三章 万里編 霧


その日は昨日の激しい雨が上がり霧がたちこみ視界の悪い朝だった。

早朝ともいえる時間に珍しく目が覚め、まだ家に居るだろうゆとりを探していた。


「ゆとり。おい、どこにいるんだ」


家の中を歩き回る。

おかしいほどに静まり返った家。

先ほどからゆとりの事をずっと呼んでいるが全然姿を現さない。

おかしいとは思っていた。

目が覚めてこの家にはまるで人気がなかった。


「万里。朝っぱらから何を騒いでいる」


親父が現れた。

相変わらずの厳つい表情だ。


「ゆとりがいないんだよ。あんなことがあった後だからちょっと心配でよ」


それは儀式の事だ。

この数日俺になんとも言い知れない不安感を与えてきた出来事。

なにかよくないことが起こっているように感じて仕方がない。


「またあの双子の坊主のところに行ったのではないのか、いつものことではないか。そんなに騒ぎ立てる事ではないだろう」


この親父はいつだって俺たちのことには無関心なのだ。

俺はついかっとなってしまう。


「何だよその言い方は!親父はゆとりが心配じゃないのかよ。

何であんたはいつもそんな落ち着いてられるんだ」


視界が大きくぶれた。

体に衝撃が走り床に叩きつけられた。

殴られたことに気づく。


「なんだその口の利き方は。お前は少々落ち着きがなさ過ぎるぞ」


「く…」


親父を見上げ睨みつける。


「もちろん私とて今回の儀式は様子が違うように感じている。

だからといってゆとりと繋げるのは短絡的過ぎではないのか」


「親父は何も分かってない!そういうことじゃねえんだよ。

どうして心配してくれないんだ。

あのときだって親父は俺の気持ちをはなっからねじ伏せて、まるで俺のいう事を聞かなかった。

なんでそう無関心でいられるんだ…俺はあんたが分かんねえよ…」


どうしてこの時こうまで感情的になってしまったのか、だが親父は今度は怒鳴らずに言った。


「お前の言いたい事は分かっている。だが私も立場というものがある。

私にはお前たちのように感情のまま行動する事はできないのだ。

私とてゆとりのことは少し不安だ。

だからと言ってお前が一番にゆとりの安全を願ってやらなくてどうするのだ。

馬鹿者」


言われて気づく。

親父の言う通りじゃないか、まだ最悪の事態を想定するには早い。


「その通りだな。分かった。俺は村の中を聞いてまわるよ。

だが親父、村長の儀式のことについて親父は何も聞いてないのか?」


「くどい。儀式は秘密裏に行なわれるものだ。

そう簡単に人の耳に入ってはまずいだろう。

あと万里、お前はそう簡単にこの事を口にするのはやめろ、どこに人の耳があるとも分からん」


そう言って外に視線を送る親父。

まさか、聞いている奴がいたのか!?


