終章 八王子編 誰そ彼

村を拝める崖の上より、まだ暗く姿が見えぬ村を見下ろす。

そのとき昔の出来事を思い出した。


私がまだこの村に訪れる前。

私は黄昏と会った事があった。

黄昏は昔の頃とまったく変わらぬ様子で私の元へと来た。


「よう、八王子。元気にしてたか?」


「黄昏…久方振りだな」


何故突然こやつが訪れてきたのか、私には皆目見当が付かなかった。

こやつは今までも連絡というと文を寄こす程度。

会うのは数年振りではなかろうか。

しかしそれはどうでもよかった。

久方ぶりの再開に私の心も躍っていたのだから。


「なんだそんなに驚いた顔して、まあだいぶ表情も出るようになったようだな。見違えたぞ」


「そういうお前こそ…。相も変わらずうるさい様子だ」


「お前…何年ぶりに会ったと思ってんだよ。もっと喜べよ!」


「まったく連絡も寄こさない奴に、今更会ったところでうれしいものか」


私はつい心とは逆のことを発してしまっていた。

そこは奴も同様。

先程までのような弾けた笑いを収め、落ち着いた声で言った。


「本当に久しぶりだ…。すまない。ずっと家を空けちまって、まあ俺も色々あってな。許してくれ」


まったくこやつはいつもは自分勝手な行動をするくせに…。

こうして気遣う心をしっかりと持っている。

だから憎めんのだ。


「そのような事情。私が知るはずないだろう?」


「なんだと…?」


「ふん……」


しかし、黄昏はというと溜まらなくなったのかとうとう声を上げて笑い出した。


「く…はははは!!八王子…お前…!随分と…人間らしくなったな」


私も笑みを浮かべる。

まるで昔に戻ったかのように、私達の間柄は変わらなかった。


「それで、なにか話があるのではないか?」


唐突に話題を振る。

その途端。黄昏の表情から笑いが消えた。


「なんだよお前…もう少し再開の喜びを分かち合おうと思わないのか?」


「ふん…先程からそのような落ち込んだ顔をしていれば、私でも何かあると気づく。一度鏡で顔を見てみるんだな」


「なんだ、お前には分かっちまうか……かなわねえな」


そして黙ってしまう。

話すことを躊躇しているのか、黄昏らしからぬ様子だ。

私はただ奴が口を開けるのを待っていた。


「俺さ…もうすぐ父ちゃんになるんだよ」


「それは…よかったな。おめでとう、黄昏」


唐突な言葉に驚いたものの別段不思議なことではない。

所帯を持てば当然子もできるだろう。

しかし、どうして黄昏は落ち込んだ様子なのだろうか。


「へへ、ありがとよ。お前に祝福されると変な感じだな」


相変わらずの減らず口を叩いていたが、黄昏の顔は微かに沈んでいた。

そして奴はぽつりぽつりと語りだしたのだ。


「なんかさ、これから幸せになるって言うのにこんな事言うのおかしいよな。だけどさ…お前だから頼めるんだよ。お前だからこれを伝えにきた」


嫌な感じがした。

このようなことが以前にもあった。


「………」


「もし俺に何かあったらお前に子供をまかせたいんだ。もし生まれた子供が息子だったらどうか成長を見届けてほしい。もし娘だったら、どうか惨劇が起こらぬよう見ていてほしい。道をはずさないように、お前が正してあげてほしいんだ」


そう一気に捲し立てた。

石榴と似たような言葉を吐く黄昏に恐怖する。


なんという事だろう。

これはあのときの再現だとでもいうのだろうか。

石榴の願いを今度は黄昏からも伝えられるとは…。

私が黙っているのを見てか、黄昏は今までの真剣な表情を和らげ笑った。


「いきなり何言ってんだって顔だな…当たり前だよな。俺だって自分で何言ってんだって思ってる。今のはまあ…ほんの冗談だ。忘れてくれ」


見れば黄昏の体は震えている。

そうか…黄昏も怖いのだ。


なぜこのようなことが分かってしまうのか。

石榴しかもっていなかった不思議な力。

それは黄昏も同様の事だったのだと今更に気付いた。

ずっと耐えていたのだ。

石榴の命が長くない事を知りつつも抗っていたのだ。


「承知した」


「………え?」


「その願い私にできようものならば叶えてやろう」


私の思わぬ言葉に、黄昏はただ口を開けて呆然としている。


「だが私からも条件がある」


「…なんだ?」


「死ぬな」


「………」


「それだけが私の願い。今度自分が死ぬような事を言おうものなら殴り飛ばしてやろう」


先の事が見えているにしても。

黄昏がそのように気を落とすのはらしくない。

己の死を認めるなど決して許さぬ。


「へ…そんなことできるもんならやってみな。お前みたいな貧相な野郎に俺がやられるわけないだろ」


そして豪快に笑う黄昏。

その笑顔には今までこびり付いていた不安が消し飛んだようだった。

だから私は安心した。


その日は早々に奴は帰っていった。

妻のある身、長く家を空けることなどできぬだろう。

だが、奴が出て行った後で降り始めた大降りの雨。

奴の村へは深い山道を通っていかねばいけぬ。

私は戦慄を覚えた。


その後私の元へ知らせが届いた。

そこには奴が帰りの道で土砂崩れに遭い、帰らぬ者となったと記されていた。

やはり運命は変えられるのか…。




こけし職人のいなくなったその村に私は赴いた。

村からの頼みでもあった。

なによりあいつの頼みを聞くためでもあった。


だが…。


私はその約束を守らなかった。

傍観者を決め込んだ。

この結果は私の望んだものでもある。

輪廻は断ち切らなければならない。


私は村に背を向け立ち去る

これからの村の行方に、私はもう必要ない。

その存在はやがて闇へと帰っていく。

私は語られてはならない存在なのだから。


朝日が湖を照らし紅に染めていた。

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