第26話 Girls, Be Ambitious.


 音楽が始まる。陽気に彩られた、弾むようなイントロ。霞朱里のソロ曲である『Honey&Smile』だ。耳に残るメロディと勇気づけられる歌詞が素敵で、ひいきなしで私も大好きな曲。


  ずっと笑顔でいれたらいいね

  君はそっと呟いた


  きっと笑顔でいれるはずだよ

  僕はそう答えたんだ


 ポップでキュートな明るい応援ソングを、私は奏でる。

 声を弾ませて。

 精いっぱい、ポップでキュートに。


  でも くじけそうになる日だってある

  そんなときは晴れた空見上げて


  Honey&Smile

  見つけよう 大好きな何か


 アクセサリ風に可愛く装飾を施されたイヤモニから、最適化された音が流れてくる。それに合わせて、ステップを踏みながら歌を歌う。


 思っている通りに歌えているのか不安になってくるけれど、数えきれないほどに練習を重ねてきた自分を信じるしかない。


 さっき四人で歌った『Masking Girls』のときよりも体が軽い気がする。いい意味ではなくて、今にも意識が宙に消えてしまいそうな、夢の中にいるみたいなふわふわした浮遊感を感じている。


 いや、観客がいるということに変わりはない。さっきはしっかり歌えた。だから今だってちゃんと歌える。さっきは四人だったからとか、今は一人だからとかは関係ない。自己暗示をかけながら、私は平常心を意識する。


 後ろのスクリーンでは、朱里だって頑張っているのだ。


  つらいことも苦しいことも

  全部笑顔に変えてゆこう


  悩んでたって

  仕方がないから


  スマイル全開

  笑っていきましょ


 ——間違えた。


 心臓の辺りから首筋を通って頭の方へ、白い何かがさぁっと這い上がってきて、動きが一瞬止まりかける。


 今は、一番を歌っているはずなのに……。笑っていきましょ、は二番の歌詞だ。一番は、楽しくいきましょ、が正しい。やってしまった。どうしよう……。


 いや、顔には出すな。いったん落ち着こう。曲はまだ続いている。

 このあとに十数秒、間奏が入る。そこで冷静になれれば、きっと大丈夫だ。


 しかし観客たちは、ゲームですでにこの歌を知っている。

 首を傾げた観客が目に入る。今、歌詞間違えた? あれ、ゲームと何か違ったよな……。聞こえるはずのないそんな観客の声を、彼らの表情やしぐさから感じ取る。


 ダメだ。視界に入れちゃダメだ。どうにか調子を取り戻さないと。そんな焦りがさらに私の集中力をかき乱していく。


 二番が始まると、私の歌声はバランスを崩した。

 上手く歌えていないのが自分でもわかった。どうにか音程は維持しているものの、声は微かに震えていた。


 そんなはずはないのに、背後のスクリーンから、朱里の視線が鋭く刺さる錯覚にとらわれる。


 それでもなんとか、最後まで。この声だけは途切れさせない。

 これは、星川愛だけの初ステージではないのだ。


 どうしてもダメな日だってある

 そんなときは僕が 隣で笑っているから


 私の初ステージであるのと同時に、霞朱里の初ステージでもある。


 ——負けないで。

 ——頑張って。


 心の中で朱里の声がした。それは私の声のはずなのに、私の声ではなかった。霞朱里という一人の女の子が、たしかにそこに存在した。


 ——ほら、前を向いて。


 朱里の声に、下に向きそうになった視線を——上げた。

 観客の振る、オレンジのサイリウムの淡い揺らめきがが、私に勇気をくれる。


  だから

  Honey&Smile


  歌ってこう

  大好きな歌を


  つらいことも苦しいことも

  全部笑顔に変えてゆこう


  悩んでたって

  仕方がないから


  スマイル全開

  楽しくいきましょ

  笑顔でいきましょ


 朱里のためにも、絶対に歌い切る。後半はその気持ちだけで持ちこたえたようなものだった。


「ありがとうございました。霞朱里で『Honey&Smile』でした!」

 ボロボロになりながら、必死に笑顔を張り付けて、私はお辞儀をした。悔しさと情けなさがこみ上げる。でも、後悔するにはまだ早い。今、私が立っているのはステージの上で、観客の前だ。


 笑顔は上手く作れているだろうか。引きつった、ぎこちない笑みになっていないだろうか。


「よかったよー!」「しゅりー! サイコー!」

 本当なら嬉しいはずの、客席からのそんな声さえも、彼らの気遣いに思えて今はつらかった。


 油断したら涙がこぼれてしまいそうで。私は口元をぎゅっと引き締めながら、ステージを去った。


 友とすれ違うときに心配そうな視線を向けられたけど、私は「頑張って」と小声で言って、逃げるように奥へと引っ込んだ。

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