八王子ルート

一章 八王子ルート 湖の逢瀬

水車小屋の近くにいるようだ。

雨のせいか今日はいつにも増して音が激しい。

何だろう…この音が気になる…。

見に行ってみようかな。


「暁。駄目よ」


「え?」


突然声をかけられた。

それは真紅だった。

いや、これはおれの記憶。

あの日も今日のように土砂降りの雨で、川の水かさはいつもより増していた。


「危ないわ。巻き込まれたら助からないわよ」


「あ…うん。そうだね」


激しい流れに水車小屋の回転が早まり、粉ひきが小気味よい音を立てていた。


「この音につられたのかな?暁ってば子供みたいね」


「ち…ちが!」


と言いつつも、音に誘われて水車小屋に近づこうとしたのは事実だ。

真紅にはなんでもお見通しだ。


「今だったらすごい回転になってるんじゃないかと思ったんだよ」


「確かにね。でも今はやめておきましょう。危ないわ」


「うん…。分かってる」


真紅は強くおれの手を握る。

そんなに強く握らなくてもどこにも行かないよ。

だけど真紅の顔を見ると、その表情は暗く沈んでいた。


「私はこの音が嫌いだわ」


「…真紅?」


「これは捧げるための…。

いいえ実を引き裂くための道具。

実の意思なんて関係ない」


真紅の表情は普段とは想像のつかない冷たさを放っている。

それにしても何のことを言っているのだろう。

まったく意味が分からない。


「真紅…。何を言っているんだ?」


おれの言葉に真紅ははっと我に返ったようだ。


「あ…。ごめん…なんでもないわ。気にしないで」


「う…うん」


なんでもないとは思えなかったけど、こういう時の真紅は絶対に本当のことは話さないんだ。

だからおれも追及しないことにする。


しかしあの時の真紅の表情。

一体水車小屋に何の意味があるのだろうか。



雨の中おれは村を徘徊する。

昨日からおれの中の何かが狂いだしている。

気持ちが真紅を求めて突き進ませる。


自分でもどうしてそこまで焦っているのか分からない。

やがて目の前に広がる景色。

深く広く、村の中央に堂々と座する湖。


普段は蒼く透き通った水も今日は暗く沈み、水面が波紋を立て激しく歪んでいる。

対岸に目を向けるが雨が霞掛かり屋敷を確認する事は適わなかった。



そのとき。

ふと視界の端に捉えた何者かの姿があった。

その姿を確かに見ようと身を屈める。


まず最初に目に付いたのは紅い派手な傘。

それを持つのは細く色素の薄い白髪を腰まで垂らした仮面の男。


そしてその傘に入り身を寄せているのは男と同じく色素の薄い長髪を蓄え、豪奢な着物に身を包んだ少女。


八王子と真霧だった。


何故あの二人が一緒に居るんだろう。

この二人にどういった繋がりがあるのか、おれには皆目見当が付かない。

おれは二人に気づかれないようそっと距離を縮める。

幸い雨音が音を消してくれるおかげで楽に近づくことが出来た。


一体何を話しているのだろうか。

木陰からそっと耳をそばだてる。


「真霧…なぜ、放っておくのだ。あの娘は君にとって大事な娘ではないのか」


「貴方に何が分かるの」


「あの娘にとって私が必要でないのなら、もう私はあの娘には近づかない」


「もう決めた事なのよ」


「そう頑なになることなどないというのに…」


何を言っているんだこの二人は。

あの娘?ほおっておく?

それはまさか、真紅の事を指しているんじゃないだろうな。


「あのままではやがては死んでしまう。君はそれでいいのか?」


「…………」


その言葉を最後に黙ってしまう真霧。

ああ、こいつらは知っているんだ。

おれの知らない真紅の事を。


その後の二人の会話はまるで頭に入っていかなかった。

ただおれは今すぐここを飛び出しこの二人に真紅の居場所について問いただしたかった。


しかし耐えた。

今はまだ駄目だ。

どちらか片方だけになったときでなければうまく聞き出せないだろう。

おれはひたすら二人が別れるのを辛抱強く待った。


雨脚の弱まる気配はない。

着物はすっかり濡れ、それに触れる肌がひどく冷たい。

そしてやっとそのときが来た。


動き出す二人。

八王子が傘を持ち神社のある方へと向かう。

おれも二人のあとを追いかける。


階段の上り口で真霧は八王子を押し留まらせ、やがて一人で階段を上っていった。

八王子はしばらくその姿を眺めていたが立ち去る。

おれは…


「八王子…」


口をついて出た言葉はか細く頼りないものだった。


雨音に紛れ届きはしないと思ったが、八王子は足を止めゆっくりとこちらに振り向く。


「………」


八王子は黙ったままおれの方を向く。

何故何も言わない。


「八王子、お前おれに言う事があるんじゃないか」


「…何の事だ」


何故いつもこの男はこういう態度なのだろう。


「さっきの見てたんだ。聞いたぞ、真紅の事…」


「………」


相変わらず表情の読めない様子。

しかし、ふっと不敵な笑みを浮かべる。

何を笑っているんだ、こっちは真剣なんだぞ。


「そこまで聞かれたのならば仕方がないな。

来い、ともかくその濡れた姿をどうにかしない事には始まらないだろう」


そう言って傘をおれの方に差し出す八王子。


「………」


おれは黙って八王子に歩み寄る。


傘の下に入るとあれほど激しく体を打ち付けていた雨も届かなくなる。


「さて、では行こうか」




山道は険しい、あいつのところに行くこともなくなり一体何年がたったのだろう。


「………」


とはいえおれの意思であいつを追いかけていることだから、文句を言う筋合いはないのだが。

息も上がってきたところ、前方に建物が見え始めた。

やっとついた。


ここがあの男の暮らす小屋。

通称こけし屋敷と呼ばれる場所。


「う……うわあ!!!!?」


壁壁壁ところ狭しに並べられている大量のこけし!

忘れていた。

こいつの家には大量のこけしが置いてあるのだった。

数年ぶりとはいえかつての恐ろしい気持ちがよみがえる。


「う…うえ……」


気持ち悪くなってきた。

おれは大のこけし嫌い。

見るのもだめだというのに…


いや、だが家にあるこけしは大丈夫なんだ。

あれは真紅のおかげで平気になったからな。


しかしどうしたらいい?

これでは中に入れない…。


とそこに一つのこけしが目に入った。


「これは……」


それを手にとって見てみる。

こ…これは!


「何をやっているのだお前は……」


「お前……これはなんだよ!」


おれはその質問には答えずさっきのこけしを差し出す。


「………」


「これは真紅のこけしじゃないか!どうしてこんなところにあるんだ!」


「……とにかく中に入れ……話はこれからだ」


「え……」


小屋に入っていく八王子。

おいちょっとまてよ。


「どうした、話を聞きたいんだろう?」


「いや…ちょっとまてよ……」


「なんだ、何が言いたい?」


「……そんなこけしに囲まれた部屋に入れるわけがないだろう……」


それを聞いた八王子。

しばらくの沈黙。

何を考えてるんだこいつは。

くそう仮面のせいで表情が読めないんだよ。


「く……ははは!」


…笑った?こいつが?


「ああ……なるほどそうだったな!

そんなこともう何年も前のことで忘れていたわ!」


おれは…馬鹿にされているのか?


「奥の部屋にはこけしがない。そこで話をしよう」

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