ゆとりルート

一章 ゆとりルート 小さな訪問者

「真紅……」


目を覚ます。

外は暗い。

雨が降っている。

頬を伝うしずくがひとつ。


「なんだ…おれ…なんで泣いてんだよ…餓鬼じゃあるまいし…」


恥ずかしさを紛らわす。

いやな天気だ…。

気が滅入って狂ってしまいそうだ。

気を紛らわせたい…。

だが外に出るにしてもこの雨。

さらに気分が滅入る。


「暁さん?お邪魔しますよー」


外から声がした。

こんな朝早くにおれの所に来る人など限られているがそれにしてもこんな天気のときにまで?

怪訝に思ったがとにかく玄関に出る。


「ゆとりちゃん…」


「あ、暁さん起きてましたか。おはようございます」


そういって深々とお辞儀をする。

この礼儀正しさはやはりゆとりちゃんだった。

よく見ると着物が濡れてしまっている。


「こんな天気のときまで来なくてもいいのに…」


「え!?ご迷惑でしたか?」


ゆとりちゃんは戸惑っている。

どう言ったものか…。


「いや、そういう意味じゃないけど」


ゆとりちゃんは不安そうに眉根を寄せている。

また言い方を間違えてしまったかもしれない。


「着物もそんなに濡れてしまっているし…。

そんな風になってまでおれの所に来ることないって言いたかったんだよ」


そう言うとゆとりちゃんもなるほどと納得してくれた。

だけど今度は少し怒った様子になる。


「暁さんこそそんな風に気を使うなんてらしくないですよ。

こんなの今に始まったことじゃないんですから」


「はは…ゆとりちゃんらしいね」


相変わらずな様子に少ししんみりしてしまう。

今日のおれはなんだか感傷的だ。

いつものようにふざける事もできない。


「じゃあ、今日も朝食作りますねー」


瞬時に笑顔へと変わる。

そう言って台所へと向かってしまった。

いつまでもこんなとこに居ても仕方がないからおれも居間に戻る。


台所からは朝食を作る音が聞こえてくる。

それにしてもどうしてゆとりちゃんはこんなにおれに色々してくれるんだろう。

真紅が居た頃だったら分かるけど、ずっと不思議に思ってた。

真紅が居た頃はゆとりちゃんは真紅から家事を教わっていたから自然とおれのうちに来るようになっていた。


けど今は教わる相手もいないし来る必要はないはずなんだけど。

そんなことは言ってもゆとりちゃんのおかげで生活も助かっているし文句はまったくないけれど。

そうしてしばらくするとゆとりちゃんが食事を運んできた。


「はい、出来ましたよー」


「ああ、ありがとうゆとりちゃん」


そう言うとゆとりちゃんはにっこり微笑んだ。


「いえいえ、これくらいどうってことないですよ」


その笑顔を見ておれの気持ちも大分晴れてきた。


ゆとりちゃんが来てくれてよかった。


あのままおれ一人で居たらどうしようもなく気が滅入ってしまったに違いない。


「それに暁さん昨日から元気なかったですし…」


食事を卓に並べながらぼつりと言う。


「え?」


小声で聞き取れなかったけどそう言ったよな。


「い、いえ。なんでもないですよ!」


ゆとりちゃんは顔を真っ赤にして顔の前で手をぶんぶんと振る。

どうしてそんなに焦っているんだろう。


「ゆとりちゃん」


「は、はい!?」


「いつも…ありがとうね…」


この時ばかりはいつもの感謝の気持ちもこめてちゃんと視線を合わせて言った。

するとゆとりちゃんはこれ以上ないくらいに真っ赤になって固まってしまう。


「いえ…当然のことをしてるまでですよ…」


目は虚ろでぼんやりしている。

話し方もなんだかいつものゆとりちゃんじゃないみたいでおかしかった。


「あ…もう。何笑ってるんですか!」


「ごめん、なんでもないよ」


「もう、今日の暁さんは反則です。べーだ」


そう言って舌を突き出すゆとりちゃん。

ゆとりちゃんはしばらくむくれていたけど、おれと同じように笑い出す。

今朝の暗い気持ちはすっかり吹き飛んでしまった。

本当にゆとりちゃんが来てくれてよかった。


食事の後。

ゆとりちゃんはせっかく家に来たという事で家を大掛かりに掃除しだした。

おれはゆとりちゃんの後に付いてあーだこーだと言うとおりに動いていた。


気を聞かせて何かをしても余計仕事が増えると怒られたからだ。

こういうときのゆとりちゃんは本当に容赦がない。


「終わりました!」


