二章

二章 ゆとり編 おはようございます暁さん

その日は朝からひどい雨でした。

こんな日に好んで外に出ようなんて人はあまり居ないと思いますが、そのあまり居ない人の一人が私でした。

暁さんというなんと形容したらいいか一言では収まらないんですが。

そうですね、当てはまる言葉は”ほっとけない”でしょうか。

とにかくそのほっとけない暁さんの家へと私は向かっていました。

私の名前はゆとり。

温泉宿の家に生まれたこともあり、すっかり人に世話を焼くのが癖になってしまった性格。

暁さんは特に世話の焼き甲斐がある人。

私よりずっと年上なのにいつもぼうっとした、危なっかしい人です。

だから今日も私はこうして暁さんの家へと世話を焼きに向かいます。



「暁さーん、起きてますかー?」


返事はありません。暁さんはとても朝に弱い人なんです。

では上がって朝食の用意をしましょう。

この家の台所はすっかりと網羅しています。

こうしてここに来るのは初めてではないですから。

真紅さんがまだ居た頃。

ここで今している私の仕事はいつも彼女がしていました。

真紅さんは暁さんの双子のお姉さん。

性格は暁さんとは全然似ていませんでした。

しっかりしていて、勝気で、よく笑う人でした。

それにとても綺麗で…私にもとても優しかった…。


「…あれ、ゆとりちゃん?」


「あ、暁さん。おはようございます」


「勝手に上がってすみません。もうすこしでご飯できますよ」


「ありがとう…。こんな雨の中来てくれたの?」


「ええ。このくらいの雨なんて事ないですよ!」


「ゆとりちゃんは図太いな…」


「ず…ずぶと!?」


気にしてはいけません。

こういう人の気持ちを汲み取れないのも暁さんなのです…。

でも今のはちょっとひどいのではないですか……。


「…ごめん。気にした?」


「思いっきりしました!」


ここは素直に怒っておくのです。

あの頃は真紅さんを中心に笑いあっていた。

真紅さんが居なくなってからの暁さんの落ち込みようはそれは見ていられないものだった。

でも最近は私達だけでも笑ってくれるようになった。


「できましたよ。冷めないうちにどうぞ」


「………」


しかし暁さんは押し黙ってじっと床を見つめている。

どうしよう…また不要なお節介でしたでしょうか…。


「どうしました暁さん。ひょっとして…迷惑でした?」


「いや、急に黙ってごめん…ゆとりちゃん」


「………?」


「その…いつも…ありがとう」


目をそらして言います。

暁さんは照れるといつもそういうしぐさをするのです。

そして私の頭を撫でます。


「いえ!このくらい朝飯前ですよ」


子供扱いされているようで多少の怒りを覚えるますが、ここは耐えるのです。

暁さんは鈍いのだからしかたがありません。


「確かにそのままの意味だな…」


「ほんとだ。あはは」


内心の動揺を押し隠していつも以上に陽気になってしまいました。


「さあ、食べようゆとりちゃん」


「はい!」


「いただきまーす!!」



帰り道。

相変わらず雨はやむ気配はありません。

むしろその勢いは増すばかりでした。

暁さんは送っていくといってくれましたが断りました。

これは私が勝手にやっている事ですから、暁さんの手を煩わしてはいけないのです。

家から持ってきていた愛用のおぼんを傘代わりに雨の中を走ります。

暁さんのところで随分と長居してしまいました。

家に着くと兄が待っていました。


「ゆとり、また暁のところに行っていたのか?あんまり世話ばっか焼いてたんじゃあいつも自立できなくなるぞ」


「もう!いいじゃないの!暁さんだってそれで助かってるんだから悪い事じゃないでしょ」


「はあ…」


「これじゃお前を暁に任すってよりも、お前に暁を任させてくれって言う事になっちまうな」


呆れたように話す兄。


「な…何の話をしているのですか!」


この人は事あるごとにそういう事ばかり言うのです。

本当にやめてほしいです。


「おい、そんなことよりもうすぐ宿を開かなきゃいけねえ。早く準備しろ」


