三章 万里編 雨
がばっ。
布団を跳ね除け起き上がる。
「なんて夢だ…こんな昔のこと今更…」
全身汗びっしょりだ。
体が水気を纏っている様に空気も湿っぽかった。
障子を開けると外は雨だった。
「まるで俺の気分を代弁してるようだな」
「朝から何かっこつけてんのよ」
いつの間にか部屋にはゆとりがいた。
「うわ!居たんならそう言えよ」
「今日は外に洗濯干せないからこの部屋使うよ」
まるで会話をしようという気がない。
というかここを占領する気なのか!?
「おい、俺はどうすりゃいいんだよ」
「別に、どこにだって行けばいいじゃない。放浪がお兄ちゃんのお楽しみなんでしょ?」
と意地悪く笑うゆとり。
どうやら昨日の事を相当根に持っているらしい。
あれはむしろお前のせいだと思うが。
「ああ、分かったよ出て行きゃいいんだろ」
「もうむしろずっと帰ってこなくていいよ」
今日のゆとりはいつにも増して意地が悪い。
しかもよく見れば目が赤く腫れぼったくなっている。
「ゆとり。お前何かあったのか?」
びくっと体が震える。
「べ…別に何もないよ」
そうは言うが何かあったのは明白だ。
「そんな顔してよく言うよな。なあ、言ってみろよ別に笑ったりしねえから」
「だから何もないってば!」
こつん。
どこからか音がした。
見ると廊下から暁がこちらに手招きしている。
というかなんで暁が居るんだ。
暁はなおも俺にこっちに来いと手招きしている。
ゆとりはちょうど外の方を向いていて暁には気づいていないようだ。
「分かったよ」
そう言って廊下に出る。
暁は先立って歩いていく。
そして玄関まで来て外に出る。
そこに来てやっと暁は話出した。
「まずは何でここにおれが居るのかって話だけど、実は今朝もゆとりちゃんが家に来たんだ」
「今日もかよ、あいつもいい加減飽きない奴だな」
おれは先ほど起きたばかりだが、ゆとりはそれよりも前にすでに起きて暁の家に向かっていたというわけか、しかも家に帰ってからは洗濯までして。
「そんなに朝から働かなくてもいいと思うが…」
「というか万里。お前今が朝だと思っているのか?もう昼時だぞ」
「…え」
そんなに寝ていたのか俺は。
「相変わらずだな。
まあとにかくその後ゆとりちゃんを送り出すときに雨でぬかるんでいたせいかゆとりちゃんが転んでしまったんだ。
それで着物が泥だらけになってゆとりちゃんも泣き出してしまうし。
こうしてここまで連れてきたけど。なんか居たたまれなくて…」
暁も損な性格だよな。
それは別にお前のせいじゃねえだろうに。
「そういうわけなんだ。
だからあんまりその事をゆとりちゃんに言うのはやめてほしいんだ」
「わかったわかった。もう全部分かったんだから言わねえよ」
それにしても暁。
こいつこんなに人のこと考えれる奴だったか?
