余談 霧の中 3

その後、かつてこけし職人の男が住んでいた小屋の様子を見に行った。

住む者のいなくなった小屋はすっかり朽ち果て荒れ放題だ。


この村はこけしを自身の分身として崇拝していた。

村に生まれた者には必ずこけし職人の作ったこけしが与えられる。

暁にも、ゆとりにも皆に等しく与えられていた。

そして真紅…。

彼女のこけしをずっと代わりに側に置いていた。

だがそれも真紅と共に消えてしまった。


真紅は一体どこに行ったのだろう。

暁は彼女の死を受け入れつつも心のどこかでは生きているのではないかとかすかな希望を持っていた。

こうして未練がましくかつてのこけし職人の小屋へ赴くのも断ち切れないためだろう。


八王子…。

この小屋で暮らしていた男。

暁の幼少の折、突然余所からやってきてこけしを作り続けていた。

亡き父の面影を重ねていたこともあった。

暁にとって八王子は自分と真紅を繋ぐ存在でもある。

八王子が彼女を連れていってしまったのかもしれない。

そんな妄想にとらわれ、彼らの面影をつい追ってしまう。


「すっかり朽ち果てていますね…」


ゆとりが呟く。

管理する者のいなくなった小屋は人の気配が一切ない。

野生動物に荒らされたのか中は崩れている。

その姿を見るほどに本当に八王子はいなくなったのだと痛感させられる。


「ゆとり…危ないから離れた方がいいよ」

「あ…はい」


暁の言葉にさっと小屋から離れるゆとり。

元気のなさそうな暁を心配げに見つめている。

ゆとりは暁と八王子の因縁を知らない。

だから何故そんなにもこけし職人に拘るのか不思議だった。

未練がましく、思い出に浸るような様子の暁の様子にもやもやした。

自分にも気を向けてほしい。

今暁と一緒にいるのは自分なのだから。


「行きましょう暁さん」


ゆとりが暁を促す。

暁はハッとしたようにゆとりに視線を戻す。

誰も居なくなったここに来たところでどうしようというのか。

しかし暁には過去の記憶だけが、なんとか生を繋ぐ癒しなのだ。

だが手を繋ぐ温もりを感じ、現実に戻された。


「…そうだね」


ここでできることももう何もない。



二人は湖の見える丘へと移動した。

日は傾き山に隠れようとしている。

夕日が赤く湖を照らし染めている。

暁とゆとりも同じように赤く染められていた。


この状況はあの時と同じだ。

あの時は真紅がこの夕日を背景に投げかけてくれた。

一緒に村を出ようと。


「村を出ましょう」


耳を疑った。

真紅が話しかけてきたのかと思った。

しかし言葉を発したのはゆとりだと気付く。


「一緒に行きましょう。

このままここにいたって何も良くなりません。

暁さんはずっと村から疎外されるだけ。

だったらどこか別の場所でやり直しましょう。

私、暁さんと一緒ならどこにでもついて行きます」


あの時と同じ事を言われたら。

どうしたって思い出してしまう。

だけど彼女ではない。

彼女はもう話しかけてくれない。

暁には…真紅の眠るこの土地を離れる事などできないのだ。


「ごめん…」


その一言だけで、ゆとりは察した。


「あ…ごめんなさい!」


咄嗟に頭を下げるゆとり。

ゆとりは本心では暁は受け入れてくれると信じていたのだ。

しかしそうではなかった。

今まで過ごした日々。

それは真紅のいなくなった隙間にゆとりが入り込んでいたに過ぎない。

暁の中には真紅しかいない。

それが証明された。


「私…思い上がっていましたね」


気を落とすゆとりの様子に暁は罪悪感に駆られる。

しかし否定することもできなかった。


ゆとりのせいではない。

しかし暁に捨てることなど到底できない。

気まずい空気のまま湖に落ちる夕日を見ていた。

日が山に隠れて、辺りは一気に暗くなる。




その夜、万里は妙な胸騒ぎに眼を覚ます。

なんだろうか。

暗い屋内。

日はすっかり落ち明日に備え皆早々に眠りについていた。

着物を身に纏いながら僅かな月明かりを頼りに急いで外に出た。

辺りを見渡す。

異変はすぐに分かった。

山の一部が赤く染まっていた。


「まさか…炎?」


燃えている。

すぐに火元を目指して駆け出す。

万里の様子に気づいたのか妻も外に出てきた。

しかし万里はすでに遠くまで走り姿が見えなくなっている。


「あ…あんた!どこに行くんだい!」


妻の声を遠くに聞きつつ、炎の元へ走った。

暗い山道は足元がおぼつかない。

記憶と月明かりを頼りに火元を目指して行った。

その場所に向かいながら万里は気づいた。


まさかこの先はあの小屋…。

しかし今は誰もいないはず。


息を切らして、擦り傷だらけとなり、やっとたどり着く。

真っ赤な視界。

ものすごい勢いの熱風。

ごうごうと炎は天高く上る。

そんな地獄絵図を背景に佇む小さな影があった。


「ゆとり…」


ゆとりは万里に気付き振り向く。

炎の明かりを背にし、その表情は読み取れない。


「暁さんが一緒には行けないって言ったんです。

私はこんなに想っているのに…

暁さんにはちっとも届かない」


万里は黙ってゆとりを見つめる。


「だから…だから。

暁さんを留まらせるものすべて消してしまえばいい。

何も心残りがないように…」


崩れ落ちるゆとり。

涙で地面を濡らす。


「私だけを見てよ…うぅ…」


その未練をすべて消してしまえばいい。

それがゆとりにできる方法でしかなかった。

どんなに残酷な事であっても。

暁を傷つける事であっても。

止められなかったのだ。

ゆとりの心の闇も深くなっていた。


万里は号泣するゆとりを抱きよせる。

燃え盛る炎が、崩れ落ちす建物の轟音が、声をかき消す。

それがせめてもの救い。

万里にも何が善で悪かなど判断はできない。

ゆとりの痛みを受け止めるくらいが精いっぱいなのだ。

もう手遅れだ。

ただ燃え落ちる小屋を眺めることしか出来なかった。

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