「お…おわったね…」


これだけ働いたというのにゆとりちゃんはまったく疲れた様子がない。

それに加えて帰ったら今度は温泉宿の仕事があるのだから本当にたくましい子だな。


「暁さん、今失礼な事考えていませんでしたか?」


「そ、そんなことないよ」


ゆとりちゃんは本当に鋭い。

たまにおれの考えてる事が分かってるんじゃないかって思ってしまう程だ。


「あ、こけし…」


ゆとりちゃんが箪笥の上に置いてある二対のこけしに気づいた。

というよりもこのこけし隠しといたはずなんだけど、掃除のときに出てきてしまったんだろうか。


「わあ、かわいいこけし。これは暁さんのですか?」


興味心身にこけしを眺めるゆとりちゃん。


「ああ、たぶんおれか真紅のこけしだな」


「暁さんか真紅さんの?もう片方はどうしたんですか?」


無邪気に聞いてくるゆとりちゃん。

どうやらこのこけしをずいぶんと気に入ってしまったようだ。

だがそんなゆとりちゃんに比べておれの心中は冷めていた。


「なくしてしまったんだ。

真紅の去ったあの日以来…。

もしかしたら真紅が持っていったのかもしれない。

だが片割れのいなくなったこけしなんて意味がないんだ。

だから…」


それ以上は言葉にならなかった。

だから隠していたのか。

このこけしがまるで自分のことのように見えてしまうから。

我ながら女々しい考えだ。


「そうですか。言いにくいこと聞いてごめんなさい」


おれの冷めた言い方に少し落ち込んでしまったようだ。

ゆとりちゃんのせいじゃないのに悪いことをしてしまったな。

このこけしはおれにとってはあまりいい思い出がない。


隠していたのは真紅の事を思い出してしまって辛いという気持ちもあっての事だけど。

もう一つ、こけし職人のあの男…。

あまり考えたくない出来事だ。


物思いに耽っていたらゆとりちゃんがおれの事をじっと見つめていた。

どうしたんだろう。


「暁さん。

私、真紅さんの代わりになんてなれないけど…。

でもずっと一緒に居ますから。

だから元気出してください。

暁さんのそんな顔見てるの辛いんです」


どうやらおれが黙り込んでしまったから真紅の事で落ち込んでいると思われたみたいだ。

おれは本当にいつまでたってもしょうがないなぁ。


「ありがとう、ゆとりちゃん」


本心からの言葉が自然と口から出た。

心配ないという意思表示でゆとりちゃんの頭を撫でる。


「もう、いつもそうやって子ども扱いするんですから…」


何故かうつむいてしまうゆとりちゃん。

おれ何か悪い事したかな。


「あ、もうこんな時間ですね!

すみません今日はもう帰りますね」


見ると少し暗くなってきている。


「うん。もう帰ったほうがいいよ。

さあ、送っていくよ」


そう言ってゆとりちゃんを玄関に押しやる。

しかしゆとりちゃんはそこで止まるとおれの方を向く。


「いいえ、いいですよ。

私が勝手に来ただけの事ですし、そこまで気を使っていただく必要はありません」


「え、でも」


そういうわけにもいかないだろうと言い返そうとするが、ゆとりちゃんは早々と外に出て行ってしまった。


「長々と失礼いたしました!それではまたお邪魔させていただきますね」


そう言って走っていってしまった。

すっかりとその姿も小さくなっていく。


「……………………」


またいつもと同じようになってしまった。

いつもゆとりちゃんには適わない。

でもそろそろおれが率先出来るようにならなきゃいけないだろうと思うんだけど。

はあ…


「本当おれって…しょうがないよな…」


雨はさらに勢いを増している。




辺りは霧に包まれている。

ここはどこだろう。

何故おれはこんなところにいるんだろう。


気づくとおれは走っていた。

視界も悪く走りにくい地形。

しかし気にせず走っている。

何故こんなにも焦っているのだろうか、分からない。


何かを求めてひたすら足を前へ前へ進めている。

やがて何かから抜け、目の前に飛び込んでくる景色。

目前には立派な大きな扉。


おれはここを目指して走っていたのか。

ここはそう…村長の屋敷。


だがそこでさらに霧は濃くなり、視界は真っ白になった。

意識が遠ざかっていく。

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