一章 ルート分岐まで

その後、おれは一度自分の着物に着替えるため自宅に帰り新しい着物に着替える。

一度濡らしてしまった万里の着物は、新たな洗い物となったのだ。

それを洗うのはゆとりちゃんなのだから、結果的に彼女の仕事を増やしてしまったのだった。


「事故とはいえ悪い事をしてしまったな」


ゆとりちゃんは嫌そうな顔をする事もなく、乾いたら届けてくれるとさえ言ってくれた。


「いつも迷惑掛けっぱなしなのにどうしてこんなによくしてくれるんだろう」


ゆとりちゃん、彼女は万里に対しては結構きついけど根はやさしいいい子だ。

特に食事に関してはすごく助かっている。

彼女が作ってくれなければおれは今頃飢え死にしていたに違いない。

おれの作ったものは茶でさえまずいんだ…。

…………………………。

家にいると真紅との事を思い出してしまってだめだ。

外に出てどこに行くともなしに歩き回る。


村は今日も静かに時を刻む。

ふと目の前を何かが横切った。

それは見たか見ないかもよく分からないほどの変化だったが、何か引っかかるものがあった。

それを確かめよう。

急いでそれがいったとおぼしき方に走る。

道が開けたところにいた。

あれは…遠目にもはっきり分かる白髪。

そして仮面で顔の上半分を隠した男…。

そいつはもう目の前から消えていた。

おれは急いで後を追う。

なぜ………あいつがここにいるんだ。

しかし…見失ってしまった。

意識を切り替える。

今日こそは真紅と会わなければいけない。

行くべき場所はそう…。


そこは神社へと続く石段だ。

真紅はここに連れて行かれたんだ。

石段を登りながら色々考える。

簡単に会えるんなら苦労しない…。

まるで幽閉されているように頑丈な門で閉ざされた社。

勿論何度も行ったがその度に門前で追い返された。

屈強な護衛の存在がおれと真紅を遠ざける。

そんなことを繰り返していたもんだから、おれはすっかり村長に目をつけられてしまった。

石段は長い。

社にたどり着くにはどれだけの時間を要するのか。

上っていくうちに霧が出てきた、段々と深くなっていき周りを確認する事が困難になってきた。

そのときおれを呼ぶ声が聞こえた。


「暁…」


これは…真紅なのか。


「真紅!?」


どこからこの声がするのだろう。

周りを見回す。

しかし視界は霧で白に埋め尽くされている。

ぼんやりと青い着物の色が浮かぶ、あれは真紅の着物。

真紅の姿は段々と遠のいていく。

行くな行かないでくれ。


「真紅!待ってくれ!」


急いで追いかける。

どこに行ったのか真紅の姿はどこにもない。

やっと会えたと思ったのに!

そのとき体が大きく傾いた。

浮遊感。

激しい衝撃が体を襲い、目の前が真っ暗になる。



瞼越しに届く光。

近くには人の気配がする。


「ん………」


「あ、やっと起きた。おはよ、暁」


真紅がせかせかと動きながら呼びかけてくる。


「ああ…………もう朝か、眠い」


「駄目だよ、もう起きなきゃ。ほらご飯もできてるし、食べよ?」


そう言われると朝餉あさげがほのかに香り空腹を感じる。


「…いつもすまないな」


「あら。今日はやけに素直じゃないの」


そう言って笑う。

真紅の作ったご飯。

毎日食べているはずなのにとても久しぶりに食べた気がする。


「おいしい?」


「ん…わざわざ聞くなよ、そんなの決まってるだろ」


「へえ、じゃあどう決まっているのかな?」


「…うるさいなあ」


突然持っていたはずの茶碗がなくなった。


「はっきり言わない人には、食べさせてあげないんだから」


そして満面の笑み。

しかしその裏に潜む邪悪な気配までは隠せていない。

こういうときはこれ以上悪ふざけはなしだ。


「ごめん、うまいよ」


「ふふ、ありがとう」


いつもどおりのやり取りだ。



瞼越しに届く光。

目を開ける。

ほんのりと灯篭越しの灯火が薄暗く部屋を照らす。

襖越しに人影が写る。

そして話しかけてきた。


「気が付いたのか?」


「真紅…ここは一体…」


「何を言っているの…私は真霧よ」


襖が開きその人が入ってきた。

わずかな光量がその姿を現す。

腰まで伸びた長髪。

神々しい顔立ちに額に走る赤い文様。

美しい……。

しばらく見惚れてしまった。


「…君は?」


「私は真霧。この神社の巫女よ」


「貴方は…暁ね」


何故この子はおれの名前を知っているんだろう。

そうだ、どうしてこんなところに居るんだ。


「おれは…霧が真っ白で…急に目の前が真っ暗になって…」


「護衛が見つけなければ大変な事になってたところよ」


「君が助けてくれたのか?」


「まあ、結果的にはそうなるわね」


ずいぶんと冷めた言い方をする子だ。

嫌な感じだ。


「真紅はどこにいるんだ?」


「………会わせないわ」


「え…」


「だってそういう決まり事なんだもの。

破ったらどんな罰が下るか知らないわよ。

私は貴方を助けたのよ。

感謝して欲しいくらいだわ。

さあ、はやく帰りなさい」


なんて言い方をするんだ…。


「そんな言い方しなくてもいいじゃないか…。

そんなことは分かっている…分かりきっている!」


「じゃあどうして来ているの?」


「しょうがないじゃないか、会いたくて会いたくてしょうがないんだよ!

