三章 万里編 和姉

あれは俺がまだ餓鬼の頃の事だ。

俺には姉と慕う少女が居た。

ただやさしい人だったとそれだけが深く印象に残っている。

縁側に座る不思議な雰囲気をまとった少女は幼い俺にとって神秘の存在だった。

やがて近いうちに死にゆくそのはかなさが俺の注意を引いたのかもしれない。

今思えばあれは俺の初恋だったのかもしれない。


その日俺は適当に村の中を歩いていた。

当時まだまだ遊びたい盛りだった俺は村のあちこちを歩き回るのが日課だった。

狭い村だから俺の知らない所はない。

そう思っていた。


だがその日その人を見たのは初めてだった。

こんなに綺麗な人が居たんだとはじめて知った。

その人は縁側にひっそりと座って、その長くて美しい黒髪を風に自由にさせていた。

すっかりと見とれてしまっていたが、俺は堂々とその敷地に入っていった。


「…………?」


自分が話しかけられたのかと不思議そうに周りを見渡すが、俺を見つけるとのんびりとした動作でこっちに振り向く。

優しそうな目をしていた。


「あら、あなただあれ?」


そしてゆっくりとした話し方。

無遠慮に隣に腰掛ける。


「俺万里。温泉宿の跡取り息子。知らねえの?」


「万里ちゃん、いい名前ね」


その人はとことん自分の時間で動いていた。

俺の無遠慮な言動を気にする様子もない。


「お茶飲む?和菓子もあるわよ」


「おう」


律儀にお茶の用意をしてくれる。

しばらくおれの食べているところをにこにこと眺めていた。


「おいしい?」


「うまい」


「うふふ、たくさん食べてね」


その日はずっとその人のところでのんびりとした時間を過ごした。

その人は名前を和というらしい。

名前どおりの性格だと思った。

日も暮れ、そろそろ帰るという時。


「今日は楽しかったわ、ありがとう万里ちゃん」


「まあ、このくらいどうってことないぜ」


「ふふ、じゃあ早くお帰り。家の人が心配するわよ」


そのときまた明日もこの人のところに来たいと思った。


「あ…なあ、明日も来ていいか?その…和」


おずおずと言い出す。

名前を呼ぶのが少し気恥ずかしかった。

自分でもどうしてこんなに緊張するのか分からなかった。


「ふふふ。ええ、もちろん待ってるわ」


自分でも顔がにやっと砕けるのが分かる。

よかった。

これでまた明日もここに来れるんだ。


「じゃあまた明日な、和」


「また明日、万里」


これが和と俺の出会いだった。

それから毎日のようにその人のところに通った。

おっとりとしたやさしい女の人。

早く会いたい、明日が早く来ないだろうか。

そんな事を思っては焦れる思いに急かされる。

いつしか自分の姉のように慕うようになっていた。


そして和の家に通い始めて数日後。

和の家に向かう途中。

俺のよく知るあの双子に行き会った。


「ちょっと万里。最近付き合いが悪いんじゃない。一体どうしたのよ」


少し突っかかるように話しかけてきたのは真紅。

傍には暁もいる。


「なんでそんなに万里の事が気になるの?真紅」


暁は少しでも真紅が他の人に話しかけるのが気に入らないようだった。

やきもちだ。

分かり安すぎる。


「別になんだっていいじゃねえかよ」


その言葉を聞いて真紅は何故かにまーっと笑みを浮かべる。


「そんなの隠さなくたっていいわよ。万里最近好きな子が出来たんでしょ?今日もその子のところに行くところだった。違う?」


真紅はからかうつもりで言ったのに違いないだろうが俺はまともに受け取ってしまう。


「す…好き!?いや、好きとか嫌いとかそういうんじゃねえって」


「あらやだ、図星だったの。どうしよどうしよ当たっちゃった!」


くそう…真紅のやつあんなに笑いやがって…。


「え…万里好きな人が出来たの?え…あ…そうか!」


なにやらぶつぶつ言っていた暁は俺と真紅の間に割り入って、真紅の前に立ちはだかった。


「万里!勝負だ!!」


「……………」


「……………」


俺と真紅は同時に無言になる。

暁、俺この時ほどお前の事あほだと思ったことはないぞ。

そして暁の行動を理解するのには一つ一つ解釈していかなければいけない。

まず、暁は俺に好きな子が出来たと聞いて、それを自分の中で要約し、自分の最も近くにいる真紅をその子だと…そう思ったわけか。

ってちげえよ!俺真紅とか興味ねえし。


「俺の好きな子は別に真紅じゃないからな!だいたい別に俺が何してたっていいじゃねえかよ。

いちいちお前に言わなきゃいけねえことなのかよ」


動揺して俺は支離滅裂なことをいってしまった。

自分でも嫌な言い方だったとは思った。

だが俺はいち早く和姉のところに行きたかった。

それを邪魔する真紅には少しばかりいら付きを覚えてしまっていた。


「何よ、そんな言い方しなくてもいいじゃない」


真紅は少し傷ついたような様子だった。

これはまずいぞ。

女の子を泣かしてしまっては後々面倒だ。

どうしよう、真紅泣くか!?