「ふん。ただの鼠だ」


詰まらなそうに鼻を鳴らす。

俺には何の事かさっぱりだった。



案の定、暁の家にもゆとりは居なかった。

村の至る所を回った。

ゆとりの行きそうなところ、他も全て。

しかしゆとりは見つからない。

村人には俺の必死な様子に一緒になって探してくれる者も居た。

しかしそれに便乗して帰らぬ男衆を思って騒ぎ立てる者も増えだした。

村は騒然としだした。

だが俺には分かっていた。

ゆとりはここには居ない。

ゆとりはあの湖を挟んだ屋敷に居るはずだ。

なぜそう確信できたのかも根拠のない。

俺の思い込みに過ぎないのかもしれない。

だが俺はあそこに行かなければいけないんだ。

なによりも俺自身の決着をつけるために。

船を湖に押し入れる。

湖は濃い霧に包まれ先などまったく見えない。

まるで白い闇の中に居るかのように行く先はまったく分からない。

背中に俺を呼ぶいくつかの声が届く。

俺は村から隔離していくかのようにただひたすら真っ直ぐに船を進ませる。



今にして思えばあのときの俺は少し頭に血が上っていたのかもしれない。

こうして目の前の事実を目の当たりにしてやっと俺はあのときの真紅の言葉が理解できてきた。


「真紅…これがお前の望んだ方法だったのか…」


赤く染まった室内。

横たわる屍の累々。

そして以前と同じように変わらぬ美貌を、美しい黒髪を現しそこに立つ少女。

真紅は身を朱に染めていた。


「万里…ここであなたが来るなんてね」


妖艶な微笑みを浮かべ。

こんな中でさえその表情は昔のままで。

今更になって気づく。

そうか…俺はずっと前からお前のことが…。


「何でこんな事をしたかなんて野暮な事は聞かねえ。それよりゆとりはどうした」


「奥にいるわ。気を失っているけど、大丈夫よ、何もしてないもの」


だっと駆け出す。

真紅の横を通り過ぎ奥へと向かって走る。

ゆとりはそこに居た。

柱に縄で縛り付けられている。

俺は堪らずそばへ駆け寄る。


「ゆとり!!」


その胸元は微かに上下して確かに生きている事を示している。


「よかった…本当に無事でよかった…」


はーっと肩の力が抜けていく。

しかし安堵もすかさず俺はゆとりを縛る縄を解いていく。

いつまでもこのような場所に居させたくなかった。

その戒めだけでも取ってゆとりを自由にしてやりたかった。

そのときゆとりが「う…ん…」と呻いた。


「ゆとり!?」


その目が開かれ大きな目が俺を捕らえる。

まだぼんやりした様子だった。


「おにい…ちゃ…ん…」


「ゆとり!大丈夫か!どこも痛くないか!」


「だいじょう…ぶ…おにい…ちゃん…」


「どうした?」


「真紅さんを…せめないで…おねが…い…」


こいつは。

このような状況になってまだ人の心配をするなんて、本当にお前って奴は。


「分かってる。さあ、お前はもう疲れただろ。ゆっくり休め。後は俺が何とかするよ」


「ありがと…おにい…ちゃん…」


そしてゆとりは力尽きたように眠ってしまった。

縄を解いた後はゆとりを床に寝かす。

そして真紅のいる大広間に戻っていく。


「すばらしい兄妹愛ね」


真紅は笑っている。

その笑いにとうとう怒りが爆発した。


「どうしてゆとりにこんな事したんだ!!」


真紅の胸ぐらを掴み怒鳴る。

真紅の妖艶な笑みが目の前にある。

何を笑っている。

何がおかしいんだ。


「あなたは本当にすばらしい人ね。妹の不幸をわが身の事のように怒り。

前には私の事も本当に真剣に救おうとしてくれた。

そんな事そう簡単に出来ることじゃない。あなたは本当にすごいわ」


くすくすと、妖艶に笑いながらも真紅は俺を賛美するような事を言う。

一体なんなんだ。

真紅は何が言いたいんだ。

そんな残酷に笑いながらもどうして以前と変わらない物言いなんだ。

俺は戸惑い真紅から手を離す。


「ねえ。万里。暁はここにはいないのよね?」


そして次には真紅はまるで繋がらない事を言い出す。


「暁?何で今そんなことを聞くんだよ。

今はゆとりへの仕打ち、その理由を言うのが先だろう」


「そんなのは後でも説明できるもの。この確認が先にしたいの。

でもその様子じゃ暁は一緒に来なかったようね」


真紅は何もかも分かっているかのように言う。


「ああ、そうだよ。ここには俺一人で来た。真紅。

お前のしたことを見届けるためにな」


真紅は一層笑みを強くして、しかし眉は下げ困ったようななんとも複雑な表情をしている。


「万里は本当に気が荒いわね。

私のいう事なんてまるで聞く耳持たないようだわ」


「ああ。そのとおりだよ。

