第25話 Skyreach


 続いて上田小豆の演じる静葉奏の出番だ。

「行ってくる」

 彼女はそう言ってステージに向かう。落ち着いた声からは、強い意思が感じられた。


 無言でステージに立ち、マイクを口元に持っていく。

 小豆の凛とした表情には、先ほどの緊張はひと欠片も残っていなかった。


 歌に余計な言葉は要らない。凛とした小豆の立ち姿からは、そんな彼女の矜持がうかがえる。


 小豆が歌う曲は、静葉奏のソロ曲『群青のソラ』。


  祈りはソラへ響く

  群青の色まとって


  願いはソラで光る

  果てない夢のきらめき


 ゆっくりとした歌い出し。最初から声が入る曲構成となっているため、タイミングをイントロに頼ることができない。それでも彼女は、ほぼ完ぺきといってもいいスタートを切った。


  この広い世界で

  一人立ち尽くした朝


  君の手の温もりに触れて

  本当の優しさを知った


 高いキーと膨大な肺活量が必須な、小豆のためと言っても過言ではない難しい曲だ。振り付けは最小限で、単純なステップと腕の動きがほとんど。まさに歌唱力で勝負するような楽曲となっている。


 寒色を中心とした眩いライトが、ステージ上を縦横無尽に動きつつ、小豆の存在感を最大限に引き出している。


  ソラの青が闇に覆われてしまっても

  導きの風が私たちを連れて


  高く

  舞い上がる


 難しいはずの曲を、彼女は顔色一つ変えることなくのびやかに歌う。

 プロのシンガーも顔負けのビブラートに、私の背中がざわついた。


 左手をソラへ向かって高く掲げた小豆は、とても綺麗で。

 今の彼女にできないことなんて、一つもないんじゃないかと思えてしまう。


 サビ前。

 一瞬だけ無音になって――。


  祈りはソラへ響く

  群青の色まとって


  願いはソラで光る

  果てない夢のきらめき


 声量がすごい。緊張している様子など微塵も感じさせない、素晴らしいステージだ。


 先ほどのあいさつで声が震えていた小豆と同一人物とは思えなかった。それはきっと、自分の歌に自信があるからなのだろう。


 ——自信。それは何かを成し遂げるときや何かに挑戦するときに、間違いなく武器になる。

 瑠璃には天性の声とカリスマ性があるし、友にもアイドルという実績がある。


 私には何がある? 自分に問いかけて、何もないことに気づく。


 一人の声優に出会い、憧れて、ただここまで走り続けてきただけだ。才能とかギフトなんて呼ばれるようなものを、私は何も持っていない。


 それでも、間違いなく努力はしてきた。一生懸命、やれることをやってきた。それを自信に変えていくしかない。


 ひどく虚しい気持ちになるが、そんなことを考えている場合ではない。次は私の番なのだ。時間は待ってくれない。


 小豆の後ろのスクリーンには静葉奏が映っていたが、そのことは意識の外側にあった。今やこのステージは、上田小豆のものとなっていた。


 それが小豆の演じる奏のステージとして、正しいことであるのかはわからない。

 それでも確実に、これだけは言える。

 私は彼女の歌に心を動かされた。


 誓いはソラへ届く

 群青の色まとって


 想いはソラで実る

 果てない夢のきらめき

 かけがえない輝き


 歌い終えた小豆は、晴れやかな顔をしている。最後に少しだけ浮かべた笑みは、私が初めて見た彼女の本当の笑顔のような気がした。


 とにかく、素晴らしいステージだった。先ほどの自己紹介でのマイナスを、十分すぎるほどに取り返すことのできる内容だったように思う。


 ステージの袖で、小豆とすれ違う。

「次はあんたの番だな」

 声が、少しだけ震えていたのがわかった。


 そうだ。いくら歌に自信があるからといって、あんなにたくさんの人の前で緊張しないわけがないんだ。私は今さら気づく。


 小豆はそんな中であれだけのパフォーマンスをしていたのか……。

 素直にすごいと思った。


 そして小豆の言う通り、いよいよ私の番だ。

 大丈夫。二人が良い流れを作ってくれた。あれだけ練習したのだから、上手くいくはずだ。

 ラストの友に、最高の形でバトンを渡さなくては。


「大丈夫。私はできる」

 強く自分に言い聞かせて、深呼吸。

 私はステージへと歩く。


「ほっしー!」

 観客席からの声援。


 ほっしーというのは、私に付けられた愛称だ。小豆はあずさん、友はともにゃん、瑠璃はるーりんというように呼ばれている。すでに定着しているのがすごい。


 いざステージに立つと、観客の人数が増えているような錯覚にとらわれる。

 最初に歌ったときは四人で、今は一人だからかもしれない。


 左右には誰もいない。私だけが舞台の上にいて、目の前には私の歌を聴きに来ている人たちが大勢いる。

 一人で立つステージがこんなに心細いなんて、思ってもみなかった。

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