「万里ぃぃぃぃぃぃぃ!!」


そう言って暁が全身全霊を掛けたちょっぷを仕掛けてきた。

しかしそれはぺちっと音がするだけの何の痛みもないものだった。

だが攻撃されたということに、俺は頭に血が上ってしまった。


「暁!!手前何のつもりだよ!!」


「真紅を泣かせやがって!この馬鹿!俺より背高いからって威張りやがって!」


「あ…暁。私別に泣いてないわよ。って背は関係ないでしょ!背は」


真紅が仲裁に入るが俺たちの喧嘩はもう取っ組み合いにまで進んでいた。


「もう、こら!!万里まで挑発に乗っちゃだめでしょ!!」


そう言って真紅が俺たちの間に入ってくるがそれがいけなかった。

俺はそれに気がつかずに思いっきり暁に当てるつもりで繰り出したぱんちが真紅に当たってしまった。

真紅は最初何が起きたか理解できなかったのか目を大きく見開いていたが、やがて目に涙を溜めそれが大粒の雫になって零れ落ちた。


「う…うえぇぇぇぇぇ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


とうとう本泣きになってしまった。

俺はどうしていいか分からなかった。

女の子を本気で殴ってしまった。

そんなつもりはなかった。

だからこれは俺が謝まることでもないとも思った。

しかし、一向に真紅は泣きやまない。

暁は俺以上におろおろしていた。

ごめんごめんと殴ったわけではないのにひたすら真紅に謝っていた。

そのたびに真紅は首を横に振って、まるでいやいやをするようだった。俺はいたたまれなくなってその場を走り出した。


「あ!万里!!」


暁の声が聞こえるがもうなりふり構わずそこから遠ざかろうと走った。

とても胸が苦しかった。



全力で走り、気づくと和姉の家に着いていた。

案の定和姉はそこにいた。

いつもと同じように縁側でくつろいでいた。


「あら、万里じゃない。どうしたの、今日はそんなに急いで来ちゃって」


「か…和姉…」


和姉の姿を見たとたん俺は居たたまれなくなって和姉の元に走り寄る。


「どうしたのよ、今日はなんだか甘えん坊さんねえ」


「和姉…俺…どうしよう…どうしたらいいか分からないんだよ…」


俺の様子にさすがの和姉もおかしく思ったのか怪訝な顔になる。


「万里?一体何があったの。まずは落ち着いて」


「俺…俺…」


だが思うように声が出ない。

声が震えて自分が何を考えているのか分からなくなる。


「いい、万里。私の言うとおりにするのよ。分かった?」


こくこくと首を動かす。


「まずは大きく息を吸って。止めて。ゆっくり吐いて」


すうっ。


和姉のいうとおりに大きく吸い続けて行く。


ぴたっ。


息を止める。


はぁー。


溜めていた息を吐き出していく、不思議と気持ちが静まってきた。


「落ち着いた?」


「う、うん。なんとか」


そして和姉は俺の目線と同じ位置までしゃがみ込んで聞いてきた。


「それで、何があったの?最初からゆっくり話してごらん」


「うん…俺、ここに来る途中で友達に会ったんだそれで…」


そして俺はたどたどしくも最初から最後まで全て話した。

和姉は俺の発言には一切口を挟まずずっと聞いていてくれた。

やがて俺は自分の目頭が熱くなっていくのを感じていた。

喉もひりひりと痛かった。


「そっか…そうだったんだ」


和姉は責めるわけでも怒るわけでもなく、ただそう呟いた。


「どうしよう…俺…なんで逃げ出しちまったんだろ…これからどうしたらいいんだよ…絶対嫌われた。嫌だ…そんなの嫌だよ…」


「万里。落ち着いて」


今度は強い口調で言う和姉。

その目は少し険しかった。


「………」


俺が黙ると和姉は表情を和らげて言った。


「ねえ、万里。そういう時何を一番にしなくちゃいけないか分かる?」


「え……」


分からないからこうして悩んでるって言うのに、和姉は何を考えてるんだ。


「それはね、誠意を持ってちゃあんと相手に謝るのよ」


そしてにこっと笑う。

だがその言葉に俺は裏切られた気持ちになる。

和姉だったら俺の気持ちを分かってくれると思ったのに。


「でもそれはあいつが先に突っかかってきたのが悪いんだし、俺のせいじゃねえよ」


なおも言い逃れをする俺。

確かに殴ってしまったのは悪いと思っているがどうしても自分のせいではないように思ってしまう。

和姉は俺の言葉に怪訝そうな顔をする。

