四章

四章 真霧編 私は何故ここにあるのか

ここは暗い。

ここは寒い。

なぜ…誰とも会ってはいけないのですか?

なぜ…私は人とは違うのですか?

私も外に出たい。あの湖の周りを走り回りたい。

あの真っ赤な日の光を浴びたい。


ねえ…母様…。


なぜいつも寂しそうなのですか。

なぜいつも私に謝るのですか。

私には全然分からない。

他の人は全然近づいてこないのに、母様だけは私に話しかけてくれる。

でも…。


それも最近はおかしいと思い始めてた。

だって私はいつもお部屋の中にいて、母様はお部屋の外から私を見てるだけ。

だから…そんな綺麗な尖った物で自分の胸を突くのは止めて。

母様、とっても苦しそう。


口から紅い水を流して、全然いつもと違う顔してる。

どうして、どうして母様は自分でそんなことをするの。

ほら、あの人。

いつも遠くから私達を見てるあの人がよく分からない事を言って行ってしまった。

あの人のあんな顔もはじめて見るの。


母様…。

母様は強引に引っ張ります。

母様…何がしたいのですか。

私はどうしたらいいのか分かりません。


ああ、そうなんですね。

その咎ってきれいな物を私にくれるのですね。

ありがとうございます。

母様がくれた最初で最後の贈り物。


ああ…母様…。


もう動かない。




「真紅…持ってきたわよ…」


薄暗い書庫内で蝋の明かりに薄ぼんやりと照らされる少女の姿があった。

真剣に書物を読み漁る真紅である。


「そう…そこに置いておいて」


私の方を見向きもせずにその作業に没頭している。

本来ここは真紅の入れるような場所ではなかったのだけど…。

気が付けば私は常に真紅の言いなり。

彼女に利用されていることは分かっている。

だけど私は彼女に逆らえない。

初めて必要とされた。

彼女だけは私を私をして受け入れてくれたんだもの。

年の近い子と話をするのは初めてだった。

そして、私はそんな彼女だから何か手を貸したいと思った。

そこには私の家に対する反抗心もあったかもしれない。

生まれた赤子は赤子にしてすでに腰にも届く頭髪が生えていた。

しかしその色は老婆のような白。


「忌み子じゃ…大部家から忌み子が生まれおった!」


生まれたばかりの赤子は大人たちに敬遠されうとまわれた。

特に祖父はその姿を目にしただけでも露骨に顔をしかめた。

忌み嫌い。

ついには物心付く前の真霧を神社へと押し込めたのである。

私の心は空虚。

何も入らない、何も出てこない。


「真霧…?貴方の様な娘がいたなんて全く知らなかったわ。年の近い子って初めてなの。仲良くして頂戴ね」


彼女と居るときのこの気持ちはなんだろう。

胸がなんだか少し暖かくて…落ち着いた気持ちになる。

分からない、私には分からない。

分かるはずがない。

だからその感情を理解する事はないと思っていた。



儀式の日がやってきた。

巫女の控える別室にて、禊を終えた真紅。

その傍らには私がいた。

しかし今回の儀式は例年とは異なる。

私と真紅が結託してこの儀式を失敗させるのだ。


真紅…。


そうしたらあなたは自由になるのね。

もうすぐ儀式が始まる。

真紅は私の目に布の覆いを被せていった。

目の前が真っ暗になり何も見えなくなる。


「真紅…一体何をしているの?」


「真霧、あなたは何も見ちゃいけない。あなたは全てが終わるまでここに居なきゃだめよ。分かった?」


「…分かったわ」


真紅のいう事には逆らえない。

真紅に何か考えがあってのことだと思うしかないだから。


「真紅…」


「何も心配ないわ。じゃあ、行ってくるわね」


そう言って出て行く気配。

部屋には私一人が取り残される。

真紅一人で大丈夫なのかしら…。

急に不安が押し寄せる。

出ていきたい衝動に駆られる。

しかし真紅の巻いた目隠しが戒めのように私の動きを封じる。

私は人形だ。


人に行動を指し示してもらわなければ何も出来ない。

だからこの後の出来事もただ聞いている事しかできなかった。

鼻腔をくすぐるのは命の残り香。

それを感じ、ただここで何もせずに居る事しかできない。

たとえその犠牲者が私の血族だとしても、私に感傷等は起こらない。

ここにいるのは家族とも思わなかった人々なのだから。

やがて生きている者の気配がなくなった。


しかし…。

いくら待っても真紅の来る気配はなかった。

…。

真紅…?

