一章 万里ルート 憩いの場所を求め
今朝気まずくなったゆとりちゃんの様子を見に行く。
玄関に入り声をかけようとしたところ、奥から何か話し声が聞こえてきた。
「お前ってやつはこんな日に限ってあれを着ていくことはないだろう」
「うるさいなぁ…ほっといてよ」
「あんなにわんわん泣いてたくせにな」
「もう!そんなに言うことないじゃない!」
奥に二人の自室がかろうじて見える。
胡坐をかいて座る万里の膝の上に乗ってゆとりちゃんは髪を結んでもらっている。
万里のやつは思いのほか器用だ。
おれは常々それを仕事に活かせばいいのにと思っていた。
そうすればゆとりちゃんに迷惑を掛ける事もないだろうに。
「しかしあいつ気づいてないだろうな、やっぱ俺から言うしかないかな」
「勝手なことしないで。いい加減にしてよお兄ちゃん」
「なんだ?誰もお前のことなんていってないぜ?」
「う~~~~~~もう!!お兄ちゃんのばか!」
とても楽しそうな雰囲気だ。
でもいい加減気づいてもらわないとな。
「万里?ちょっと今いいか?」
二人はやっと俺に気づく。
「わ!?暁さん!!」
「お、暁。やっと来たか」
万里がいつも通りに反応するのに対してゆとりちゃんはひどい慌てようだ。
一体どうしたのだろう。
「ゆとりちゃん。大丈夫かと思って来てみたんだけど。」
「そうなんですか。そんな気を使わせてしまってすみません…。
もう全然大丈夫ですよ。あ!私お茶入れてきますね。暁さんは気にせず寛いでいて下さい」
一気にまくし立てるとゆとりちゃんは奥の台所へと消えていった。
それをぼーっと眺める。
「いつまでもそんなとこに突っ立ってないで、まあ上がれや」
茶の間に通される。
なんだかいつもと雰囲気が違う万里。
なんというかいつものふざけた感じがない。
一体どうしたんだろう。
「しかしまあ…こんな雨の中おまえもよく動くな」
「まあな…」
何かおれを突き動かす衝動のようなものがあってじっとしていられないんだ。
自分でもなんなのかまったく分からない。
「今朝のゆとり。
おまえが元気ないから元気が出るようにって飯つくりに行ったんだ」
「え…………」
「こんな雨の日くらいやめとけってのに。
ゆとりの奴、お前の事となるとまったく前が見えなくなるな」
「そうだったんだ……ゆとりちゃん。
おれそんなに気を使わせてしまって」
すると万里がくっくと笑い出した。
「なんだよ急に笑い出して気持ち悪いな」
「いや………おまえらってよく似てるよな」
「はあ?」
「二人して気を使いすぎだ、もっと頼ってもいいんだよ」
「だ………誰の事言ってんだよ」
「そこはおまえで考えろ」
「なんだよ………」
ゆとりちゃんとおれが似てる?
そうか?全然違うぞ。
ゆとりちゃんはしっかりもので、気遣いがあってやさしいんだ。
おれにはそんなところ全然ない。
いつだって気づくのが遅い。
ゆとりちゃんはこんなに心配してくれてたのに…。
「ゆとりのやつもな、ほんと一筋だよな。
あれ分かりやす過ぎだろ。
あれで気づかなきゃほんとに馬鹿だよな」
「万里………?いきなり何の事言ってんだ」
「え?つまりおまえだよ馬鹿」
「………なんでいきなり馬鹿とか言われなきゃいけないんだよ。訳分かんねえ」
しかしそんなふざけた会話も万里の言葉で遮られる。
「なあ、暁。真剣な話、聞いてくれないか。
いや、戯言だと思って聞いてくれるだけでいいんだ頼む」
「どうしたんだよ。らしくない言い方して」
おれは笑って返すが万里は少しも笑っていない。
一体どうしたってんだよ。
「お前。おれの義弟になる気はないか」
…………。
一瞬思考が止まった。
つまりそれは…そういうことなのか…。
「万里…冗談を言うのもほどほどにしろよ…」
「暁。これが冗談を言っているように見えるのか?」
ああ、なんでこんな日に限ってこいつはこうおれを動揺させることを言うんだよ。
どう返したらいいか分からない。
「お前ゆとりの事嫌いか?そんなことないよな。
ゆとりだってそれを拒まないだろう。
なあ、俺の家族になってくれよ。
俺がずっとお前を守ってやる。
それがせめてもの罪滅ぼしになるんだ…」
最後だけはまるで自分に言い聞かすような言い方だった。
一体どうしてしまったんだろう。
万里のこんな様子を見るのは初めてだ。
「しっかりしろよ万里。
お前言ってる事がめちゃくちゃだぞ。
なにか悩みでもあるのか?」
心配になって万里の顔を覗く。
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているのだろうか。
「お前がいけないんだ。
お前があいつと同じ顔をして俺の近くにいるから。
時が経てばたつほど思いが募る…」
万里の表情にぞくりと背筋が凍る。
なんて冷たい目をしているんだろう。
万里はおれの顔を見て夢から覚めたようにはっとする。
「なんてな、今言ったのは全部嘘だ。本気にすんなよ馬鹿」
いつも通りの万里に戻った。
「な…なんだ。脅かしやがって。ほんとお前ってふざけた奴だよな」
しかしさっきの顔を思い出すと身震いが隠せない。
なあ、おまえふざけたように見せて本当は本気だったんじゃないのか。
そう感じさせられるほど、万里の本心が垣間見えた気がした。
