余談 霧の中 2
幼い夫婦の暮らす小さな小屋。
その小屋から少し山へ登ったところにその温泉はある。
温泉とはいっても源泉そのまま。
草木に覆われ自然のままの温泉である。
この場所は村人たちも知らない。
二人だけの秘密の場所であった。
草木をかき分け何とかくつろぐ場所を確保するゆとり。
暁に着物を脱ぎ湯に入るよう促す。
「さ!暁さんいい加減に観念してください」
「分かったって、ここまで来てやめるなんてさすがに言わないよ」
「いい覚悟です。では!脱いでください!」
目を輝かせさあさあと暁を急かすゆとり。
その目は暁をとらえて離さない。
「…いやね。いくら夫婦とは言ってもそうまじまじと見つめられると困るんだけど。ゆとり」
「あ!ごめんなさい。
では向こうを向いてますので脱いで湯に浸かっちゃってください」
ぱっと目をそらし後ろを向くゆとり。
その様子を見てやっと安心して着物を脱ぐ暁であった。
しかしゆとりはこっそりと暁の裸体を横目で盗み見していた。
やはりである。
以前よりも目に見えて痩せている。
あばらの骨も浮き出し、頬はこけている。
腕も年頃の少年とは思えない細さである。
兄と比べるものではないと分かっていても、万里との体格の違いに愕然とする。
ちゃぷっ
湯に浸かったらしく水音が響く。
ゆとりは着物の袖をたすき掛けにして、暁へと近づいた。
「お背中流しますよ」
手拭いで暁の背をこする。
堪っていた垢がぽろぽろとこぼれ落ちた。
暁は気持ちよさそうに目を閉じされるがままだ。
頭にも湯をかけ、洗ってあげた。
驚いたらしく暁は慌てて首を振る。
ぴしゃりと雫がゆとりにかかった。
「きゃ!もう…暁さんったら犬みたい」
「突然だったから驚いたよ…。
あとは自分でやるからさ、ゆとりも入りなよ」
暁の誘いに戸惑うゆとり。
今日は暁を湯に入れる事しか考えてなかったため、何も準備をしていなかった。
そもそも一緒に湯に入るということにまだ恥じらいがある。
「や…でも…。恥ずかしいです」
夫婦だというのに今更ではあるが、まじまじと裸を見られることにいまだ抵抗があった。
「何言ってるの。せっかく来たんだから入ろうよ。
ゆとりだって最近あまり体洗えてないだろ?」
暁としては特に下心があるわけではないらしく、平然と言ってのけるのだ。
内心やはり女として見られてないのだと気を落としつつも、快く暁の提案を受けることにした。
「そうですね。久しぶりに熱い湯に浸かりたいです」
ゆとりも着物を脱ぐ。
するりと着物が地面に落ちる。
細く痩せた、まだ少女の肢体。
薄地の白衣のみ身につけたまま湯に浸かった。
暁の隣に腰掛ける。
二人並んで長い息を吐いた。
このように寛いだ時間はいつ以来だろうか。
暁の顔にも頬がさし、穏やかな顔をしている。
その顔を見てゆとりはやっと落ち着くことができた。
暁はまだ大丈夫。そう信じることにする。
「ありがとう…ゆとり」
気持ちが解れてきたのだろうか、素直な言葉を口にしていた。
「え…なんですか暁さん。
突然そんなこと言われると照れますって」
「うん…いつもだったらこんなこと気恥ずかしくて言えないけど…でもゆとりには本当に感謝してるんだ」
湯に顔を隠すゆとり。
真っ赤な顔はのぼせて熱いせいではないだろう。
見ると暁の顔も真っ赤になっていた。
暁もゆとりを意識して照れているのだろうか…。
と思っていると暁の体がだらりと崩れ湯に沈む。
「え…!ちょ!暁さん!!」
急いで暁を湯から引き上げる。
ゆとりよりも背丈の大きな暁ではあったが、ゆとりの力でも引き上げられるほどに軽かった。
地面に寝かして近くにあった着物を手に取る。
それを仰いで風を送り暁の熱を冷まそうとした。
「暁さん!」
「うう…ちょっとのぼせちゃったかな…大丈夫だよ…」
「どこが大丈夫だって言うんですか!あまり心配かけないでください!」
しばらく仰いでいると真っ赤だった暁の顔からも紅が引いていった。
「ゆとり…」
「暁さん。具合はよさそうですか?」
「うん…お願いがあるんだ」
「なんですか?」
「膝枕してほしい」
暁から甘えてくるのは珍しい事だった。
ひと肌恋しくなっているのだろうか。
「分かりました」
すんなりと暁の要求にこたえる。
今は暁のいいようにしてあげよう。
暁の体に着物を被せてあげ、温泉の縁に腰掛け膝枕をする。
荒い息を繰り返していたがやがて落ち着く暁。
この人は時々とても子供のようになってしまうとゆとりは思った。
しかし甘えられるのは悪い気がしない。
しばらく黙っていた二人。
ぼそぼそと暁が話を切り出す。
「ゆとりのおかげでおれは生かされてきた。ゆとりがいなければとっくに死んでいた命なんだ。おれにはゆとりが必要だ」
「そんな…」
「だから…ありがとう。ゆとりがいてくれて本当に良かった」
「やめてください…照れますよ…」
暁は言いたい事だけ言うと黙ってしまう。
どうやら眠ってしまったらしい。
ゆとりは暁からの素直な感謝の言葉に喜ぶ半面、複雑な気持ちで満たされていた。
あの言い方では自身の死を予感しているような言葉だった。
ゆとりは暁の本心が分からないまま、心を燻らせていた。
どうしたものかと長い溜息を吐く。
だがどこまでも暁と共に、その覚悟だけは折れることがなかった。
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