何故そんなことを言うのだろうと言いたげな顔だ。


「でも、暁って子は自分が殴ったわけじゃないのに真紅ちゃんにちゃんと謝っていたのよね。それはすごいことじゃないの?」


「だってあいつは相手が真紅だったらなんだってあやまんだよ。そういう奴なんだよ」


ふうっと息を吐く和姉。

そして怒ったように険しい顔で言う。


「あのね。これはあなたたちの誰か一人が悪いって問題じゃないのよ。三人それぞれに非があるの。

真紅ちゃんが最初にからかったわよね、それは真紅ちゃんが悪いわ。でも次に暁ちゃんが事を大きくしていった、これは暁ちゃんが悪い。

でも万里、あなたは暁ちゃんの喧嘩を買ってそのせいで真紅ちゃんを殴っちゃったのよ、これはあなたのせいでそうなったんじゃないの。あなたも悪かったのよ」


そこまで言われてやっと分かった。

俺は誰かのせいにしたくて、自分に非があるなんて思いたくなくて逃げていたんだ。


「俺…本当に馬鹿だよ…」


ぼろぼろと涙が溢れた。本当に格好悪いと思った。


「万里。ちゃんと気づけたのならあなたはえらいわ。それはすごい事なのよ」


そう言って和姉は俺を抱きしめる。


「和姉…苦しい…」


「あら、ごめんなさい」


和姉はすぐに体を離してしまった。

でも少しだけ気持ちよかったというのは内緒だ。


「ちゃんと三人でお互いに謝ってくるのよ」


「おう」


そしてにいっと笑う。


「じゃ、行ってくるぜ」


そして来たときと同じように駆け出す。

そしてあの双子の家に向かってひたすら走った。



果たして双子の家にあの二人はいた。


「…よお」


二人はこちらを見るが、その表情は険しい。

暁は激しく俺をにらみ、真紅はそっぽを向いてしまっている。


「んだよ万里。今更なにしに来た…」


暁の怒りは相当の物のようだった。

だが俺はちゃんと言わなくてはいけない。

意を決す。


「二人とも…すまなかった!特に真紅。さっきは殴ってしまって本当にすまない!」


そして頭を深く下げる。

もう意地とかそういうのはなしだ。

頭を下げていてるから二人の表情は分からないがひたすら待つばかりだ。


「万里…ぷ…あはははははは!もういいから顔上げて」


そこへ不似合いな笑い声を洩らしたのは真紅だ。

何故そこで笑うのか分からない、暁も困惑顔をしている。


「もう…そんな似合わない事されるから、さっきまで怒ってた事とか…ほんと、どこかに飛んで行っちゃったわよ…」


「真紅…本当に許してくれるのか?」


「許すも何もこっちだってからかい過ぎたって思ってるし、おあいこでしょ」


そう言って笑う。

なんだ、こんなに簡単に仲直りできるんだ。

なんだかすっと胸の重荷が取れた気がする。

とそこへ…。


「な…なんだよ二人とも!おればっか置いてけぼりにして。何二人だけで納得してんだよ。おれは許してないんだぞ」


暁が乱入してきた。

元はといえばこいつが事を大きくしていったような気がする。

だがおれは今、一つ大人になったんだ。

さあ大人の対応で…


「万里!おれに殴らせろ!そしたらちゃらにしてやる」


そう言って暁が殴りかかってくる。


「てめ!またやんのか!」


そしておれも頭にかっと血が上り…。


「あんた達!いい加減にしなさい!!」


ばきっ!!!!


俺と暁。

両者に炸裂した真紅のぱんち。

目の前をひよこが飛んでいる。


「これで三人殴られたから借りはなし…分かった?」


般若の形相でこちらを睨む真紅。

恐い…!


「じゃあ。これで仲直り。はい皆握手握手」


そう言って俺たちは互いに手を握り合って、輪になった。


「恥ずかしいから手ぇ放すぞ」


「その前に」


ぐっと真紅が手に力を入れる。

ぎりぎり手が痛い。


「あなた達はすぐにかっとなる癖すぐに直しなさい。分かった、すぐによ。いい?」


どす黒い威嚇の表情で見つめてくる真紅。

俺たちは蛇に睨まれた蛙状態だ。


「あ…ああ…直す…直すよ」


「う…うん…おれもがんばる…ほんと…すぐに怒ってごめんね…真紅」


ぱあっと真紅の顔が笑顔に変わる。


「よかった。今度くだらない事で喧嘩したらほんと…知らないよ?」


俺と暁はうんうんと必死に頷く。

あの日あの時の真紅の言葉が一番恐かったと俺はずっと記憶している。

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