「お茶入りましたよ」
そのときゆとりちゃんが入ってきた。
「ゆ…ゆとりちゃん!?」
「どうしました暁さん、そんなにあわてて?」
さっきの口論が聞かれてなかったか心配になったが、ゆとりちゃんはにこにことお茶を並べていく。
聞こえてなかったようだ。
ほっとする。
「おう、待ってたぜゆとり」
先ほどの鬼気迫る雰囲気はまったくなく、いつも通りな様子の万里。
しかしそれがひどく不気味だった。
今までこいつにこんなに不快感を持った事なんてなかった。
一体…どうしてしまったんだ。昨日からおれの回りは何かがおかしい。
「何言ってんの、お兄ちゃんの分なんてあるわけないじゃん」
「な…なに!どういうことだゆとり!俺は除け者か!?」
「あたりまえでしょ?」
「ひどいぞゆとり!」
「ふふ………あはははは!嘘だよー、お兄ちゃん」
そういってゆとりちゃんはお茶を並べてくれる。
目の前のやり取りが変に遠くに感じる。
しかしゆとりちゃんがお茶を差し出してくるとおれははっと目が覚めた。
目の前のお茶は暖かそうに湯気を立てている。
いつも通りのおいしそうなお茶だ。
「ありがとう、ゆとりちゃん」
「いえいえ、お安い御用ですよ」
そう言ってにっこり笑う。
その顔を見たらおれは先ほどの万里とのやり取りを思い出してしまった。
万里の義弟ってことはつまりおれはゆとりちゃんを
そこまで考えて顔が熱くなってきた。
何を考えてるんだ。
だいたいゆとりちゃんはまだほんの子供だぞ。気が早いにもほどがある。
「暁さんどうしたんですか?顔が赤いですよ。風邪じゃないですか」
そう言って額に手を置き、片方は自分の方に当てる。
「おかしいですね。熱はないようですけど…」
そんなことを考えていたときに急に接近され気が動転する。
「な…なんでもないんだよ、気にしないでゆとりちゃん」
そんなやり取りをしながらもおれは万里を盗み見る。
万里はいつものようにおれ達のやり取りをにやにやとあの嫌らしい笑いを浮かべながら見ている。
いつも通りの様子にほっとした。
「あの、暁さん。さっきはひどく取り乱してしまってすみませんでした」
ゆとりちゃんが言ってきた。そういえばおれはここにゆとりちゃんの様子を見に来たんだった。
「そんな気にすることないよ。」
「むしろゆとりちゃんの子供らしい一面が見れて、ゆとりちゃんも年相応なところがあるって分かったから」
「え!それって子ども扱いしてるってことですか。私そんなに子供じゃありません!」
「いや…そういう意味じゃ」
「いつもゆとりに世話やかれてるから、ここぞとばかりしてやったりってことだよな?暁?」
「ち…違えよ!」
万里が会話に参加してくるだけで緊張してしまう。
さっきから何をそんなに気にしてるんだ。
さっさと気を切り替えろ。
「暁さんはそんな風に思ったりしません!」
せめてここにゆとりちゃんがいてくれたことがせめてもの救いだった。
そのあともそんな風になんでもないことで盛り上がっていた。
しかしおれは冷めたように外から眺める感覚だった。
一体どうしてしまったんだろう。
夜の帳も下りる頃。そろそろ帰ろう。
夜道は危ない。
「お茶ご馳走様。どうもありがとうゆとりちゃん」
「いえいえ…お安い御用ですよ。またいつでも来て下さいね」
そう言って人懐っこい笑顔を浮かべるゆとりちゃん。
「それじゃあ、お邪魔しました」
そう言って温泉宿から立ち去ろうとする。
すると万里があわてておれを呼び止める。
「おい、暁そのままで帰るつもりか。濡れるぞ。おれが送って行ってやる」
え………!?
先程の事で万里と二人きりという状況に戸惑ってしまう。
正直少し嫌だな…。
「いや、いいよ。悪いし」
「何言ってんだよそんな遠慮する仲じゃないだろ」
そう言って強引におれについてくる万里。
同じ傘に入る形なので距離が近い。
またおれの体が緊張で固くなる。
「なんだ暁そんなに強張っちまって」
「な…なんでもねえよ」
なんでもないわけはないが、やはり万里を意識してしまう。
しばらく言葉少なに歩いていく。
「なあ、暁…さっきの事やっぱ気にしてんのか?」
唐突に万里が切り出した。
「い、いや。そういうわけじゃ」
「いいってそんな気を使わなくても。
さっきのは…その、俺がどうかしてた。だからもう気にしないでくれないか」
万里らしくもなく相手を気遣った言い方。
万里もおれと同じでさっきの事をずっと気にしてたんだな。
「おれも…さっきから変な態度とって悪かったよ」
もうこれで先ほどのことは後腐れなく終わりにしたい。
「だから、お互い様ってことでもう忘れようぜ」
「ああ、すまねえな」
そうして先ほどまでのぎくしゃくした雰囲気も消えていった。
案外簡単な事なんだ。
おれは万里の事を信頼してるのかもな。
そしておれの家の前。
「じゃあな。暁」
「ああ、またな」
家の中に入っていく。
後ろからは万里の視線を感じる。
関係は元通りになれたはずなのにどうにも万里の様子がおかしい気がする。
それともおかしいのはおれの方なのだろうか。
結局考えても分からない。
おれは万里の視線を遮るように戸を閉めた。
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