一章 万里ルート 共に生きると誓って

「暁さん…暁さん」


(………だれだ?)


「…暁さん、起きてください…」


誰かの呼ぶ声に誘われそっと目を開ける。

目の前にはいつもの少女がいた。


「ゆとりちゃん…?」


眠気眼に間抜けな質問だ。

そうは言っても起きてすぐにこの顔を見ることなんて、初めてのことなんだからしかたがない。


「そうです、ゆとりです。

暁さん。

いきなり変な事聞きますけど…」


「へ?どうかしたの?」


おれは上手く頭が回らなくて変な声を出す。

勘弁してくれ朝は苦手なんだ。


「お兄ちゃん、知りませんか?」


「万里……?」


ゆとりちゃんはどうして俺にそんなこと聞くんだろう。


もちろん居所を知ってるはずがない。


昨日の事で万里とは居心地悪い、あまり近づきたくない気分だ。


「知らないけど…どうして?」


ゆとりちゃんはおれの返事を聞いて少なからず落胆した様子。

一体どうしたんだろう。


「ゆとりちゃん?」


「実は…お兄ちゃん、朝から居ないんです。こんな事今までなかったし…」


少し落ち込んだ様子をしている。

あんなんでもゆとりちゃんにとっては兄なんだなあと改めて実感した。


「そんなに心配する事ないよ。大丈夫」


「あいつの事だからきっとまたいつものようにどこかほっつき歩いてるだけだよ」


なるべく安心させるような口調で言う。

ゆとりちゃんは顔を上げるとまだ少し不安そうな顔をしていたが、ぱあっと表情を明るくさせた。


「そう…ですよね。うん!分かりました。

朝早くからお騒がせしました。それじゃあ私はこれで」


そういうと慌しく出て行くゆとりちゃん。


「あ…」


声を掛ける暇もなくゆとりちゃんはもう家からいなくなってしまった。

それにしても彼女らしくない。

いつもだったらそんなに兄を心配する事もないだろうに。

いつもと様子の違う少女に疑問を感じた。


そのとき、強い光が俺の視界を包み込む。


「う………」


その眩さに目を細める。



そして、その光が収まったときおれはまた布団に横になっていた。


「なんだ…いまの」


先程は気が付かなかったが外は霧で真っ白だ。


「こんな中をゆとりちゃんが?」


襖を開け外の様子を眺める。

そのとき外がざわついていることに気づいた。


「なんだ?」


おれは起きがけのまま外へと飛び出す。

そこには固まってなにやら話をしている村人たちがいた。

その声が耳に入る。


「温泉宿んとこの娘が消えたってさ」


「え…!?」


それはゆとりちゃんの事じゃないか。

だけど、彼女は今さっきまでおれの家にいたんじゃないか。

一体何の話をしているんだ。


「あの馬鹿息子の方もいなくなっちまったらしいぞ」


「!?」


と驚いたものの万里がいないだのなんだのはたいした事じゃない。

…はずだがどこか引っかかる。

気配に気づいたのか村人たちはおれの姿を認めるとそそくさと散っていく。

感じの悪い奴らだ。


真紅と切り離されて以来、村人たちとの折り合いはさらに悪くなった。

唯一良くしてくれるのはあの温泉宿の兄妹のみ。

万里とゆとりちゃんだっておれと関わることで陰口を言われているに違いない。

だからこそおれは二人にきちんと報いたい。

すごく感謝してるんだ。


「…ゆとりちゃんを探すんだ」



そして湖へと来た。

一昨日おれはここでゆとりちゃんに見つけられた。

あのときのおれは全身水浸しで、まるで湖に落ちた後のようだった。


「どうして二人とも…」


あたりは霧が立ち込め視界が利かない。

だがおれはそこである異変に気づいた。


「あれ…あれは…」


それは湖の畔にいつも止めてある小船。

それが今は一艘しかない。


「ここの船、確か二艘だったよな…一艘足りないぞ」


湖の反対側へと視線を投げる。


「まさか…」


おれは思い切って残りの船へと乗り込む。

不安はあった。

この先に嫌なものを感じた。

だが、行かなければいけない。

そんな気がしたんだ。

ゆっくりと船を漕ぎ出す。



「万里………」


そこはおれが来るべき場所じゃなかったんだ。

血の匂いが充満している。

真っ赤に染まった部屋。

そしてそこには、横たわる真紅。

血に染まり。

まだ温かそうな血を流し。

だがすでに息絶えている。


「なんだよこれ…なんでこんな…。

なんで真紅がそんなことになってるんだ!!!!」


全ての感情をぶちまけてさえ止まらない憎悪。

こんな激しい憎しみに体が支配されたのは初めてだ。


真紅の傍らには万里がいた。

血に染まった小刀を持ち、悲しそうな顔をしておれを見ている。

真紅の体へと近寄る。

近づくごとに離れていく万里の体。


足元がおぼつかない。

なかなか真紅の元へたどり着けない。

そしてやっと近づくことが出来た。

真紅の顔はとても安らかだった。


目の前が何故かぼやける。

これじゃあちゃんと君の顔を見る事ができないよ。

それはまるでいつも通りの優しい微笑み。

だけど…だけど…君はもう動かないんだ!!


