第11話 Light For Knight


 キャラメルスカイに入ってからしばらく経って、私は、私の演じるキャラクターに出会った。

 かすみ朱里しゅり。十七歳の女の子。


 卵型の綺麗な輪郭に沿って左右に一房ずつ髪を垂らし、後ろでは紺色のシュシュでポニーテールを作っている。


 現実にいたら目を惹くこと間違いなしの、その鮮やかなオレンジ色は、イラストで見ると違和感がない。それどころか、とても似合っている。


 上目遣いでこちらを見つめている、私が声を担当する女の子。

 彼女は当然のように美少女だった。


 簡単なプロフィールが記されている。

 引っ込み思案で自己表現が苦手。そんな自分を変えたくて、歌手活動をしてみようと思い立った。


 どこにでもいる普通の少女で、共感を得やすいキャラクター像をしている。

 この子は、どんな風に喋るのだろう。どんな声で笑うのだろう。


 それを今から、私が創っていくのだ。

 そう思うと、胸の奥から暖かいものがこみ上げてきた。涙すら出そうになる。


 資料の束をめくっていくと、様々なポーズの朱里が現れる。

 凛とした立ち姿。しゃがみこんで落ち込む背中。嬉しそうにはにかむ笑顔。そのどれもが魅力的に描かれていた。大切に育てられてきたことがわかる。


 設定のページもあった。年齢は十七歳で高校二年生。身長や体重、スリーサイズまで決まっている。好きな食べ物はマカロニグラタンで、趣味はぬいぐるみ集め。


 嬉しかった。私が声優として初めて演じるキャラクターが、こんなに素敵な女の子だなんて。


 プレッシャーもあったが、喜びに比べれば些細なものだった。

 こぼれそうになる涙をこらえて、私は心に誓う。この子を他の誰よりも輝かせよう。そして、他の誰よりも私が、このキャラクターを愛していこう。


 しかし、すぐに私は思い出す。

 ゲームと現実をつなぐ架け橋。それが私の役目だということを。


 私はこの少女、霞朱里の声だけを演じるのではない。歌で、踊りで、私のすべてで彼女を表現しなければならないのだ。いったいどうなるのか、想像もつかなかった。




 スマートフォン向けゲーム『ティンクル・シンフォニー』。略してクルシン。ガールズユニットによる音楽ゲーム。


 実際にキャラクターたちの歌う曲のリズムに合わせ、小さな丸のマークが画面上方から降ってくる。プレイヤーはタイミングよく画面をタップする。音楽リズムゲームとして、新しさは特にない。


 その分、曲やキャラクターの質がそのままゲームの人気に直結する。クルシンをリリースする株式会社『ムジカ』は、二年ほど前にRPGゲームでヒットを飛ばし、スマホゲーム市場ではかなり有名な企業となっている。


 資金を惜しげなくつぎ込み、人気イラストレーター、気鋭の作曲家を起用。

 そして私は、作中に出てくるキャラクター、霞朱里を演じることになった。


 ゲーム内に登場するガールズユニットはいくつか決定しており、そのうちの一つが霞朱里の所属するMASKマスクという四人組のグループだ。このゲームの主役とも言えるユニットで、歌って踊れる本格的なアーティストという設定になっている。


 他のユニットにはベテラン声優や勢いのある声優が起用される中、このMASKだけは新人声優のみで結成されている。


 というのも、新人ならばスケジュールに余裕があり、ボイスの収録にとどまらないライブなどの活動、およびそのための練習などをすることができ、かつ話題性を高めることにもつながるからである。正直、大きな賭けではあると思う。


 私たちの活動の本質は、リアルとゲームとのリンク。

 ゲームと現実をつなぐ扉を開け、ユーザーに、キャラクターをより身近に感じさせる。それがMASKの、私たちの役目だ。


 霞朱里として、私は歌い、踊らなくてはならない。

 私は、あの素敵な女の子の全部を、果たして表現しきれるだろうか。


 希望。不安。期待。心配。熱意。焦燥。

 色々な感情がごちゃ混ぜになって、私の心をかき乱す。




 ステップ、ステップ、ターン。ジャンプ、ターン、ステップ、ステップ。

 鏡の前で私は踊る。


 タンタンタタタン。キュッキュッ。キュキュッ。

 シューズと床のこすれる音がテンポを作り出していく。


 リズムに合わせて、手足を動かす。

 ゆっくりと滑らかに。

 きびきびと激しく。


 時折、トレーナーさんからのアドバイスを受けて、汗を滴らせながら。

 今までまともに踊ったことなど、小学生の運動会くらいでしかなかった。想像していたよりも体力を使う。指先まで気を巡らせて、体全体で音楽を表現する。


 幸い、体を動かすことはさほど苦手ではなかったため、どうにか求められているレベルはクリアしているようだった。


「うん。大体はできるようになった。いったん休憩にしましょう。それにしても呑み込みが早くて助かるわ。若いっていいわねぇ」


 おそらく三十台であろうトレーナーさんが言った。三宅みやけさんという、サバサバした格好いい女性だ。

 彼女は基本的には指示を出すだけだが、たまに自らお手本を見せてくれる。


 ときにはダイナミックに、ときにはエレガントに、三宅さんの洗練された動きは、明らかに私のものとは違っていた。当たり前だけれど。


 あくまで本職は声優で、その仕事道具は声だ。しかも、ダンスを始めてまだ日が浅い。したがって、本職のダンスグループみたいな、本格的でハイレベルなダンスは要求されていない。


 ほどほどに簡単な動きがきっちりできていれば、グループとして動きが綺麗に揃っていればそれでいい。そう言われているけれど、もっと上手く踊れるようになったら、きっと楽しいんだろうな。そんなことも考えてしまうときもある。ダンスの魅力に、私は少しだけ飲まれかけていた。


 でも、私がやりたかったことは、ダンスではない。こんなアイドルみたいなことじゃなくて、キャラクターに命を吹き込み、視聴者をワクワクさせる声優という仕事だ。


 声優がグラビアを飾る漫画雑誌を見るたび、声優がパーソナリティを務めるラジオを聞くたび、絶対にこうはなるまい――そう思っていたのに。私は今、その入り口に立っている。


 けれども、アーティストとして活動する声優が活躍していることは事実だ。CDのランキングで上位を記録したり、バラエティ番組に出演したり……。そうして有名になって、アニメの主役の座をつかみ取る。そんな声優も大勢いる。


 もしもこのまま人気が出れば、仕事を選べるようになるのではないだろうか。

 そんな期待だけで、あとどれだけ続けられるのだろう。そもそも、人気なんて出るのだろうか……。


 今の私は不満を言えるような立場ではないけれど。ついついそんなことを考えてしまう。

 先なんて見えない、出口もどこかわからない暗闇で、私は迷っていた。


 いっそ、歌もダンスもひっくるめて、全部を好きになれればいいのだけれど、心はそんなに単純ではない。


 せっかく憧れていた声優という職業に就くことができたのに、私はどこまでも中途半端だった。

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