余談 霧の中 4

八王子の小屋の焼失から数日が経った。

当然、暁もそのことを知ることになる。

ゆとりに負荷をかけていたのだと悟り、罪悪感に襲われた。

暁も性根が善人なため人の痛みに敏感である。


「おれが…ゆとりにそうさせたんだ…」


そしてそれ以上に心の支えであった八王子の痕跡が消えたことに喪失感を覚えた。

ゆとりの裏切りともとれる行動にも心が抉られる。

彼女の行動は想像に容易く逆効果であった。

暁はもう誰も信じられなくなっていた。



「暁さん…本当にごめんなさい。

お願いだから部屋から出てきてください…」


戸越しに声をかけるゆとり。

手には暁のために用意した食事を持っている。

暁はここ数日まともに食事をとっていない。

そろそろ何か口にしてほしかった。

しかし一切の反応がない。

耳を澄ますとぶつぶつとつぶやきが聞こえてくる。

最近の暁は部屋に篭っては外からの呼びかけに一切反応しない。

自分の殻に閉じこもって何かつぶやき続けている。

暁の変わり果てた姿を見るのが辛くて、ゆとりはそれ以上踏み込むことができなかった。

そもそも自分が悪いのだ。

悲しみとも苦痛ともとれる様々な感情が混ざり合った複雑な表情を浮かべる。

ゆとりはそっと戸の前から離れた。



暁はふさぎ込んでいた。

何もやる気が起こらない。

部屋に篭る。

それだけが唯一の自己表現。

思い出に浸る。

真紅との思い出の詰まったこの家にいるという事実。

それだけが救い。

きっと、満たされているのだ。


頰はこけ、肌は張りがなく、唇は渇きひび割れている。

体はげっそりと痩せ、骨と皮のみとなり、まるで老人のようだ。

そんな病的な姿をしてさえ、目だけがぎょろりと光を宿し一点を見つめる。


「真紅真紅真紅真紅真紅真紅真紅真紅…」


愛しい人の名前をぶつぶつと呟き続ける。

会いたい。

会いたい。

会いたい。

それだけが願い。


気づくと目の前に自分とは別の足が見えた。

土気色をして、ところどころ蛆が湧いている。

酷い匂いだ。

死の匂いがする。

顔を上げるとゆらりと佇む人の姿。

長い髪を垂らし、ゆったりとした着物を纏い。

暁を冷たく見下ろしている。

暗い屋内であっても目だけがギラギラと光を発する。


一瞬真紅を連想する。

しかしそれは真紅ではない。

目の前に現れたのは少女。

色素の薄い神秘的な姿。

髪も肌も白い、まるで人ではないような。

会ったことはないが知っていた。

思い出す。

村長の孫。

神社の巫女。

晒し首の少女。


体は腐りながらも、その顔はなお美しい。

形のいい口が音を紡ぎ、暁に語りかける。


「双子の片割れがどうしているかと思えば、随分と落ちぶれてしまったものだ…」


音は涼しげ、しかし感情がない。

乱暴な物言いである。

だが何故か暁には心地よかった。

知らず涙が頬を濡らす。

きっと彼女と近いところまで暁は来ている。


「これは私からの選別だ。どうするかは自分で決めろ」


それだけ言い残し少女の姿は消える。

少女のいた場所の床にきらりと光るものがあった。

抜身の小刀が落ちている。

その輝く美しい刀身に吸いせられるように目が釘付けになった。

まるで何人もの血を浴びてきたように、怪しく輝く刃。

微かに血の匂いが漂う。


涎が溢れた。


そういえばずいぶん長い事、何も口にしていない。

もう限界だ。

口内に入った途端、広がる強い香り。

少ししょっぱい味。

粘り気のある感触。


浴びる様に飲みたくてしょうがない…。






外に出て気分を変えようとしていたゆとり。

一人でいると悪い考えばかりに囚われる。

ゆとりも暁と同様に暗く塞ぎ込んでいく。


「おーい!」


遠くから男の声がした。

それは万里だった。

火事以来ゆとりの精神に不安を覚えていた万里。

以前よりも頻繁にゆとりの元へと通うようになった。

余裕を持った態度で悠々と近づいてくる。

だがそれもゆとりを安心させるための考えであった。


万里の姿を認め安心するゆとり。