だがな…真紅。正直俺今すっげえ参ってるんだよ。

なあ、俺にも分かるように説明してくれよ。

頼むから。そうじゃないと俺お前の事恨んだままになっちまうよ」


俺は自分のうちの気持ちを吐き出す。


「しょうがないわね…」


そして真紅は俺に背を向け少し歩き、くるりと振り返り言った。


「それじゃあお馬鹿さんの万里にもよく分かるように説明するわね」


その笑いは無邪気で以前の真紅のものと変わらなかった。


「あの時。万里が私に死刑宣告をしたとき、私には全て分かったの。

こうするしかないって、そしてそれがこの屍の顛末。

私がこうして自らの手で罰を下すほかに方法はないって決めたの。

だから私は生贄となる事を受け入れそのときまで着々と策を進めていったのよ。

そしてそれが成就したとき私は勝った。こいつらに私は勝ったのよ」


真紅は頬を染めまるで自分の功績に酔っている様だった。

その様子はなんとも背筋の凍るものだった。


「でも私にも誤算があった。それがこの病魔の後」


そう言って着物の裾を捲し上げる。

そこには痛々しく、病魔に巣食われた後が広がっていた。

そんな…そんな事実はあんまりだ。


「私どちらにしろもう長くないのよ。

ゆとりちゃんの事はね、一方的な私の嫉妬。

私だってこの数年ずっと暁の傍に居たかったのよ。

でもゆとりちゃんはまるで私の代わりのように暁の傍にいた。

それがどうしても我慢できなかった…私本当に醜いわね」


真紅の告白はなんとも胸に痛いものだった。

真紅。俺そんな事でお前の事、醜いなんて思わねえよ。

俺だって同じ気持ちを抱いていたんだ。

暁に対して。だったら俺の方がよっぽど醜くないか。


「ねえ万里。ここまで聞いたからには私の頼み聞いてくれないかしら。

私あなただからお願いしたいと思ったの」


「…なんだ?」


「私を殺して」


ああ。

なんて事だ。

ここまで来てこの娘までもが俺の気持ちを裏切るなんて。


「もう決めた事なのよ。

ゆとりちゃんがうわごとを繰り返すのを聞いていてそれが一番なんじゃないかって思ったのよ、私は暁の思い出の中に永遠に生きる。

だから私はここで消えなくちゃいけない」


だから分かるこれは逃れられないことだと。


「お前はどこまでも残酷だな。

もう決まってる事なんだろ。

俺に拒否権はないんだろ」


無気力に言う。

もう俺に抗うすべはなかった。

…違う。そんなことはない。

最後に一度だけでも抗ってみてもいいじゃねえか。


「お前まで俺をこんな役目にしようというんだな!どうしてお前といい和といい。

俺はお前に死んでほしい訳じゃないのに」


体が震え膝が落ちる。

それが最後の抵抗。

そして気持ちの暴露だった。

真紅が好きだった。

本当の本当に好きだったんだ。


「万里…ごめんね。本当にひどいこと言ってごめんね。だから泣かないで」


真紅が俺の頭を抱く。

震えが伝わる。

真紅も泣いていた。


「万里あなたにはずっと言わなきゃいけないって思っていたことがあるの。

それを伝えるから、だからあなたはもう悩む必要なんてないんだよ」


真紅は俺の耳元にそっと囁く。

真紅から伝えられたあのときの真実。

安堵して気が緩んでいく。

そうだったのか…これでもう考えなくてすむんだな。


「真紅。分かったよ。俺はお前の望むようにする。だから安心してくれ」


「ありがとう。あと迷惑ついでに後一つお願いしてもいい?」


「なんだ、まだあるのかよ。まあいい、言ってみな」


「あの子を。暁を頼むわね」


真紅…そんな大事な事を俺に託してくれるのか。

…ありがとう。


「当たり前だ。まかせろ」


俺は当然の事のように言う。


「それじゃあ。お願いね」


そして真紅は小刀を取り出しそれを俺に差し出す。

小刀を受け取る。

ずっしりと微かに重い。

鞘を抜く、曇りのない刀身だった。


「じゃあ。辛くないようにするからな」


「万里。ゆとりちゃんの事は本当にごめんなさい。

それだけは本当に後悔してるの、ごめんなさい」


真紅は本当に済まなそうな顔をする。

お前はそんなに悩んでいたのか。


「気にすんな。ゆとりだってそう言うに違いないさ。

だからお前は安心して眠ってくれ」


だから場違いに明るい声を出して言った。

真紅を苦悩から解放するために、何の苦悩も持たずに行ってもらう為に。


「万里…ありがとう」


そして真紅は笑った。

澄んだ心からの笑顔はとても綺麗なものだった。

ああ、やっぱり綺麗だなあ。

その笑顔は深く俺の脳裏に焼きついた。

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