一章 真霧ルート 紅の花嫁

室内に入ったとたん、むわっと生臭い異臭が鼻を突いた。

真っ赤に染まった室内。

血の跡が生々しい。


だがもう臆しない、ありのままを受け入れる。

そのとき視界に少女の姿が飛び込んだ。

明るい色の着物を纏った小柄な少女。


「ゆとりちゃん!」


近づく。

柱に寄りかかり眠るようにしていた少女。


その胸が微かに上下に動いているのを確認するとほっと息をつく。

ぱっと見たところ、外傷は見当たらないようだ。

深く安堵する。


「よかったゆとりちゃん…無事で」


するとゆとりちゃんの瞼が微かに動く。

そして身じろぎをして呻くと、眠気眼の目でこちらを見る。


「…あ……暁さん…どうして……」


「ゆとりちゃん!よかった気が付いて…」


ゆとりちゃんには応える気力がないようだ。

ふらふらと力なく腕を上げる。

一体どうしたのだろう。


「暁さん…お願い…真紅さんを助けてあげて…。

だってこのままじゃあんまりですよ…真紅さんが…かわいそうです…」


ゆとりちゃんの言っている事が分からない。

指差す方を見る。

それはこの屋敷の奥へと続く襖。


「ゆとりちゃん…そこに真紅がいるの?」


「お願いです…早く行ってあげてください…」


ゆとりちゃんのあまりにも必死な様子に気持ちが焦り出す。


「分かった…行くよ。だからもう安心して」


「………」


ゆとりちゃんは安堵の表情を浮かべて再び眠りに就いた。

それを見届けおれは立ち上がる。

そして襖を開け放った。



天井の高い玄関。

真っ赤に染まった室内。

そしてその中央に佇むのは蒼い着物の漆黒の髪の少女。


…真紅。


しかしそこには、おれより先に先客がいた。

あれは…そう、万里がいた。


そして万里と真紅が向かい合っていた。

そして万里の手に握られているのは小刀。

それが真紅に向かっていくんだ。


ああ、やめろ!その人に手を出すな!


とっさに走り出し、二人の間に割入っていた。

そして…小刀は…。

おれ諸共、真紅を貫いていたんだ。


背後から息を飲む音がした。

だがおれは一心に前を見つめる。

目の前には真紅の顔があった。


「…………暁…」


「…真紅………」


おれ達は互いに顔を見合わせる。

口の中が錆の匂いで満ちていて嫌な感じだった。

だけど同様に真紅の口からも紅い雫が滴っていた。


はは、まるでおれたちはそっくりだね。

おかしいなあ。


すると真紅の顔も笑いに弾ける。

いつものように声を上げて笑うおれ達。


「はは…あはははは!!!!」


「くす…あはははは!!!!」


ああ、なんて気持ちいいんだろう。

離れていた月日なんて関係ないように、まるでおれ達はいつも通りの調子だ。


どうしてこれほどの障害にむず痒く距離を置いていたんだろう。

まるでおれ達には関係なんてなかったのに。


「はは…真紅、なんだいその顔は。

まるで紅を引いているようだよ」


「ふふ…暁こそ、それこそ名前にぴったりな顔よ。

まるで女の子みたい」


真紅もまるでおかしくて堪らないと言ったように笑う。

だけどその顔は少し辛そうだ。

小刀が今だおれたちを貫いているからかな。


じゃあおれが抜くよ。

痛くないようにそっと抜くから。


「真紅、少しの間。ほんの少し我慢してね。ごめんよ」


「うん…大丈夫よ」


そして後ろ手に刀を掴みゆっくり、真紅の負担にならないように引き抜いていく。

少しずつ、少しずつ。


体内を異物が通過していく感触。

その度に口内に錆の味が広がった。

真紅は目を閉じている。

そうして、やっと時間をかけて抜けた!


ああ、ごめん真紅。

辛かっただろう。

もう大丈夫だよ。


「真紅、もう抜けたよ。辛かったね」


「暁…あかつきぃ…!!!!」


真紅はおれにがむしゃらに抱きついてくるとその胸で泣いた。

ずっと辛かったんだね。

それを今まで分けて上げられなくてごめん。


そうしていつ以来だろう、おれはまるで子供のような真紅の背を優しく撫でてあやした。


「げほっ…ごほっ………!」


「真紅、大丈夫か?」


「ええ…大丈夫よ。でも、もう休みたいかな。暁…」


そう言う真紅の様子はとても辛そうだ。


「そうだね、もう休もう真紅」


そして真紅は眠るように段々と静かになっていく。


「…暁……」


背後から声を掛けられる。

万里が呆然と立っていた。

かたかたと全身を小刻みに震わせおれたちを見ている。

そして力が抜けたように膝を着く。


「暁…すまない…俺は…」


「何言ってんだよ万里。お前のせいなはずないだろ」


そう言うと万里は涙を溜めた目でおれを見返す。

お前にも色々気を使わせてしまったようだな。

だってお前がおれの代わりにしてくれようとしたんだろ。

でももう大丈夫だ。


「万里、今まで色々ありがとう。

もうお前が気に病むことは何もないよ」


おれは真紅を抱える。

こんなに軽かったっけ、真紅。


「それじゃあ、万里。おれ達はそろそろ行くな」


最後にそう告げる。

真紅もその意を含めてか微かに笑っていた。

決別のとき…

後はもう万里の嗚咽しか聞こえなかった。



屋敷から出ると満天の星空が湖を照らしていた。

いや、あれは星ではない…。

今まで幾人と捧げられてきた生贄たちの魂。


湖から昇ってきて星のように輝いている。

それが湖に映りとても煌びやかだった。

おれ達もあれらと一緒になるのだろうか。


「真紅…真紅、聞いてるかい。

これでやっとおれ達一つになれるんだ…。

だからもう…辛くないよ」


「ゆっくりおやすみ」


これほどまでに穏やかな真紅の顔は見た事がない。

真紅を抱え湖に向かう。

徐々に浸かる湖の水。

それは着物に吸い込み、髪を濡らし、やがておれと真紅を包んでいく。


水中に漂い、視界がゆらゆらと揺れる。

そして底へ底へと沈んでいくごとに、先程までぐったりとしていた真紅がいつものように綺麗に微笑む。

おれも微笑み返す。


もうこれで辛い事は何もない。

おれ達は一つになる。

だっておれ達は双子。

もともと一人の人間。


そのとき頭上を通過する大きな影を見た。

それは何百年もの昔からこの湖に住まい、人々を脅かしてきた主。


あしびき様…。


ぎゅっと真紅を抱き寄せつぶやく。


「今宵の花嫁はお前にはやらないよ」

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