三章

三章 万里編 序

暗い母屋のその奥から歩いてくる姿があった。

小柄で髪の長い少女が近づいてくる。

その少女の姿に、在りし日の別の少女の面影が被る。


「あら、万里じゃない。こんなところで何をしているの?」


「真紅か、こんなところで会うなんて奇遇だな」


口調はいつもと何も変わらずまるで世間話をしているかのような雰囲気。


「お前達生け贄の少女はどうしていつも俺にこんな役をさせようとするんだろうな」


「うふふ、別にそんなことする必要ないんじゃないかしら。私はあなたがそんなことしなくても全然かまわないのよ」


「言ってくれるな…だがそういうわけにもいかないんだ。俺はあいつを悲しませたくない」


「そこは意見が合うわね、私もあの子は悲しませたくないの」


万里の手には小刀が握られていた。

そしてそれは真紅へと向かっていき…。




今日も家に来ているこの男。

暁という名の困ったやつ。

相も変わらずゆとりはこいつの世話を喜んでするし、暁に至っては早々に出て行きたそうにそわそわしている。

そんなに出て行きたいのならどうしてこんな所に居るのか。

理由は簡単だ、ゆとりが連れてきた。

しかも暁は全身ずぶぬれだったものだからゆとりが強制的に風呂に連れて行った。

暁のやつはどうも湯が苦手らしく、湯浴みの時に当たらないように来ている。

そういった悪知恵はよく働く。

それにしてもどうしてずぶ濡れだったのか、霧の中でずっとぼーっとしていたという事だが、相も変わらずあいつの行動は謎が多い…。


さて暁をからかってやろうかと温泉に向かおうとする。

その途中の縁側で足を止める。

天気のいい縁側は気持ちがよさそうだ。

ふと気づく、もう随分前になるがこんな場所で日がな一日のんびりと過ごしている人が居た。

あのときもこんな陽気だった気がするな。


いつの間にか俺は縁側に座って日に当たっていた。

無意識の行動だった。

感傷に浸っている自分に気づく。

なんともらしくない、こうして思い出すことも最近はなかったというのに今日はどうしたというのだろう。

すると目の前をさえぎる影があった。

ゆとりだ。


「なーにお兄ちゃん、そんな神妙な顔して変なの」


いつの間にかそんな表情になっていたのか、そしていつも通りににいっと笑う。


「からかうんじゃねえよ」


ゆとりの頭を乱暴に撫でる。


「もう、いつもそうやって乱暴なんだから!」


ゆとりは拗ねたように頬を膨らます。

むしろその様を見たくてしているようなものだけどな。


「で、何考えてたのよ。気になるじゃない」


「ああ…まあちょっと昔の事思い出していたんだ」


するとゆとりは意外そうに目を見開いている。

と、唇をすぼめて「似合わない」とぼやく。


「そんな感傷浸ってるの全然らしくないよ」


「お前がしつこく聞いてきたんだろうが!」


拳を上げて殴るしぐさをすると


「きゃあ!」


ゆとりが嫌々ときゃんきゃん騒ぐ。

なんだか喜んでいるようにも聞こえるが。


「おい、何やってんだよ!」


そこへやってきたのは暁。

ぶかぶかの着物でなんとも奇妙な格好だ。

俺の着物だからしょうがないが、正直なところ本当に暁は小さいな。


「うわ、ちいさ…」


本当に言葉に出して言ってしまうとは、つくづく俺は自分の行動が読めねえ。


「なに………?」


ゆらりと暁の周囲を邪悪な気配が漂い始める。


「暁さん早いですね。ちゃんと入って来ましたか?」


そこへ能天気にゆとりが介入。

助かったぜ。


「そんなに心配しなくたって、おれだってちゃんと入れるよ。子供じゃないんだから」


と暁は少し拗ねたように言う。

ゆとりはまずいと思ったのか申し訳なさそうな顔をする。


「あ…ごめんなさい。そういうつもりで言ったわけじゃないんです」


すると今度は暁が焦りはじめる。


「い…いや、責めた訳じゃないんだよ。ゆとりちゃんはそんなに心配する必要ないって事で別に責めるつもりじゃ…ておれ何が言いたいんだ」


手をぶんぶん振って言い繕う。

汗をだらだらと流してかなり焦っているな。

しかもまたゆとりがそれを引き継ぐ。


「いえ。私こそいつも余計なことばっかり言って、暁さんがうっとおしがるのも無理ないと思います」


「違うよ!おれゆとりちゃんの事うっとおしがってなんてないよ…」


いつまでもこんな調子だ。

こいつらは…本当に見ていて飽きないな。

だがそろそろ止めるか。


「ゆとり。茶ぁ持って来い」


ぴしゃりと二人の押し問答を中断させるように言う。


「な…何突然」


当然ゆとりは困惑顔だ。


「いいから持って来いって、俺は今すぐ茶が飲みてえんだよ」


「もう!お兄ちゃんったら本当にいつも強引なんだから、いいわよ入れてきてあげるわよ、すっごくあっついの入れてくるから。

お兄ちゃんなんか火傷しちゃえばいいんだ!」


そう言ってゆとりはどたどたといかにも怒ってますよといった足取りで水場へ向かっていく。

残されたのは俺と暁。

暁はしょげた表情でうつむいてぽつりと言う。


「すまん万里」


暁にはちゃんと俺が意図して二人の口論を止めたと伝わったらしい。


「お前も付き合い長いんだからゆとりの扱いくらいちゃんと覚えろよ。あいつは言わせるとどこまでも付け上がるぞ」


「うん。分かってるんだけど。どうも調子が狂ってしまって…」


「お前も大変だな」


はあーと息を吐く。

この二人、いつまでもこんな調子じゃこっちの気がもたねえな。


「ところで万里。さっきはゆとりちゃんが何か騒いでいたみたいけど、どうしたんだ?」


ここでまたさっきの話になるのか、いい加減にしてほしいんだが。


「昔のことを思い出してただけだよ。なんでお前らはそんなに気にすんだよ」


「へえ…」と暁はすまし顔をして


「まあそれはお前が日ごろから何も考えてなさそうだからだろ」


とこいつは何気に傷つく返答を返してきやがった。


「お前らはいつもそんな目で俺のこと見てたのかよ…」


暁は気の毒そうな顔で言った。


「いや、実は皆思っている。残念だな」


さらっと明かされた。

お前ぐらいだよそうはっきりといえる奴は…。

そこへゆとりが湯飲みをのせたおぼんを持って、とたとたとやってきた。


「お兄ちゃん。お茶入れてきたよ。はい」


突然差し出される湯のみ。

しかしゆとりは俺の手には受け取らせず、強引に頬に押し付けられ、しかもそれは熱湯を入れたらしく猛烈に熱く、押し付けた反動で飛び散った湯の飛沫がびしゃびしゃと俺の顔に際限なくかかり…。


そのとき俺が発した悲鳴は村の隅まで余すことなく響いたという。

これがゆとりの復讐だ。

しかしゆとりの唯一の誤算はその後何事かと集まってきた村人達によって羞恥の際に立たされたことだろう。

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