第13話 Good Job!
私がスカウトされてから一か月が経ち、声の収録が間もなく始まろうとしている。
それに先行して、ゲームの作り手側と、キャラクターのイメージを共有する機会があった。
今日はMASKのキャラクターデザインを担当した男性と実際に会って、私の演技を聴いてもらいながらの収録となる。私の想像していた朱里の声が、デザイナーさんのイメージ通りならばいいのだが……。
マイクなどの機材のある部屋で待っていると、浅海さんが一人の男性を連れて部屋に入って来た。
「星川さん、お待たせ。こちら、デザイナーの
この人が、霞朱里の生みの親……。
「どうも」
浅海さんに紹介された小野寺という男が、頭をぺこりと下げた。やたらと童顔で、高校生くらいに見える。長髪に黒縁眼鏡という、いかにもクリエイターらしい格好だ。なんとなく眠たげな表情をしている。
「初めまして。星川愛です。よろしくお願いします」
私は精一杯の笑顔であいさつをする。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
小野寺さんは目を合わせることもなく、そっけない返事。
「んじゃ、僕は次の予定があるから、あとは若いお二人で」
浅海さんはお見合いの席の親みたいなことを言って、颯爽と部屋を出て行った。
初対面の人と二人きりだ。浅海さんは、私がどちらかというと人見知りするタイプだということを知っているはずなのに……。次にあったときに文句の一つでも言ってやろう。
「では始めましょうか」
小野寺さんは私の隣に腰かけて、ノートパソコンを開く。その眠そうな表情は動かない。
「はい。お願いします」
今日は『ティンクル・シンフォニー』のプロモーション動画用の声を収録する予定だ。
私はあらかじめ決められていた台詞を読み上げる。
「そうですね……。うん。良いと思います。すごく……」
そこまで言って、小野寺は言葉を止めた。
「すごく、なんですか?」
「いえ。何でもありません」
小野寺は消えるような声で言う。
「では、今の感じでいいですか?」
「いえ。まだちょっとだけ、俺の思い描いていた霞朱里とズレがあるような気がします」
小野寺の眉間に、小さいしわができた。
「はい。具体的にはどんなところでしょう」
方向性が大きく間違っているわけではなさそうで、ひとまず安心した。
小野寺と相談を重ねながら、細かい部分をすり合わせていく。
「もう少しおしとやかな感じですかね」「語尾がちょっと甘ったるいかも。もう少しだけ、高飛車にならない程度に強気でもいいです。うーん、外は弱く、中は強く……みたいな感じで」
そんなあいまいな要求が飛んでくるが、私はなかなかそれに応えることができない。何度もリテイクを重ねる。
私は私なりに、霞朱里というキャラクターを考えている。資料だって、何度も読み返した。朱里のプロフィールは丸暗記している。だからきっと、小野寺さんの言う通り、生じているのは些細なズレで。
「うーん……すみません。もう一度だけお願いしてもいいですか? 悪くはないんですけど……もう少しだけ柔らかくできたりしませんかね……。すみません。わかりづらくて」
困ったように、そして申し訳なさそうに小野寺は言った。彼も自分の作品に誇りを持っているのだ。ここでの妥協は許されないという気持ちは、私にもわかる。
「いえ、大丈夫です!」
彼が言いたいことは何となく理解できる。それだけに、彼の言っていることが無茶などではなく、ポリシーに基づいていることもわかる。つまり、なかなか上手くいっていない原因は私の実力不足に他ならない。
死ぬほど悔しいけれど、悔しがっている暇なんてない。喉と身体を壊さない程度に無理をしながら、私は集中して声を当てていく。
「今の、よかったんじゃないですか?」
そんな風に、向こうからOKが出ても、私が納得いかないこともある。
「すみません。もう一度やらせてください!」
一分一秒を無駄にせず、本気で取り組まないと、きっと後悔する。
「あれ。まだやってたんだ」
浅海さんが戻ってきたのは、収録が始まってから五時間後くらいのことだった。驚いているというよりも、やっぱりな、という口調だった。
「今、最後のワンシーンがちょうど終わったところです」
小野寺さんが淡々と答える。
「で、彼女の声はどうだった?」
本人のいる前でストレートに質問する。待って。怖い……。
「悔しいけれど、浅海さんの審美眼はさすがだと思いました。俺の中の霞朱里のイメージ、ほとんどそのまんまです」
ぶっきらぼうな口調だったけれど、褒められているみたいだ。口元がにやけそうになるのを抑える。
「素直じゃないなぁ、もう。それが終わったら飲みにでも行くか」
「だから、俺はまだ十七歳の高校生ですって。何回も同じこと言わせないでください」
突然告げられたまさかの真実に、
「ええええええっ?」
思わず叫んでしまった。
「浅海さん、まさか言ってなかったんすか?」
小野寺さん……いや、小野寺くんは恨めしそうな視線を浅海さんへ送る。
「あー、別にいう必要もないかと思って」
いや、違う。意図的に言わなかったんだ。この人は私が驚いているのを楽しんでいる。
十七歳の高校生とわかってしまえば、年相応の見た目だ。それにしても、十七歳か。すごいなぁ……。
ゲーム内に実装される声の収録が始まり、ときどき小野寺くんも同席するようになった。
家に帰るのは遅くなったし、家を出るのも早くなった。もはや寝るためだけに帰っているような私の生活に、母親は心配そうな表情をしながらも、そっと応援してくれた。
とにかく、一心不乱に打ち込んだ。朱里に声を与えていくうちに、作り手側のイメージがつかめてきて、リテイクも減った。それでも、まだ完璧ではない。まだまだ霞朱里のすべてを、私は表現しきれてはいない。
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