の意見を口にする彼女に、私は憧れすら抱いていた。自分の夢を堂々と口に出せるところも羨ましかった。


 同期として仲良く、まではいかなくとも、お互いに壁のない関係を構築したかった。

 けれども彼女はアニメやゲームに対して偏見があるみたいで、なかなかうまくいかない。


 歌のレッスンでもよく一緒になるが、小豆の歌はさすがの一言だった。シンガーソングライターを目指しているだけのことはある。


 彼女の歌声は、燃え上がる炎のように激しい。それでいて、風のない日の水面みなもみたいに安定している。さらに密度があって、とてもストレートだ。まっすぐに響いてくる。


 私は彼女の歌声を、どこかで聴いたことがあるような気がした。どこで耳にしたのか、記憶をたどっても、なかなか出てこない。きっと、有名な歌手の歌い方に似ているとか、そんな感じだと思う。


 元々運動神経がいいらしく、ダンスも私以上に器用にこなしていた。

 私が唯一勝っているのは、声の演技くらいだ。小豆は素人だから当たり前なのだけれど。


 MASKとしてやっていく仲間の一人には、元アイドルの女の子もいた。

 城咲しろさきとも


 小柄でかわいらしい人だった。サラサラの髪に白い肌。遠近感が狂うような顔の小ささに驚いた。守ってあげたくなるような女の子だ。


 年齢は私と小豆よりも一つ年上で、すごくしっかりしている。彼女は大学に通いながら今の仕事をしているという。


 一度、彼女にどうして大学に行っているのか尋ねたことがある。

 友は「学ぶことが好きなの。なるべく広い世界が知りたくて」と答えた。

 大学なんて遊びたい人間が行く場所だと、そんな風に思っていた自分を恥じた。


 少し前までは地下アイドルをしていたらしく、歌いながら、踊りながらでも表情が崩れない。

 ただ、ダンス自体は少し苦手らしく、私や小豆と比べて覚えるのが遅い。


 その分、というのは違うかもしれないけれど、友は努力家だった。大学がある日は、彼女は授業を受けたあとにレッスンに合流する。疲れているはずなのに、そんな素振りは見せずに、ひたむきに練習に打ち込むのだ。


 さらに練習が終わったあと、浅海さんに頼み込んで、空いた部屋を借りて自主練を行っている。小さな体からは想像もつかないパワーだ。


 彼女がこの仕事に携わるようになったきっかけはわからない。おそらく事務所のコネか何かだろうと私は予想していた。

 確かに顔はかわいらしい。声だって甘くて特徴的だ。たしかに声優向きの声質かもしれない。


 でも、今一つパッとしない。オーラが足りない。どこにでもいるような、ただの美少女。自分のことを棚に上げ、私の正直な感想を述べるとすれば、そんな風に厳しい言葉になってしまう。


 この業界は、そんな甘い世界じゃない。容姿が少し良いくらいで人気が出るような、そんな優しい世界では、決してないはずだ。


 胸に芽生えた考えは、本当に心からのものなのだろうか――。

 私のちっぽけなプライドを守るために、そう思いたいだけなのかもしれない。

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