第32話 RED SEED


 その他にも、純粋な声優の仕事ではないことも多くするようになった。

 昔の自分が知ったら驚くと思うけど、私はそのすべてに前向きな気持ちで挑戦することができていた。これもあの少年のおかげなのだろう。


 まずはラジオだ。

 九月から、私は瑠璃と一緒に、ラジオのパーソナリティに挑戦することになった。


 週に一度、MASKの声優が『ティンクル・シンフォニー』に関する情報や、何でもない雑談などをする番組だ。視聴者からのお便りを読み上げたりもする。小豆と友の組み合わせと交代で放送しているため、私たちの出演は二週に一回。


 瑠璃はラジオでも堂々としていて、たまにとちってしまう私を引っ張ってくれる。ちょっとしたミスなら笑いに変えてしまう彼女の話術は、まるで魔法みたいだった。年齢が上とか下とか関係なく、瑠璃は私の尊敬の対象だった。


 たまに変なことを言って場を笑わせることもあり、放送開始から二か月が経とうとしている今では、私もタイミングよくツッコミを入れることができるようになっていた。


 そして恐るべきことに、瑠璃の発言はほとんどが狙ってのものではないらしい。

 可愛い上に面白い、と話題になってラジオが始まってから彼女の人気はさらに高まった。神様は彼女をどこまでひいきすれば気が済むのだろう。


 瑠璃には芸能人的な人を惹きつけるオーラがありながら、なぜか親しみやすいという不思議なところがある。




 私は瑠璃に一度、怒られたことがある。

 それは初めてのライブからおよそ一か月が経った、九月のある日の練習後。更衣室でのことだった。


 瑠璃はマットに座り、念入りにストレッチを行っていた。休みの日も含めて、毎日やっているらしい。脚を開き前屈すると、床に胸がぺたんとつく。驚くほどに柔らかい。


「愛さん」と、前屈をしながら瑠璃が私の名前を呼ぶ。

「ん?」


「どうしたんですか? ため息なんかついて」

「え? 嘘。私、ため息なんかついてた?」


「はい。それはもう、日本中に響き渡るような、東京ドーム五十個分くらいの特大のため息を」

「それは嘘」


「でも、ため息をついてたのは本当ですよ」

 瑠璃は上半身を起こして、心配そうに私を見た。まっすぐに切りそろえられた前髪の下から覗く、猫みたいに大きな瞳が、私を捉える。

 

 どうやら、無意識のうちに私はため息をついていたらしい。それも、後輩に心配されるレベルの。


「いや。今日もなかなか上手くいかなかったなって……」

「上手くいかなかったって、ダンスですか? それとも、歌ですか? 収録ですか?」

 脚を開いたまま、次は横に身体を曲げる。本当は猫なんじゃないかってくらいしなやかだ。


「うーん、全部かな……。なんていうか、成長してる気がしないんだよね」

 つい弱音を吐きだしてしまう。


「そうですかね。私はそんなことないと思いますけど」

 瑠璃は可愛らしく小首をかしげて言った。



「私なんかがみんなと一緒にここでやっていけるのかなって、たまに思うんだよね。私も、瑠璃みたいに才能があればよかったのに……」

 普段なら絶対に言わないような台詞を、このときはどうしてか、口に出してしまった。


「バカなこと言わないでください!」

 一回り大きな声で、瑠璃は言った。私が聞いた彼女の声の中で、一番真剣な声音だったように思う。


「あ……ご、ごめん。そうだよね。変なこと言っちゃった」

 私は慌てて謝る。瑠璃の方を見ると、彼女は悲しそうな顔をしていた。今にも泣きだしてしまうんじゃないかってくらいに。


 そうだ。確かに瑠璃は天才だけれど、それ以上に努力家なのだ。彼女の近くにいた私は、そのことを誰よりも理解している。

 彼女の積み上げてきた頑張りを、才能の一言でまとめてしまうのは失礼だ。


 だけど、瑠璃が次に口にした言葉は、私の想像とはかけ離れたものだった。


「愛さんの歌声は、素晴らしいです!」


 私は目を大きく見開く。

 瑠璃はどうやら、自分が天才と言われたことではなく、私が自分を卑下するようなことを言ったことに対して怒っているようだった。


「えっと……うん。ありがと」

 勇気づけるためのお世辞だとしても、私のことを気遣ってくれていることが嬉しかった。


 ところが瑠璃は、顔を悲しみに歪ませたままだった。歪んだ表情も綺麗だな、なんて、場違いなことを思ってしまう。


「お世辞じゃありません!」瑠璃は私の考えを見透かしたように言った。思ったことが、そのまま顔に出てしまっていたのだろう。「だからもし、愛さんが私のことを天才だと思うのなら、愛さんの歌声を素敵だと思う私のことを、信用してください!」


 瑠璃はそこまで言うと、恥ずかしくなったのか、下を向いた。頬を膨らませて黙り込む。そんなわざとらしいしぐさも、彼女がするとどうしてか様になる。


「瑠璃……」

「私、二月に初めて愛さんの声を聴いたときから、愛さんのファンなんです!」

 ファン……。瑠璃にそんなことを言ってもらえるとは思っていなかった。


「ありがとう。……あれ、二月?」

 二月といえば、あのときのキャラメルスカイのオーディションがあった月だ。瑠璃がグランプリに選ばれ、私が浅海さんにスカウトをされるきっかけとなったあのオーディション。


 MASKとして会ったとき、瑠璃は私に対して「初めまして」と言った。

 つまり、オーディションのときには、彼女は私のことを認識していなかったはずでは? ただの言い間違いだろうか。


「あああああ愛さん、そんなことよりお腹空きませんか? 美味しいお店知ってるんです! オムライスが美味美味の美味なんです!」

 瑠璃は珍しく慌てて、私を急かす。美味美味の美味って何だろう……。


「あー、言われてみればお腹空いたかも。行こっか」

「行きましょ行きましょ! さ、早く着替えて!」


 今日は新しい瑠璃の一面をたくさん見れるなぁ……なんて思いながら、私は彼女の言う通りに、帰りの支度を始める。

 更衣室を出るころにはもう、憂鬱な気分はどこかへ消えていた。


 今思えば、私は彼女に屈折した思いを抱いていたのかもしれない。どんなに努力しても手の届かない場所にいる彼女は、私の憧れであり、嫉妬の対象でもあった。


 でも、彼女は私の目指すべき姿ではない。私は私で、瑠璃は瑠璃だ。そんな当たり前のことに、早めに気づけて良かったと思う。

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