やはりいざという時に頼れるのは兄である。

気遣ってくれているという事には気づいているが、それでも有難かった。

今は誰かに甘えたい。


「ゆとりぃ」

「お兄ちゃん!」


躊躇なく万里の胸元に飛び込むゆとり。

いつものゆとりなら考えられない行動に万里は驚いた。


「な…なんだ!?ゆとりが甘えてくるなんてありえねぇ…

まさか、ゆとりの偽物か!」


こんな時でもおどけて見せる万里である。

妹に甘えられるなどめったになかったため、照れ隠しでもあるのだ。


「…助けて」


しかし万里のふざけに応じる余裕もないほどゆとりは追い詰められていた。

万里の顔から笑顔が消える。

やはり二人を一緒にするべきではなかった。


「もう…限界か?」


首を上下に振るゆとり。

万里の顔が険しくなる。

もう、見ていられない。

ゆとりを連れ帰る覚悟をもった。

暁が大事だ。

だが結局は自分の妹が一番大事である。


「ゆとり…」


万里はゆとりに話を持ちかけようとする。

しかし様子がおかしい。

口を押さえ気持ち悪そうにしている。


「ど…どうした?」


まさか…。

ゆとりの顔を見つめる。

落ち着いたのかゆとりもこちらに目を向ける。

辛そうに眉を寄せながらも、その口には笑みを浮かべる。

頷く。


「はい、きっと…できました」


子を身篭ったのだ。


「いや…だが…。

そういったことはまだ早い。

まだ子供じゃないか!」


明らかにうろたえる万里である。

じとっとあきれ顔で万里を見返すゆとり。

はあっと大きくため息を漏らす。


「私たちは夫婦なんですから。

そのくらいの事、してます…」


確かにそうである。

年など関係なく二人は夫婦。

何もおかしいことはないのだ。

万里からすればようは親心のようなものである。

複雑な心境なのだ。


しかし万里は晴れやかな気分になった。

これで暁もしっかりしてくれるだろう。


「あいつに知らせてやろうぜ!」


笑顔で小屋に向かう。

ゆとりも顔がゆるんでいた。

小屋の戸をあけ放つ。


すぐ異変に気付いた。


漂ってくる生臭い匂い。

むせ返る。

これは…血の匂い。

顔が青ざめる。

冷や汗が流れた。


嫌な予感がする。

ゆとりを見ると狼狽して可哀想なくらい震えている。

堪えきれずに涙を流している。


「お兄ちゃん…なんで…」

「ゆとり…お前はここにいろ」


万里はゆとりをその場にとどまらせ一人中の様子を見に行く。

小屋に足を踏み込むとさらに匂いは増す。

空気が死んでいる。

漂う死の気配。

人の気配がしないのだ。

暁はここにいるのだろうか。


「暁…何があったんだよ…」


匂いの大元と思われる部屋の前まで来た。

万里は躊躇なく戸を開け放つ。

部屋は…赤く染まっていた。

床いっぱいに広がる血の跡。

鮮血はつい先ほどまでここにいたことを示す。


「暁…お前なのか…?嘘だと言ってくれ!」


見れば血の跡は引きずるように移動していた。

後を追っていくと外へと続いていた。

万里は急いでその後を追いかける。

外へ出ると赤い道はまだ続く。

それは彼岸花だった。

赤い花が村の方向、湖のある方へと続いていく。

万里は察した。

走り出す。


「お兄ちゃん!」


ゆとりの悲痛な声が響くが構わず走る。

山を下る。

血は彼岸花となって万里を誘う。

嫌な胸騒ぎを必死に押しとどめてひたすら暁を求める。

やがて…湖にたどり着いた。

湖畔にたくさんの彼岸花が咲き乱れ、

湖水は赤く染まっていた。


「どうして!何故あいつまで奪っていくんだ!」


地面を叩きつけ、号泣する。

何故、何故。

暁ばかりを追い詰めるのか。

また…守れなかった。

激しく悔やむ。


ぽちゃん


水面の跳ねる音がした。

湖面にできた大きな波紋。

微かに何者かの姿があった気がした。

きっとそれはこの村に住む者ならだれもが知っている。

湖に住まう神。


「あしびき様…」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る