第34話 群青のソラ


「変わったよな」

 ライブ前の控え室。鏡の前で振り付けの最終チェックをしている私を見て、小豆が呟いた。


「何が?」

 私が反応したことに少し驚いたみたいに、小豆は眉を上げた。


「いや、はっきりとは言えないんだけど、なんだろう。プレッシャー? いや、気負い? みたいなものがなくなったような気がするんだ。この前までは、頑張らなきゃ、とか、失敗しないようにしなきゃ、みたいな、そういう感じだったのになって、思って……」


 上手く言葉にできないようで、歯切れは悪かったけれど、小豆の言いたいことはなんとなくわかった。


 前までの頑張りは全部、私のためだった。

 失敗したらいけない。上手く歌わなくちゃ、上手く踊らなくちゃ……。


 けれど今は、私たちを応援してくれている人たちのために、私は頑張っている。

 誰かを楽しませたい。誰かの背中を押したい。


 自分のための頑張りから、誰かのための頑張りへ。

 それはきっと、いい変化なのだと思う。


「それを言うなら、小豆こそ。変わったよ」

 彼女も最近は、声優というものに真摯に向き合っている。夢を果たすための手段として、しぶしぶ声優をしていた上田小豆は、もうどこにもいない。


「ああ。あたしも、あんたも変わった。これからも変わっていく」

「何それ。なんか詩人みたい」

 小さくふふっと笑って私は言った。


「うるせぇ」

 軽く笑った小豆の声には、初対面のときに感じたトゲトゲしさはない。


 小豆と仲は良いのか、と言われると、すぐにうなずくことはできないけれど。私は彼女のことを尊敬しているし、憧れている部分もたくさんある。


 格好よく言えば、お互いに認め合っているライバルみたいな関係だ。少なくとも、私はそう思っている。


「愛ちゃん、小豆ちゃん、何の話してるの?」

 着替え終わった友が駆け寄ってくる。フリフリの衣装が、これ以上ないくらいに似合っている。


「ううん。何でもない」

「えー? ずるーい」


 間延びした声で彼女は言う。本番を前にして、普段よりも陽気で元気なアイドルモードに入っているようだった。かなりギャップがある。前回も思ったが、これがきっと彼女なりのおまじないなのだろう。


「んー、別に何でもない」

 小豆が真顔で言った。


「うん。何でもないよ」

 私は小豆の言葉に同意する。


「瑠璃ちゃーん。二人がいじめる~」

 友は瑠璃に助けを求めた。


「ふふっ。愛さんと小豆さんは両想いですもんね」

 彼女は紙パックのオレンジジュースを飲みながら答える。


「ちょ、何言ってんの! 別にそんなんじゃないから!」

 慌てて私は否定する。


「ツンデレですね」

「瑠璃! それ以上言ったら怒るからね!」

「もう怒ってますよ」

 部屋に笑い声が響いた。心からリラックスしている。とてもいい雰囲気だ。


 扉が開いて、浅海さんが入って来る。

 彼は私たちの様子を見て、安心したように笑った。




 ——私たちの二回目のライブが幕を開けた。


 会場の広さは、前回とは段違いだ。リハーサルのときにも思ったが、天井が高い。そのぶん、自分たちが相対的に小さくなっていて、心細く感じる。


 客席も、百人程度だった前回から大幅に増え、四千席以上のキャパシティがあるという。それでもチケットは即日完売。


 満員になった観客席からの、地面を揺らすほどの大歓声。

 鳥肌が立った。


 スマートフォン用ゲーム『ティンクル・シンフォニー』がリリースされ、半年が経とうとしている。


 クルシンは社会現象とまではいかなくとも、世間一般でかなり話題になっている。確実にユーザーも増え続けていた。若い世代に人気の作曲陣に、声優陣の大半も有名どころばかり。さらにリアルでも活躍する新人ばかりのグループ——つまり私たちMASKの活動が、さらに話題を広げている。


 そんな勢いのあるゲームの、声優たちによるリアルライブ。会場は盛り上がっていた。


 代表曲の『Masking Girls』を歌い終えて、メンバーが一言ずつあいさつをする。話すことが苦手な小豆も、事前に台詞を練習していたようで、無事につっかえることなく話せていた。順調なスタートだ。


 ゲームですでに公開されているオリジナル曲を何曲か、メドレー形式で歌う。目まぐるしく変わる曲。歌もダンスも切り替えが大変だったけれど、同時に楽しかった。


 世界は、これ以上ないくらいにキラキラしていた。


 メドレーが終わると、各自のソロ曲が披露される。

 今回のトップバッターは小豆だ。照明が落ちて、小豆以外の三人はステージの袖にはける。


 徐々に明るくなっていくステージで、小豆の——静葉しずはかなでの声が静寂を破り、光が一気に広がった。


 相変わらずの力強い歌声に、会場のボルテージも上がっている。力強い歌声は今日も健在だ。


  遠い未来の先へ

  想いを馳せていく夜


  君の姿思い浮かべて

  本当の切なさを知った


  ソラの青が歪み見失ってしまっても

  まぶしい奇跡が私たちを繋げ


  道を

  照らしてく


 前回とは決定的に違うところが一つだけあった。

 小豆が歌っているのは、上田小豆の歌ではなかった。


  祈りはソラへ響く

  群青の音奏でて


  願いはソラで光る

  かけがえない輝き


 紛れもなくそれは、静葉奏の歌だった。

 具体的にどこが変わったのかはわからないけれど、私はそう感じた。


 でも、小豆が奏を演じるようになった、というのは少し違う気がする。

 キャラクターであるはずの奏が、小豆の歌を歌うようになった。

 そっちの方がしっくりくる。


  誓いはソラへ届く

  群青の色まとって


  想いはソラで実る

  果てない夢のきらめき

  かけがえない輝き



 ラストサビ。少しだけアレンジを加えて、小豆は余裕を見せる。

 ソラを貫くように響いた小豆の歌声に、客席は静まり返っている。


 曲が完全に止まったところで、思い出したかのように拍手が降り注いだ。

 すごい……。全身が震えた。

 いや、感動している場合ではない。小豆の次が私の番なのだ。

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