「万里…どうしてお前なんだ」


「おれお前の事本当に親友だと思っていたのに…こんな仕打ちはあんまりじゃねえかよ!!!!」


それは本当だった。

いくらいつも馬鹿にしていても、おれは心のどこかでこいつに気を許していた。

だが、真紅については…無理だ。

そして真紅の最期を看取ったのがこいつだなんて、どうやったって許す事が出来ない。


出来るはずがない!!


「暁…」


万里が始めて言葉を発した。

それを耳にしたとたん、おれは身の毛がよだつほどの嫌悪を感じる。


「呼ぶな!!!!気安く俺の名前を呼ぶなぁ!!!!」


何かが音を立てて落ちた。

それは万里の持っていた小刀だった。

万里の顔には悲しそうでいてどこか諦めたような表情が浮かんでいる。


「真紅がおれの全てなんだ」


真紅の体を抱きしめる。

その生きた証がおれの着物に染み渡っていく。

そうだ、もうおれたちは分かり合えない。

だから、万里。


「お前を殺す………」


落ちた小刀を拾い上げる。

万里の方へと向かう。

万里は動かない。

恐怖で身がすくんだか?

そんなに引きつった顔をして、今にも泣きそうじゃないか。


だが心配要らないよ。

お前も好きだった真紅が一緒に、お前を切りつけてくれるんだから。

おれの隣に微かに感じる気配。

そうそこには真紅がいる。

おれ達はいつまでも一緒なんだ。


「あ……………」


真紅と共に小刀を持ち。

振り上げ。

振り下ろす。


「あかつきいいいいいいいい!!!!」


万里の最後の叫び。

飛び散る赤い飛沫。

浴びる鮮血。


なんなんだ、こいつは一体何をそんなに叫んでいるんだ。

意味が分からない。


もうこの目の前の人物がおれにとってどんな存在だったかも分からない。

最後に何かをつぶやいたように聞こえたが、それはおれの耳には届かなかった。

ああ…この床の血だまりに沈む男は一体…一体…。



気が付くとおれは村の中にいた。

だがそこはおれの知っている村の風景とは違う。

家屋は血に染まり、血に染まった人がそこかしこに転がっている。


「ああ…そうか…」


おれはあの後村に戻って…そうだ。

そういうことか。


思い返すと鮮明に蘇る人々の悲痛の声。飛び散る血潮。

飛び交う断末魔。

こちらを見る恐怖に引きつった表情。

それはまるで、人以外のものを見るようなそんな目をしていた。


「暁…」


声がした。

まだここにおれ以外に生きているものがいたとは…。

早々に片付けねば、この村はあってはならない場所なのだ。

その方向へと体を向ける。

だがそこで、おれの体は止まってしまった。


「暁…さん…」


そこに佇むのは図体の大きい屈強な男。

そしてその傍らには小柄な少女が…。


「ゆ…ゆとり…ちゃん…」


「あ…暁さん…止めてください……これ以上は、これ以上はもうやめて!!」


その声におれの理性が戻る。

ああ、おれは…おれは何をしていた?何をしてしまったんだ?

分からない…これはおれの意思がしたことなのか!?


「まさか貴様にそんな度胸があったとはな、だがいつかこんなときが来るとは思っていた」


大男が声を発した。

それはおれが今さっき命を奪った男、そいつが少し老いたような様相をしていた。

万里とその少女の父親だった。


「親父さん…おれは、おれは…」


何をいう事もできない。


「暁。私は知っていた。この村の古からの儀式、その方法」


「そして、お前の姉真紅がその生け贄に選ばれたことも」


突如親父さんの話し出した内容におれの頭はついていけなかった。

それは…何のことを言ってるんだ?


「だから私にお前を責める事はできない。だがこれはけじめだ」


そう言って腰の刀へと手を掛ける親父さん。

そうなって当たり前だ。

おれは潔く切られようと、手にしていた刀を地へと落とす。

親父さんの手が刀を抜き出す。


だがその着物の裾を引っ張り止める者がいた。


「…ゆとり」


「………お父さん。お願い」


「まさか…いいのか?それだとお前は苦労するだけだぞ」


「もう…いいの。決めたから。私は絶対後悔しないから」


「………」


なんだ?

目の前の親子はなにやら言い合っている。

ゆとりちゃんは何を言っているんだ。

親父さんは深く黙り込むと、目を開け真っ直ぐおれの方を見つめる。


「まったく、私にはこれ以上どうにもできん。

勝手にするがいい…。

だが、奴の願いもちゃんと聞いてやってくれ。

これが父親としてできる最後の面倒だ」


奴?それってまさか…。

親父さんがゆとりちゃんの背を押す。

臆せずおれの方へと近づいてくるゆとりちゃん。


そして手を差し出してくる。

その手を取る。


おれの手は真っ赤に染まっていてこの少女の手を取る資格なんてまったくない。

だが、おれは思い出した。

最後にあいつの言った言葉を、それを裏切らないためにもおれはこの少女を守っていかなければならない。


二人手を握りまだ暗い行く末を見つめる。

まだ朝は来ない。

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