「分かってます!お兄ちゃんこそ余計な仕事増やさないでよね」


「言うようになったじゃねえかよ…」



いつもどおりに仕事をこなします。

いつもどおりなまばらなお客さん。

そしていつもどおりに元気に挨拶していきます。

これからはどんどん寒くなるので来客の数も増えていくでしょう。

一仕事終わりました。

宿を閉め。後は後片付けです。


「今日もこれでおしまいです」


「お疲れさん。よく働いたなゆとり」


ぽんぽんと頭に置いてくる大きな手。

いつも通りのやらしいにやにや笑いでねぎらってくる兄です。


「どこかの誰かさんはいつも通り何もしてなかったようだけどね」


「何言ってんだ。俺は若頭としての仕事をちゃんとやってるぞ」


いけしゃあしゃあとよくもまあ言えたものです。


「ふーん。遊び歩いてるのが若頭の仕事なんですね」


「まったく。お前も誰かさんに似てきて随分口うるさくなったもんだ…」


「………」


とたんに真紅さんのことを思い出します。

さびしい気持ちと懐かしい気持ちが混ぜこぜになった感じ…。

自然に気持ちが沈みました。


「すまん」


兄が申し訳なさそうに謝ります。

悪気があって言ったわけではないでしょう。

ただ、真紅さんの事を考えると胸が締め付けられます。


「……会いたいです…」


つい出てしまった言葉。

言っても仕方がないとは分かっています。

けど…。

頭に置かれた大きな手。

兄がやさしく頭を撫でてくれました。

少しだけ涙がこぼれましたが、落ち着きました。

もう周囲はすっかり真っ暗になり、就寝の時間が来ました。

私達もそれぞれの寝屋へと向います。


「じゃあ、ゆとりも早く寝るんだぞ」


「お兄ちゃんも、たまには自分から起きてよね」


「ああ、善処する」


なんて守るつもりもない約束をする兄です。



兄には止められましたが明日も暁さんのところに行くつもりです。

寝屋へと向かう途中、ふと視線を感じました。


「え…嘘」


遠目にも分かるその漆黒の長髪は雨に濡れ、光沢を際立たせています。


「真紅さん…なの?」


その人はじいっとこちらを見つめてきています。

その視線は真っ直ぐ逸れることなくずっと私を射抜いています。

その暗い眸に射られるうちに背筋がぞっとしてきました。

私だってずっと会いたかった。

私にとっても真紅さんはとても大事な人。

しかし体がいう事を聞きません。

真紅さんなのに何かが違う、この違和感は一体…何…。

すると真紅さんは突然くるりと反対側を向くと歩いていってしまいました。

とたん私の体は動くようになりました。


「待って…待ってください!真紅さん!」


追いかけます。雨に濡れても気になりません。

だって真紅さんがそこに居るのですから。

真紅さんはまるで影のように音もなく歩いていきます。

雨が降っているというのにまったく足並みも崩れません。


「真紅さん!!」


湖の近くまで来たところで真紅さんは止まりました。

辺りはざあっという雨の音が支配し、遠くでは水車小屋のトントンいう音が微かに聞こえてきます。


「真紅さん…戻ってきてくれたんですね」


「………」


しかし真紅さんは何も答えてくれません。


「真紅さん、どうしたんですか?さあ、早く家に戻りましょうよ。今夜はうちに来てください。冷えた体を温泉で暖めましょう」


「………ん」


「どうしたんですか?」


「………ちゃん…………た」


突然目の前を霧が覆い隠します。


「え…?」


今まで出ていなかったのになぜ急に…。

すると今度は体が思い通りに動かなくなりました。

景色がぐらぐらと揺れています。


「…ゆとりちゃんが来なければ…私もこんなことするつもりはなかった…」


意識が遠くなっていきます。

何を言ってるんですか真紅さん…どういうことなんですか…。

しかし段々と私の意識は暗闇へと落ちていきました。

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