やがてこの部屋に入ってくる者がいた。

違和感を覚える。

違う……。

目の前を覆っていた布が解かれ視界へ飛び込んできた光景。

見知らぬ男が目の前にいた。

なんとも風変わりな様相。

顔の半分を覆い隠す仮面。

そして暗闇の中でさえ浮かぶ白銀の髪。

それは私と同じものだった。


「お前は…誰だ…」


男が息を飲むのが伝わる。


「ああ…はじめて見た。私と同じ人間を。君は、私と…同じだ…」


ひどく震えた声だった。

男が何を言っているのかまったく分からなかった。

だがこのような最悪の場所で最悪の出会いをしたというのに…。

私は不思議とその男に安心感を抱いたのだった。




男に連れられその場所へと赴いた。

そこは紅かった。

そしてその中心に立つその子はひたすらに美しかった。


「暁には知られたくなかった…私のこんな姿…」


何故私はここにこうして立っていることしかできないのか。

真紅が私に目を向けた。


「真紅…」


「真霧…」


そしてその次の言葉を私は忘れる事ができない。


「貴方はただの駒。

それ以上のことなんて何も望んでないのよ」


ああ…。

このときほど私は自分の中の感情というものを認識した事はないのではないのだろうか。

私の内を燃える激情。

怒り妬み失望。

そして理解。

そうだ…真紅はいつも私の事は見ていなかった。

ただの人形であったものが出来損ないの感情などを持つものだから…。

持たなければこんな思いをせずにすんだだろうに。


こんなにも…悲しい…。

そこからの記憶は途切れ途切れだった。

気がつくと私は神社の門の前に居た。

傍にはあの仮面の男。

男は私に正気が戻ったと分かるや道を引き返していった。

ここでこの男を逃してはならない。


「待って…」


この男には聞きたいことが山ほどあるのだから。


「貴方は誰なの?」


「私は八王子という。こけし職人としてこの村に呼ばれて来た者だ」


この男が噂に聞いていた変わり者のこけし職人というわけね。

見れば見るほどおかしな男。

そもそもなぜ顔を隠すのかしら。


「…一体何があったの?」


八王子は一度ためらうようなしぐさを見せたが意を決したのか言った。


「これは君にとっては憎むべき事だろう。あの場に居た者たちを殺したのは私だ」


それを聞き私は憎悪よりも真紅が何もしなかったという事実に安堵していた。

私にとって大部家の者達の死はたいした意味をなさない。


「そう…貴様があの大仕事を全うしたというわけね」


私の言葉に八王子は怪訝そうな顔をする。


「私が憎くはないのか?」


その言葉に私は可笑しく笑いそうになってしまった。

このような感情は初めて。


「憎いも何もあの家の者達など私の心を占めるものではないわ。どうなろうとなんの感情も起きないもの」


男はますます困惑した表情をする。

しかしどうしてこうも気分が高揚として気分がいいのかしら。

八王子は私の顔をじっと眺めている。

一体どうしたというのよ。


「だが君は泣いているではないか」


何を…言っているのよ…。

私が…泣いている?

感情を知らない私がどうして泣く事など出来るっていうのよ。


「意味が分からないわ…」


儀式の出来事が真紅の仕業ではないと分かったのだから。

もうこの男と話す事もないわ。

この男の言葉は私をひどくいらつかせる。


「…君は一体この後どうするのだ?」


「このままでは村は崩壊していくわね。あとは高みの見物と言ったところかしら」


八王子は黙ったまま石段を下りて行った。

やがてその姿も見えなくなる。

そう…これでいいのよ…。

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