なんか今日は調子狂うな。
そういえばもうひとつ疑問が浮かんでくる。
「暁。そういやお前なんで俺んちに居るんだ?」
「え…いや、だからそれは…」
俺はふと閃くものがあった。
まさか暁に限ってそんなことがあるのだろうか。
「まさか、ゆとりが心配だからこうして傍にいたってことか?俺にそのいきさつを話すために?」
自分でも突飛した考えかとは思った。
だが暁は頬を赤くして黙ってしまっている。
本当かよ。
「わ…悪いかよ」
暁は真っ赤になって言う。
こいつは本当に暁なのだろうか、信じられない。
だがこれはいい傾向なのかもしれない。
「暁。お前って奴は!」
そして暁の頭を思いっきり撫で捲くる。
「うわっいきなり何すんだよ」
「お前も成長したよなって喜んでんだよ」
「ば…馬鹿にするなよ」
そして暁はぷいっと顔を背ける。
「いつまでも真紅がいないからってゆとりちゃんにまかせっきりじゃいけないと思ったんだ。
それにいつまでも沈んでいたんじゃ万里やゆとりちゃんに気を使わせてしまうからな。それだけだよ」
なおも恥ずかしそうに顔をそらして言う暁。
だがそれとは逆に俺の心中は冷えていった。
真紅、その言葉が暁の口から出るのを聞くのはいつの日以来だろうか。
暁は思い出すと辛いのか最近は真紅の話題を挙げることをしなくなった。
俺たちもその意図を汲み取って言わないでいる。
だが俺にはそれとは別に真紅と聞くととてつもない懺悔の念に襲われる。
「万里、真紅が帰ってくるまで俺はもっとしっかりとするよ」
「そうか、偉いな…お前」
なんて白々しい。
俺は知っている。
真紅はもう帰ってこない事を。
俺だけが知っているんだ。
そしてそれを暁に伝える事もない。
「なあ万里。真紅はいつ帰ってこれるんだろうな。
一応おれより数年長く生きてるお前だったら何か知ってるんじゃないか?」
「さあなあ、俺も神社に連れて行かれた子は真紅しか知らないからな」
「そうか。でもおれは待つよ。いつまででも。真紅と約束したんだ。だから辛くても耐えれる」
暁は今まで見たこともないほど決意に満ちた顔をしていた。
「なんだ約束って?」
「それはおれ達だけの秘密だ」
「なんだよ。お前たちはいつも二人でおれをのけ者にするなあ」
おどけて言う。
この双子はこうして離れていても相手の事をちゃんと分かってるんだな。敵わないと思った。
「それより万里。そろそろ中に戻ろう」
「あ…ああ。そうだな」
家の中では相変わらずゆとりがせかせかと働いていた。
そしてなにやらまた暁に世話を焼こうとしたり俺に口うるさく言ってきたりするが、俺はどれも気が曖昧で何も考える事ができなかった。
きっとこの数日の事に違いないのだ。
村の男衆の数人が今村長の家に居る。
だからもう真紅は…
それを考えると俺はどう皆に顔を合わせていいか分からない。
俺は本当に無力だ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
気が付くとゆとりが目の前にいた。
「もう、さっきから何ぼおっとしてんのよ!」
ひどく怒った様子だ。
今の今まで自分がどうしていたのか思い出すことが出来なかった。
これは重症だ。
「ゆとり…すまん。何か言ったか?」
「やっぱり聞いてなかったのね。もう暁さんも帰ったよ。仕事始めなきゃ」
ゆとりはせかせかと準備を始めていた。
「暁、帰ったのか」
「そんなことも覚えてないの、もう今日はお兄ちゃん変だよ。いつものお兄ちゃんじゃないみたい」
さすがにゆとりも心配している。
そんなにひどい顔をしているのか。
「もう今日はいいよ。そんな顔で居られたんじゃ商売上がったりよ」
ひどい言い方に聞こえるがゆとりなりに気を使っているのかもしれない。
それすらも今の俺には辛い。
「ゆとり、すまない」
「な、なによ。そんなしょぼくれた声出しちゃって、気持ち悪いなあ」
ゆとりは俺がそんな言い方をするのが意外だったのか引きつった顔をしている。
ゆとりのそんな様子を見ていたら少し気が晴れてきた。
俺が沈んでいたんじゃ余計申し訳ないな。
ここはいつもの俺らしくいくか。
「大丈夫だ。さあ今日は俺もちゃんと手伝うぜ。始めるぞ」
「今日は…ね。本当いつもそうしてほしいものよ」
こいつはいつだって気づかないうちに俺の心の支えになっていたんだな。
そんなことを今更ながら気づかされる。
「そう言ったからにはとことん働いてもらうからね。音上げないでよ」
「安心しろって、まかせな」
その日俺は初めて宿の忙しさを知った。
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