いきなり引き離されたおれの気持ちが君に分かるのか!?」


今までたまりに溜まっていた気持ちがはじけた。

その憤りをすべて真霧に浴びせかける。

寂しさに身を焦がし何度この場所を目指しただろう。

そして何度諦め踵を返した事か。

こうして離れているうちにも段々と真紅の事が分からなくなっていくんだ。

真紅と繋がっている事ができなくなっていく。

それがどんなに辛い事か…。


「それが君に分かるのかよ…」


「分かるわ」


「え……」


「だって…私には真紅しかいないんだもの…」


真霧の顔は深く沈んでいる。

様々な感情が交じり合った複雑な表情だ。

何を考えているのだろう。


「君は一体…」


「真霧様」


そのとき男の声が部屋に響いた。


「何の騒ぎですか。

その小僧、目が覚めたのでしたらもう追い出すべきと思いますが」


「ええ…そうね。

連れて行きなさい」


突然口調が硬くなる真霧。

先程までの感情を感じない、まるで人形のような少女。

美しいがゆえに、その無機質さにぞっとした。


「もう立てるだろう。

さっさと出て行ってくれ」


「……」


立ち上がる。

体の節々が軽く痛むが、歩けないほどではない。

真霧はおれに背を向け、まっすぐ一点を見つめたまま無感情に佇んでいる。

何も言わずに部屋から出る。


「行くぞ。さっさとしろ」


部屋の前で待っていたのは屈強な男だった。

こいつが護衛。

この神殿を固く守っている男だ。

この護衛に何度追い返されたことか…。


「真紅に会わせろ」


「…」


男に拘束され無理やり扉へ連れて行かれる。

くそ…!

せっかくここまで来たのに…。

結局真紅の事は分からずじまいか…。


「真霧様に感謝するんだな」


突然話しかけてくる男。

一体なんだ?


「倒れていた貴様をあの部屋で休めたのは、真霧様の意向なのだ」


それだけを言って男は黙り込む。

驚いた。

真霧がおれを介抱してくれたのか。

ではどうしてあんな態度を取ったのだろう。


「次は無事ではすまんぞ…」


「うわっ」


男に扉の外へ投げ出される。

地面と衝突し一瞬息が詰まった。


「く…」


なす術もなく目の前で重い扉は閉じた。



夕日が湖を赤く染めている。

きれいだけれどどこか禍々しい色。

落葉の季節。紅葉した草木は鮮やかな紅を這わせ、湖に深い紅を落とす。


「きれいだな………」


こんな風景の中、昔約束事をしたよね、真紅。

あの時もこの風景のように夕日が湖を照らして紅に染まっていた。

真紅と二人湖を眺めていた。

そして唐突に切り出す。


「真紅。おれこの村を出ようと思ってるんだ」


「ええ」


「だから真紅。一緒に行こう。

村を出て他の場所で一緒に暮らそう。

おれ真紅と一緒だったらどこへだって行ける」


「暁………暁だったらそう言ってくれると思ってた」


気持ちは一緒だった。

だっておれ達は双子なんだから。


「行きましょう、私も暁と一緒だったらどこへでも行けるわ」


そして夕日で真っ赤に染まった顔で微笑んだ。

赤いのは夕日のせいなのか、紅潮のせいなのか。


「なあに、暁。顔真っ赤、もしかして照れてるの?」


「それは真紅の方だろ」


「え………あ、夕日のせいかあ!」


「きれいねえ…」


「ん…………そうだな」


二人手を繋いで日が沈むまで眺めていた。

あのときみたいな黄昏だ。

そのときおれは思ってしまった。

この赤く染まる湖が何かに類似していることに…。

それは…まるで血の赤…。

いやだ………なんでそんな風に思うんだ。



夜になり外は真っ暗だ。

ふと外に霧が漂い始めた。

開けた戸から入って来る濃い霧。

そっと閉めて遮断する。


「こんなに濃い霧…初めてだな…」


ふと眠気に襲われる。


「おかしいな、いつもはこんな刻に眠くはならないのに…」


だがこの睡魔に勝てそうにはなかった。

早めに床に着くことにする。

眠りはすぐにやってきた。



もうすぐで全ての準備は整う。

真紅と共にこの村を出る。

だが唐突に俺達は切り離された。


「真紅。

お前にはこれから神社で住み込みをしてもらう。

さあ来るんだ」


急な事だった。

何の知らせもなかった。

真紅は大人たちに手を引かれ、連れて行かれる。


「真紅!!」


「暁、大丈夫よ。私は必ず戻ってくるから、だから安心して待ってて」


「いやだ!行くな!行かないでくれ!!」


大人たちに取り押さえられて、身動きが取れずに…。

遠ざかるその背中をただ見つめるしかなかった。

冬の事だった。

寒さをしのいで二人でより添っていた。

俺は真紅さえいればそれでよかったんだ。

あいつらはおれの唯一の家族までも奪っていく。

心に穴が開いたように、冬の風が体を冷やす。

真紅…。

君は無事なのか?

離れていると君を段々を感じられなくなってしまう。

分からなくなってしまうんだ。

すぐに会いたいよ。

真紅…。

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